はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

鎌倉あたりをぶらり その2

2015-03-31 13:46:05 | 知らない街をぶらり
司馬遼太郎さんの『街道をゆく42三浦半島記』を読むと、鎌倉の歴史や、頼朝の気分などがよくわかります。
やはり、鎌倉といえば、鶴岡八幡宮ですね。(その1では言わなかったな

(いつも参拝者が絶えません。正月は1時間半待ちでした。)

その八幡宮と若宮大路について、司馬遼太郎さんは、
「鎌倉の鶴岡八幡宮は、山を背負い海に臨み、朱の色があざやかで、はればれとしている。(中略)なによりも八幡宮を造営することを、頼朝はいそいだ。(中略)ついで、大いなる道路を一筋だけつくるべく命じた。いまの若宮大路である。鶴岡八幡から由比ヶ浜までまっすぐに通り、わずか1、8キロメートルしかない。ただ、路幅は、騎馬武者二十騎が横ならびで駈けられるかと思うほどに広い。(中略)これを平安京から翻訳すると、八幡宮が内裏で、若宮大路が朱雀大路だという想像が、妥当におもえてくる。(中略)ただおかしみは、首都らしい設計が、“内裏”とこの大路しかなかったことである。他に尾ひれはつけなかった。」
と、書いています。
鎌倉は三方を山に囲まれていて、狭い地域ですが、たしかに八幡宮と若宮大路が中心になっているのがよくわかります。

(鶴岡八幡宮から見る、まっすぐ伸びる若宮大路と由比ヶ浜)

若宮大路といえば、段葛(だんかずら)というものがあります。路の両側ではなく、真ん中部分が高くなっているのです。(今回は工事中で通れませんでした。)この段葛を通れるのは、神様と、将軍(執権)だけだったそうです。そうそう、どこの神社でも参道を歩くときは、真ん中を避けて歩くのがよいとされています。真ん中は、神様の通り道なんですよ

そろそろ、鎌倉をあとに、横須賀に向かいましょう。JRなら17分ほどで着くのですが、車だったので、渋滞にまきこまれ(なにかの催しがあったようで)1時間半ほどかかりました
横須賀は、歌謡曲等によく登場する土地なので、歌のイメージが先行してしまいます。クレイジーケンバンドの「トンネル抜ければ、海が見えるから、そのままドン突きの三笠公園で。俺の話を聞け!5分だけでいい」と口ずさみながら、トロトロ走って、やっと三笠公園に着きました。

(戦艦「三笠」と東郷平八郎さん)

これも司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』で、というかNHKドラマで有名になりました。
1905年(明治38年)に東郷平八郎を司令長官とする日本が、日本海海戦で、ロシア(バルチック艦隊)に勝ったのです。その時の連合艦隊の旗艦が「三笠」です。その後、いろいろな運命をたどって、現在は、海ではなくコンクリートに固められて、記念艦として余生を送っています。
話はそれますが、日露戦争に勝ったあと、日中戦争が始まるまで、わずか32年なんですね。日露戦争は明治時代のことで、ずいぶん昔のような気がしますが、実はそんな時間の流れなんですね。日露の戦勝気分が残ったまま、軍部の暴走もあって、戦争へと突き進んでいったんでしょうか。

最後は楽しい話題で締めくくりましょう。横須賀といえば海軍カレーが有名で、どの店も行列ができていました。味は、カレーライスの原点という感じで、美味しかったです


ちなみに、肉じゃがも海軍と密接な関係があるのです。東郷平八郎さんがイギリス留学中に食べたビーフシチューの味が忘れられず、軍艦の料理長に作らせたところ、ワインやバターがなく、醤油と砂糖を使って作ったのが、はじまりといわれています


最新の画像もっと見る