暴論と承知の上、あえて疑問を提起したいと思います。病気や失業などの将来予測がつかないことに対して、社会制度として備えることは大切なことであろうと考えます。しかし、老後は万人に必ず訪れるものです。ですからこれに対して備えるのは、そもそも個人の責任ではないでしょうか。
人間誰しもより豊かな生活を求めて努力して生きて行こうとしております。老後に対しても同様に豊かな老後を送りたければ、それなりの備えをしておくべきであろうと考えます。老後の年金が保証されていれば、現役時代に老後のことなど考えない生活スタイルとなってしまいます。自分の老後はいざとなったら社会が面倒を見てくれる。福祉に頼りきって生きていこうとすることを助長することになります。そもそもこのような社会福祉などありえることでしょうか。本来の社会保障は、個々人が努力してもどうしようもないことに関して社会が面倒をみる制度であるのではないでしょうか。先に挙げた病気や失業などが良い例でしょう。
高福祉高負担とするか、低福祉低負担とするかを根本的に議論する必要があります。少なくとも高福祉低負担ということはあり得ません。現状の議論は低福祉高負担の方向へ向かっているように見受けられます。