緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

謹賀新年

2011年01月01日 15時49分27秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

平成23年1月1日(土)朝方は晴れ、のち曇り時々雨

大晦日は、少し雪が降りましだが、元旦の今朝は、晴れ上がった青空!

だんだん曇ってきました。そして、時々雨。

昨年は、真っ白い雪景色でしたね。

 

新年あけましておめでとうございます

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

昨年よりも、少しでも進歩があり、より良い一年になりますように!

教職員一同、一丸となって、邁進したいと存じます。

子どももおとなも、健康第一で、

楽しく充実した毎日になりますよう!

心を込めて  成長をお祈りしています。

  

三学期は、1月11日(火)からスタートします。

元気いっぱい、笑顔でお会いしましょう!

                  

 

  預かり保育は、1月4日(火)から始まります。

  平  日は、8時~18時半

  土曜日は、8時~16時半

  詳しいことは園へおたずねください。

      

入園や、転入園などの手続きは、

まず、電話してから お子様と一緒に お越しください。

    TEL093-631-3939

1月7日(金)以降に ご来園ください。

                

今年は、 卯年。 うさぎと言えば、ジャンプ!

兎のように 大きな長い耳になって

こどもたちのつぶやきをしっかり聴き取り

それぞれの、こどもたちの個性の良いところを見つけて

引き出し、磨きをかけるよう、職員一同 邁進いたします。

何事も、コツコツ  地道に努力し より佳い方向へ 躍進しましょう!

 どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹末市民センター創立10周年を祝してPA鼓隊演奏

2010年04月14日 21時42分53秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

平成22年4月13日(水)

お天気がとても心配でしたが、素晴らしい晴天に恵まれました。

10年前に、“北九州市立竹末市民センター”が誕生しました。

     http://www.ktqc01.net/nisi/tssf/main/index.html

今日は、『創立10周年記念式典・祝賀会』が開催されました。

その式典のオープニングに花を添える役目で、

緑ヶ丘・第二幼稚園の年長組で編成されている

『Green Grass Kid's(グリーングラスキッズ)』PA鼓隊の出演依頼でした。

ところが、ステージが狭いので、5組(141名)全員は無理なので、

竹末市民センター10周年記念式典バージョンで、特別編成をしました。

今回は、地元の園児が一番多いクラスに出演して貰うことになり、

さくら1組さんが、代表選手になりました。

7日の始業式からならし保育期間で、午前中で帰宅し、

まだ、練習の時間が殆ど無い状態。

会場も初めての場所。1組だけの特別編成。

ということで、実のところ 私は 内心ハラハラしていました。

が、10時50分、ご来賓も全員着席して、スタンバイ!

口をきりっと結んで、緊張した表情の指揮のR・Tちゃん、

総指揮のH・N先生も気合が入って、

全員心を込めて一生懸命に演奏。

卒園式で初デビュー、間もなく春休み中に 

4月6日は、『交通安全さわやかコンサート』出演。

希望者だけでしたがこれが二度目でした。

そして入園式が、三度目。

今回は、全然勝手が違っていましたが、四度目。

そうとは思えないほど落ち着いて、立派に演奏が出来ました。

ご来賓の北九州市八幡西区長さんも、

「緊張している表情も、一生懸命でかわいいね!」

地域の皆様も、小・中学校の校長先生も、口々に

「練習時間が無い時に、よく集中して演奏しているね!」

「素晴らしい!」

「良かった!」

「5歳児とは思えない!」

「上手ね~!」

「太鼓は、オープニングにピッタリでした!」

異口同音に お褒めいただきました。

演奏した子ども達も、自信をつけた様子。

とてもかがやいていました。

皆様、色々とご協力有難うございます。

おつかれさまでした!

   北九州市立竹末市民センター

  創立10周年

おめでとうございます!

 日頃からの地域の皆様のご理解・ご支援、あたたかい見守りに

心から感謝して、今後も期待に応えるよい保育が展開できるように

総力をあげて頑張る所存です。

 これからも どうぞよろしく ご支援・ご鞭撻をお願いいたします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春爛漫

2010年03月28日 21時50分24秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

平成22年3月28日(日) 春の色

 園の庭に枝を広げている桜の木も急に開花し始めて、

今朝は、5分~6分咲きになってきています。

まだまだ寒い日が続きますが、日本は確実に春に向かっています。

夜は、肌寒いのですが、日当たりのよい場所の桜は、満開!

春爛漫になってきています。

 http://weathernews.jp/sakura/

皆様、春というと何色をイメージするでしょうか?

色の名は、何かにたとえて名付けられていることが多いようです。

植物の色、動物の色、自然の色…などです。

具体的なもの「すみれ」とか「ねずみ」とか「空」とかで表現すると、

その色のイメージが思い浮かびやすくなります。

その色名の中で、長い歴史のなかで生まれた日本の伝統色があります。

その色は、主に草木から染め出したもので、その美しい色合いは

日本の風土とも合いしっとりと落ち着きがあります。

  http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakamaki/yurai.html

日本独特の色の名もやはり身近な動物や植物から採った名前が多く、

そのほかには、染め材料をそのまま色の名前にしたものなどがあります。

その色の歴史もさまざまで、万葉の昔から使われてきた名前もあれば、

江戸の文化と共に生まれた名前、明治以降に化学染料が主流になってから

付けられた名前などがあります。


 いろいろな色が数多く存在。その中で、春という季節をイメージするものは、

代表格は、やはり「桜」でしょう。

確かに「桜色」(さくらいろ)という日本の色名があります。

この色は、桜のなかでも ソメイヨシノなどの、日本産桜の園芸種の

花弁に見られる淡紅色をいいます。

ソメイヨシノといえば、江戸末期から明治初期に、

江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって

育成された品種です。この染井村は、今の豊島区駒込です。

それまで、花見と言って桜の花を愛でていたのは、ヤマザクラでした。

ヤマザクラの幼葉は赤みがかっているために、遠目には、

花が赤っぽいように見えますが、一般的には白色です。

ですから、淡紅色をあらわす桜色という色は、意外と新しいのです。


そのほかにも「桜」が付く色がいくつもあります。

薄桜」は、よく着物や帯などの色に使われます。

桜鼠」は、桜色の灰みがかった色を言います。

明度の高いソフトな感じを「灰桜」と言い、

明度が低くなると「桜鼠」と言います。

 

と同じ時期に花が咲き、

もう少し赤い色の花をつけるものに「」があります。

この桃の花の色に似た淡い紅花染の色を「桃色」と言います。

また、「桃花色」とも言います。

 http://www.colordic.org/colorsample/2336.html

 そのほかに、赤系統の中の色で、

花の名前にちなんだものも多くあります。

「梅」にちなんだものとしては、「紅梅色」は、

淡い藍の下染めに紅花を上掛けした、紅梅の花の色に似て、

かすかに紫色を含む淡い紅の色を言います。

薄紅梅」という、もう少し薄い色を指す名前もあります。

栗梅」は、栗色がかった濃い赤茶色です。

この栗梅に似たような色に「栗皮茶」がありますが、

これは「栗梅」よりすこし黄味が強い茶色です。

「梅染」は、梅屋渋(梅木の煎汁に榛皮の煎汁を加えたもの)で

浅く染めた赤味の淡茶色を言います。

梅茶」は、梅と茶の中間色を指します。

梅鼠」は、「四十八茶百鼠」とも言いますが、梅のように赤味がかった

薄い鼠色を言い、この色の名のように、江戸後期から明治にかけて

各種鼠を名とする色が現れました。

牡丹鼠」は、牡丹のような赤みのある鼠色を言いますし、

藤鼠」は、淡い藤色がかった鼠色を言います。


撫子色」「躑躅色」「牡丹色」「薔薇色」「女郎花」「山吹色」「菜の花色」など

いろいろな名前を見ていると、

花の美しさを、何とか表現しようと

その花の色を真似して作ったことがしのばれます。

そして、その色は、とても繊細で、日本人好みの感じがします。

 

今日は、午後1時から北九州市立八幡西生涯学習センター4階大ホールで

音楽教室の『ピアノ発表会』がありました。そのステージの右に

美しい生花(ピンクの百合ルレーブ)が子どもたちの演奏を引き立てていました。


               プログラム

        第一部 <ピアノ個人>  

1)  芳賀 明日風 … メリーさんのひつじ

               むすんでひらいて     

2)  高橋  優理花 … パンの歌

               マーチ 

3)  船本 直寛  … きらきらぼし

               シーソーにのって

4)  永野 亜弓  … メロディ

               だいすきなワルツ

5)  上原 ひかり  … ミッキーマウス・マーチ

                おもちゃの兵隊のマーチ

6)  平尾 旭    … きつつき

               ワルツ

7)  柴田 莉子   … ララルー

                こどものワルツ

8)  下郡 早世   … すがすがしい朝

                さんぽ

9)  福永 凛     … ラルゴ

                となりのトトロ

10)  田邉 百花   … 森のかっこう鳥

                 ハイ・ホー

11)  島崎 帆乃香  … 春のおとずれ

                 紡ぎ歌

12)  神谷 菜々美  … マーチ

                 ビビディ・バビディ・ブー

13)  乗秀 友佳    … エコセーズ

                 BELIEVE

                                      http://www.youtube.com/watch?v=IAo9hSR_9v4

14)  千住 瞳      … 貴婦人の乗馬

                  人生のメリーゴーランド

15)  吉田 亜未     … エリーゼのために

16)  吉田 奈央     … サラバンドと変奏

                  プレリュード第7番

17)  渡辺 愛咲美    … 花の歌

                   SONATINE Op.36.No.1 

            休 憩

         第二部 <ピアノ連弾>

1)  高橋  優理花    … かっこう

   山口  裕子      ぶんぶん

2)  芳賀 明日風   … つきのひかり

    芳賀 篤子       ゆかいな牧場

3)  永野 亜弓  …   ハッピー・バースデー

    永野 秀樹       茶色の小びん    

4)   船本 直寛  …   小さな世界

    船本 陽子       森のくまさん    

5)  上原 ひかり  … チム・チム・チェリー

    上原 愛       『四季』から『春』            

6)  平尾 旭    …   川はよんでる

    柴田 莉子           

    平尾 旭    … 遠い日々

    平尾 美紀            

7)   柴田 莉子  … ロンドン橋

    平尾 旭 

    柴田 莉子  … 犬のおまわりさん

    山口  裕子

8)  福永 凛   … チャップ スティック

    田邉 百花            

     福永 凛     … オーラ・リー

     福永 優子

9)   田邉 百花   …  聖者が町にやってくる

     福永 凛 

     田邉 百花   … アニー・ローリー

     田邉 千春 

10)  島崎 帆乃香    … ブラームスのワルツ

    島崎 由美子       線路は続くよどこまでも             

11)  下郡 早世      … かっこうワルツ

     山口  裕子       Beautiful days      

12)  神谷 菜々美  …   マーチ

    神谷 美保        風になりたい

13)  乗秀 友佳    …   美しく青きドナウ

    山口  裕子       情熱大陸        

14)  千住 瞳      …   蕾

    山口  裕子       『椿姫』から乾杯の歌

15)  吉田 亜未     …  みんな空の下

    千住 瞳

    吉田 亜未      … メリー・ウィドウ・ワルツ

    吉田 奈央

16)  吉田 奈央     … Aitai

    渡辺 愛咲美                  

    吉田 奈央     …マイ・フェイバリット・シングス

    山口 裕子    

17)  渡辺 愛咲美    …  ふたつの唇

    吉田 奈央

     渡辺 愛咲美    …  クシコス・ポスト

     山口 裕子

前半は、個人演奏でした。後半は、連弾。すばらしい時間でした!

お友達と、お母様と。そしてお父様と、山口先生と。

思い出に残る、素敵な楽しい時間を共有させていただきました。

指先を動かすのは、脳トレにも非常に有効なのだそうです。

ボケの防止のために、定年退職後に、ピアノやエレクトーンを習い

音楽のある生活を楽しんでいる中高年の男性も増えてきているそうです。

また来年も、腕を上げて、仲良く連弾を楽しんでください。

終了後は、満開の桜を眺めながら   

  若松区の『玄海青年の家』へ向かいました。

北九州アカデミー少年少女合唱団』が合宿中です。

5月8日(土)の第36回定期演奏会に向けて

園児の年長さんも

小学校1・2年生も 高校生のリーダーさんと一緒に

楽しく頑張っています。

 

春休みも、全員、充実したよい日々を元気に過ごしてください。

                            

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おひなさまを飾りました

2010年02月07日 21時09分30秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

平成22年2月7日(日)

節分が過ぎ、立春を迎えました。

暦の上では、春ですが、朝方は特に気温が下がり厳しい寒さで、北海道や東北

北国には、記録的な豪雪が降っているというニュースです。

雪国では,日常生活に支障をきたして大変な被害が出て

ご苦労なさっているようです。

  そうした寒さが厳しい中ですが、春の訪れを感じさせてくれる

季節感を代表する物といえば、お雛様です。

玄関ホールや和室に 例年のように お雛様を飾りました。 

                   

柳川地方で有名な 長寿を祈る縁起物『さげもん』も飾っています。

さげもんは、福岡県柳川市に伝わる風習。吊るし飾りのひとつです。

女児の生まれた家庭では、その一生の幸せを願い

雛壇は父方の実家から、さげもんは母方の親戚、母、祖母が用意するそうです。

これに類する風習として 静岡県東伊豆町の「雛のつるし飾り」、

山形県酒田市の「傘福」(笠福)があるようです。

毎年迎える健康と長寿を祈り雛祭りのお茶会を、今年も予定しています。

全園児参加です。3月3日を楽しみにしてください。 

和服に着替え帯を締めた いつもとは違ったおしとやかな先生方のお点前により、

日頃は活発な男の子も神妙な面持ちで、和の風情にひたり、

きっと 心ゆたかな時間になることでしょう。

                    

様々な体験を通じて、こどもたちは

大きく飛躍するターニングポイントを迎えます。

感性を高めるためには、心にひびく感動的な環境に浸るのも

非常に大事なことです。

                    

今、玄関ホールには、美しい『さげもん』や『てまり』がたくさん飾ってあります。

この『さげもん』は、

いつも慰問や仲良し交流会に年長組がおじゃましている

倫尚会特別養護老人ホーム 『ウェル馬場山』のデイサービスの高齢者の

方々が、丁寧に型紙をあてて、ちり緬の布を切り取り、一針ひとはり

心を込めて縫い合わせて 綿をきっちり詰めて、接ぎ合せて手作りして

プレゼントしていただいたものです。

 

また、

柳川に先日お出かけした方からの寄贈の伝統工芸品「刺繍の鞠」も

玄関に飾ってあります。

手作りの素晴らしい作品の数々です。

 

日本の伝統の技の中に、

多くの方々の子どもたちの成長や長命を真心から祈る

そのあたたかい気持ちが伝わってまいります。

どうぞ、園へお越しの節は、お雛様をご覧になり、

その周辺に飾ってある『さげもん』や『刺繍手まり』もゆっくりご覧ください。

一つひとつ色合いや柄が違い、味わいがあり、心ゆたかになります。

                   

最近は、洋風のモダンなつくりのお宅が増えてきて

輸入住宅などでは、全室フローリング、つまり、和室が無いお宅もあるようですが、

時々は の上で、正座して 心を落ち着ける体験も

日本人なら必要ではないでしょうか?

 

今や ちゃぶ台で食事するお宅も 殆どなくなり、

テーブルで椅子に座るというスタイルのご家庭が殆どになってきました。

畳の上で座ってかしこまって飲食をする経験も

あまり無くなってきたようです。

やはり、四季折々の季節感のある伝統行事を大事にして、

肌で感じる感性をゆたかに育てていきたいものです。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

門松が立ちました

2009年12月17日 21時34分21秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

平成21年12月17日(木)

とても強い冷たい風が吹いています。

気温が7℃に急に下がってきました。

竹末自治区会の7人の皆様のボランティアで、園の正面玄関に

門松が立ちました。

             

門松(かどまつ)とは、正月に家のの前などに立てられる

一対になった松や竹の飾りのことで、松飾りともいいます。

古くは、木のこずえに様が宿ると考えられていたことから、

門松は年神を家に迎え入れるための依代という意味合いがあるのです。

地域の言い伝えにより松を使わない所もあるようです。

門の両側に置かれた門松
門松(関西地方の例)
門松(関東地方の例)

飾り付け方は、現在の門松は中心のが目立つ物が多いが、

その本体は名前で解るとおり「松」です。

 もと、平安の貴族達が好んだ「小松引き」と言う行事で持ち帰った「子の日の松」を

長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは、

「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた

根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られます。

竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、

真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類があります。

「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる

三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、対戦相手の武田信玄に対して、

次は斬るぞという念を込めたのが始まりという説があります。

地方により門松の様式に違いがあります。

関東では、3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、

下部をわらで巻くという形態が多い。関西では3本組の竹を中心に、

前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。

豪華になると老木や南天熊笹ユズリハなどを添える。

設置時期は12月の10日ごろに、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」

から始まります。これで、山から歳神様(歳徳神)を家に迎えるという説もあります。

早いところでは14日ごろから飾ります。

しかし、現代では、クリスマスなどのイベントもあるため、

25日以降に設置される場合が多いようです。

12月29日に飾るのは「二重苦」、また9の末日でもあるので「苦待つ」に通じ、

12月30日12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって

神をおろそかにするということから、

12月28日までに飾るのが良い、とされています。

  片付け時期は、1月6日の夕方に片付けて、翌1月7日の「七日正月」を併せて

7日までを「松の内」と呼ぶことが多いようですが、地域により1月15日小正月

まで飾るなど、さまざまです。

左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞う。

左義長は1月15日小正月が多いが、地域や神社によって異なるようです)

昔は、それぞれの家庭で作りましたが、今では門松の材料が手に入りにくくなり、

一般的には、入手するには、生花店やホームセンター造園業工務店など

で作られ、設置・撤去まで一括でおこなうサービスもあるようです。

これらのサービスは、1対あたり1万~5万円が相場だそうです。

(サイズが大きくなり、本式になるほどさらに値が張るようです。)

ちなみに、生花を利用するので、翌年に使い回しはできません。

現在では自然破壊や、終了後にゴミになるなど環境問題などの関係や、

など材料の入手難、集合住宅の発達など社会環境の変化などからか、

画像の様な本格的な門松が設置されることは少なくなった。

また、一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松などが年末に

店頭に並ぶようになったため、このタイプの門松を置く場合が増えた様子。

さらに省略版として、枝振りのいい若松に、赤白や金銀の水引を蝶結びにし、

門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われるようになりました。。

(これは関西(主に京都)の「根引きの松」を模したもので、

「根引きの松」は関東風の竹を飾るものより起源は古いようです。

正式には金赤の水引を用い、結び切りにする。)

商店でも、現状では1月2日に初売りを行う場合が多いためか、

本格的な門松が置かれるのは大型百貨店パチンコ店など一部の業種か、

正月は無人に近くなる都心のオフィスビルなどに限られることが多い。

スーパーマーケットなど多くの商店では

「賀正」「謹賀新年」といった語と、新年のあいさつ文、門松や鶴、亀、日の出など

の絵を印刷したポスターを張って済ますことが多くなってきました。

元日も営業する場合、ポスターの貼付も省略されることもあるようです。

「門松は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

の歌がありますが、これは一休さんの作といわれますが、

一休さんと親交のあった遊女地獄太夫

一休さんのために詠んだものとの説もあります。

新年に松を家に持ち帰る習慣は

平安時代に始まり、室町時代に現在のように

玄関の飾りとする様式が決まったという説があります。

                  

さて、園玄関の門松は、

毎日、出入している子ども達や先生達を迎えてくれ

園に縁のある方々に とても素敵な雰囲気を味わっていただいています。

もういくつねると お正月?

お正月には、家族で何をしますか?

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七五三と二十八宿

2009年11月15日 20時38分37秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

 2009年11月15日(日)

11月15日は七五三です。

子どもの成長を願い成長を神様に感謝して

男の子は3歳と5歳、

女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、

神社などに詣でる年中行事です。

本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合の方が多いようです。

地方によっては男の子の3歳を行わない所もあるようです。

現在では全国で盛んに行われているが、

元来は関東圏における地方風俗でした。

尚、上方発祥の習俗としては、十三詣りがあり、

これも徐々に全国に広がりつつあるようです。

昨日も、長行小学校での教育美術展審査会のあと、町で、

晴れ着に身を包んだご一家に遭遇。

その真ん中にかわいい振り袖の着物を着た女の子に出会いました。

七五三は、もともとは、幼児期の通過儀礼として,

公家や武家の社会で行われていたもので、

3歳の女児が、そっていた髪をのばす髪置(かみおき)、

5歳の男児が、はじめて袴をつける着袴(ちゃっこ)、

7歳の女児が、着物の付け紐をやめて帯をむすぶ帯解(おびとき)として、

江戸中期以降 見られ始めたものでした。

それ以前は、特に男女別や年齢は確定していなかったようです。


また、各地には、もともと幼児期の成長に節目をもうけて

氏神様へまいる習俗がありました。

ところが、多くの行事同様、七五三が全国にひろまったのは、

江戸をはじめとする大都市で、商業的理由によるところが大きいようです。

縁者や近所にくばる千歳飴も、江戸中期には登場しています。

では、どうして11月15日になったのでしょうか?

旧暦の15日は、鬼が出歩かない日である二十八宿の鬼宿日に

当っているのです。

また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、

その11月の鬼宿日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて

子どもの成長を感謝し、加護を祈るようになりました。

      

明治になって、暦が新暦になってからは

11月15日に行われるようになりました。

現在では11月15日にこだわらずに、

10月から11月の間のいずれかの土日・祝日の晴天の日に

多くお参りするようになっているようですが、

本当は15日でないと鬼が出歩いてしまうようです。 (苦笑)

旧暦11月はその年の実りを神に感謝する月であり、

旧暦15日は二十八宿で

「何事をするにも吉」とされる鬼宿日に当たったことから

11月15日に行われるようになったのだそうです。

 

さて、二十八宿といえば、今度は星座の話になりますが、

もうすぐ天頂に冬の大六角形が輝きます。

http://www.yano-el.co.jp/coro/play/yaru/fuyuhosi-rokkaku.html

今年は、流星群で有名なオリオン座も、誰でも見つかるあの形と輝きで

冬の空の代表選手として輝いています。

http://www.nao.ac.jp/phenomena/20091019/index.html

それら星座にまつわるギリシャ神話を私は話題によく取り上げますが、

本当は、星座は、 織り姫、ひこ星に代表されるように東洋にも沢山あります。

もちろん、江戸時代までの星座は、

この東洋のものを言っていましたが、

明治維新以後、文明開化で、西洋文明がどんどん取り入れられ、

最近は、すっかり星座というと西洋のものとなってしまったようです。


 東洋では、太腸が天球上を運行する黄道上にそって一周するその円周を

28等分し、それぞれブロックごとの位置の近くにある星座が割り当てられました。

その各々のブロックを星が泊まる宿という意味で、「宿」といい、

それに星座名をつけたのです。

ですから、全部で二十八宿になります。

 月は、ある恒星に対して、27日7時間43分2.5秒で天を一周しますので、

天を27または28で区分するのが便利だと考えたのでしょう。

というわけで、

月は、一日毎に、この二十八宿の一宿ずつ通過していくと考えられました。

この二十八宿は中国からインドヘ渡り、インド占星術として発達し、

唐時代に中国に戻り、それが空海によって806年に日本へもたらされたと

以前は考えれていました。

しかし、奈良県の明日香村で発掘されたキトラ古墳の天井壁画に

星座が描かれていたので、今では、

空海の時代以前にすでに日本へ入ってきたと考えられています。

この二十八宿の中の二十三宿目は星名を「鬼」と言われ、

和名「たまおのぼし」でギリシャ神話かに座θ(シータ)を指します。

この鬼宿にあたる日に

お釈迦様が生まれたと言い伝えられるところから、

鬼宿日が「万事に大吉。二十八宿のなかで一番ラッキー宿」

ということになったのです。

 

中国,明の時代に作られた小説「金瓶梅」「三国志」「西遊記」「水滸伝」を

4大奇書といいます。

いずれも史実を一応は元にしていますが、ほとんどが創作で、内容は

現代のSFファンタジーを思わせる奇想天外な戦記物です.

 いずれも星空を地上の写し絵と考えた中国らしく、星がよくでてきますが、

中でも天コウ星36と地サツ星72の108星の英雄(といっても山賊)を描いた

「水滸伝」は星が出る話として知られています.

実は、

舞台が殷の国と最も古い「封神演義」にも,登場する365人の英雄は

天の星なのです.

「水滸伝」の108星はほとんどが創作で実際夜空にみえる星がないのに対し、

「封神演義」の365星は二十八宿や北斗南斗がそろっているなど、

実際の星を表しているものが多くなっています. 

それで「封神演義」 も4大奇書の次に位置しているようです。

東洋の小説や漫画アニメの中には、以下のように

二十八宿に影響を受けたものが沢山あります。

水滸伝』 - …宋江軍と戦う突厥軍に二十八宿将軍が居る。

封神演義』 - 封ぜられる神の中に二十八宿がある。

星界の紋章』・『星界の戦旗』 - アーヴ根源二九氏族のうち

アブリアルを除いた二八氏族は二十八宿をアーヴ語化して命名されている。

ふしぎ遊戯』・『ふしぎ遊戯 玄武開伝』  登場する星士たちは二十八宿にちなむ。

姫神さまに願いを』  主人公のカイとテンの関係が、

二十八宿ではそれぞれ「業」と「胎」にあたる宿星である。

また、カイが暦盤を用い、二十八宿で曜日を調べているシーンがある。

中国の星座の歴史は大変に長く,その起源は約3000年前といわれています。

私たちになじみの深いヨーロッパ起源の星座は,ギリシャ・ローマ神話,

身近な人物・動物や道具をなぞっているのに対し,

中国の星座はひとつの国家体系を形成しています。


 夜空の日周運動の中心である北極星は「天帝」の座とされ,

そのすぐそばをめぐる星たちには宮殿の庭園や官庁、役人といった高貴な

事物をあてはめました。

そして北極星から離れるに従い、庶民の住宅や市場など

次第に身分の低い存在を星座としました。

このように形作られた中国の星座は、そのひとつひとつがとても小さくって

全体の数が非常に多いのが特徴です。

3世紀に整理された段階で、実に300以上の「星座」が空にひしめいていました。

現代星座で、太陽の通り道に当たる黄道が通る星座たちが「黄道12星座」ですが,

中国星座の黄道12星座に相当するのが、

「二十八宿」と呼ばれる28の星座なのです。

「黄道12星座」は,太陽が12ヶ月かかって動く黄道を12等分したひとつひとつに

当てはめたものです。

これに対して二十八宿は,月が27.5日かけて天球を1周するとき,一晩ごとに

1つの「星座=星宿(せいしゅく)」を移動するように割り振られたものです。

黄道12星座の出発点は春分点(現在のうお座)ですが、

二十八宿の起点は秋分点に近い「角宿(かくしゅく),おとめ座中央部」にあります。 

この二十八宿は、太陽・月・惑星の位置と動きを表現することに用いられ、

当時の天文学上も,非常に重要なものであったようです。

それぞれの星宿の中で、西端に位置する比較的明るい星を

「距星(きょせい)」といいます。

そして東隣の「距星」との間の領域を、

その「距星」の名前を付けた「宿」と呼んでいるわけです。

私の好きな曲ヘイス作曲『冬の星座』という歌がありますが、

子ども達と悠久の世界に想いを馳せながら、

たまには季節の星の話をいたしましょう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月2日は八十八夜

2009年05月02日 20時35分30秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

平成21年5月2日(土) 

  今、年長組では、新学期に入ってから、「せっせっせぇー」という言葉で始まる

向き合って2人で遊ぶリズミカルな歌♪「なつもちかづくはちじゅうはちや…」

がよくきこえています。バスを待つ間も♪「のにもやまにもわかばがしげる…」など、

楽しそうです。

八十八夜とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日を言います。

今年は、本日5月2日です。4月末に、青森で雪が降ったそうですが、

八十八夜は夏に近づく半面、「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」

などと言われるように、遅霜が発生する時期です。

霜のなくなる安定した気候の訪れる時期であると同時に、

まだまだ霜も降りることがあるという春から夏へ移る境目の日として

重要視されました。ですから、気をつけなさいというために入れられているのです。

また、「八十八」という字を組み合わせると「米」という字になることから、

この日は農家の人にとっては特別重要な日とされてきました。

東北や山間村落では豊作を願うため、様々な占いを行います。

現在でも禁忌が守られているところもあるようです。

八十八夜ころから「あれに見えるは 茶摘みじゃないか」

という歌の題名が「茶摘み」というように、新茶の摘み取りが行われます。

しかし、まだまだ霜が降りるときがあり、昔は藁をひき、霜を防いだようです。

が、今は、扇風機で風を送ったり、黒い網で覆ったりしています。

また、ちょうど八十八夜の日に摘んだ茶は上等なものとされ、

この日にお茶を飲むと長生きするとも言われ、珍重されてきました。

そうはいっても、日本列島北から南まで長いわけですから、

地域によって、茶摘みの時期は異なります。

さて、中国の歴史の中で、お茶が登場するのは、

「神農(しんのう、農業・漢方の祖)」の逸話からとなっています。

神農は、野草とお茶の葉を食べていたと伝えられています。

この伝説から、お茶の発見は紀元前2700年ごろ、神農時代と考えられます。

漢の時代(紀元前1世紀)の医学書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』には、

「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」の記述があります。

すでにこのころ、お茶はよく知られていたようです。

また、四川の王褒(おうほう)が記した、主人と奴隷との間で交される契約文

『僮約(どうやく)』の中に、「武陽で茶を買う」とあります。

これによると、当時すでに飲茶の習慣があり、

売買が行われていたことがうかがい知れます。

この『僮約』が、現段階では茶具に関する最初の文献とされています。

このころからお茶は、主に上流階級に嗜好品として愛飲されるようになります。

唐の時代(760年ころ)、陸羽(りくう)の記した『茶経』は

「茶者、南方之嘉木也(茶は南方の嘉木なり)」で始まっていることから、

初期のお茶は南方で始まったと考えるのが定説です。

 漢の時代(紀元前1世紀)、お茶は単独ではなく、

みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜて、お吸い物(あつもの)として

飲まれていたようです。

三国時代になると、議論の潤滑油として

お茶を酒にみたてて飲む習慣(以茶代酒)が始まりました。

そののち、客人をもてなすなど、次第に社交の場の飲みもの

として用いられるようになりました。

唐の時代(618~907年)になると、お茶を飲む習慣は全国に広がります。

このころのお茶は、茶葉を粉々にして固形にし、

乾燥させた緊圧茶(固形茶)が主流でした。

茶葉はすでに全国で栽培されるようになっていましたが、

消費地への運搬には固形茶が便利だったと思われます。

このころ、固形の緊圧茶を「餅茶(びんちゃ)」と呼んでいました。

世界でもっとも古いお茶の本といわれている『茶経(ちゃきょう)』は、

唐の時代に陸羽(りくう)によって記されたものです。

『茶経』は、3巻10章から成り、お茶の起源、歴史から製造具、茶道具、

いれ方、飲み方、産地、心得にまで及びます。

固形茶を焼いて削り出すという方法から、茶葉本来の風味を引き出す

固形茶を挽いて、粉末を煮出す方法が考案されました。

宋の時代になると、お茶は貴族から役人や文人など富裕な市民のものへと

変遷していき、お茶を飲みながら詩を吟じ、書をたしなみ、絵を描き、

哲学を論じたとされています。

時に遊びとして「闘茶」と称してお茶の良し悪しを鑑定し、

茶器の良否を競うこともありました。

飲み方も、緊圧茶の茶葉をすった粉末を茶碗に入れてお湯とかき混ぜるという、

日本の抹茶のような飲み方が行われていました。

このころには、日本の茶道と同じような

竹製の「茶筅(ちゃせん)」が使われています。

また「餅茶」の呼び方が変わって「団茶」と呼ばれるようになりました。

明の時代になると、お茶は大変動の時代を迎え、

貴族と富裕市民に限られていた喫茶の習慣が、一般市民へと普及していきました。

この時代、団茶はお茶本来のおいしさを損なっており、

また、製造に手間がかかるということで、

初代皇帝、洪武帝(朱元璋=しゅげんしょう)は団茶禁止令を出しています。

この後「散茶」が本格的に生産されるようになり、茶葉の主流が急変しました。

残った団茶を飲む方法として、ジャスミン花の香りなどを着香させた

「花茶」が登場するのもこの時代です。

この時期、浙江省の西湖龍井茶(ろんじんちゃ)や安徽(あんき)省の

黄山毛峰(こうざんもうほう)などの緑茶が知られるようになりました。

また明代の末期には、福建省の武夷茶が上流階級に珍重され、

この稀少価値の高い優良茶を商人が大金をもって求めました。

なお、?南烏龍などの「?(びん)」とは、福建省の略称です。

清の時代になると、中国茶葉や茶具はほぼ完成し、茶文化は最盛期を迎えます。

福建省では青茶(烏龍茶)が開発され、「花茶」とともに愛飲されるようになりました。

また、青茶ならではのすばらしい香りを追求する過程で、

工夫茶(くんふうちゃ)の手法が開発され、工夫茶とは、時間と手間をかけて

ゆっくりと丁寧にいれるお茶を意味します。

お茶の魅力を引き出す茶器を使っていれ、

まず聞香杯(もんこうはい)で「香り」を楽しみ、次に茶杯で「味」を楽しみます。

中国茶が香りを大切にし、「花茶」が大いに普及しているのは、

このころからの習慣といえるでしょう。

清が崩壊すると、中国は列国の侵略を受けますが、

茶壷製作や茶葉の栽培はより発展しました。

中華人民共和国の建国(1951年)後、中国茶は順調に発展を続けていましたが、

毛沢東の文化大革命(1966~1976年)により、お茶は贅沢の象徴として弾圧され、

栽培は制限されました。

代わって台湾や香港で茶芸とお茶の栽培がより発展し、

現在では台湾茶は世界的に有名になりました。

  日本では、遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、

最澄(さいちょう)、空海(くうかい)、永忠(えいちゅう)などの留学僧が、

唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、わが国のお茶の始まりとされています。

平安初期(815年)の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が

近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。

これが、わが国における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。

このころのお茶は非常に貴重で、

僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。

鎌倉初期(1191年)に栄西(えいさい)禅師が宋から帰国する際、

日本にお茶を持ち帰りました。

栄西は、お茶の効用からお茶の製法などについて著した

『喫茶養生記(きっさようじょうき)』(1214年)を書き上げました。

これは、わが国最初の本格的なお茶関連の書といわれています。

栄西は、深酒の癖のある将軍源実朝に本書を献上したと

『吾妻鏡(あずまかがみ)』に記してあります。

お茶の栽培

もともと日本の山間部の奥地に自生していた「山茶(さんちゃ)」を

日本人は飲んでいたという説もあるようですが、

お茶の栽培は栄西が、中国より持ち帰った種子を

佐賀県脊振山(せぶりさん)に植えたのが始まりだといわれています。

その後、京都の明恵上人(みょうえじょうにん)が栄西より種子を譲り受け、

京都栂尾(とがのお)に蒔き、宇治茶の基礎をつくるとともに、

全国に広めていきました。

当時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させたもの(碾茶=てんちゃ)で、

社交の道具として武士階級にも普及しました。

南北朝時代の『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』

(虎関師錬=こかんしれん 著)には、

当時の名茶産地が記されています。

京都各地および大和、伊賀、伊勢、駿河、武蔵では、

寺院、寺領の茶園を中心に茶栽培が行われるようになりました。

さらに、お茶栽培の北限といわれる茨城の奥久慈のお茶も

14世紀に始まったといわれています。

茶道の完成

栄西の『喫茶養生記』は、わが国の喫茶文化普及に多大な影響を及ぼしました。

 鎌倉時代の末期には南宋の「闘茶」が武士階級に浸透、茶寄合いなどが

盛んになり、茶歌舞伎などの抹茶法(茶の湯)が急速に広まりました。

 そして、15世紀後半から16世紀後半には、

村田珠光(むらたしゅこう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休らによって

新しいお茶の礼式がつくられ「侘茶(わびちゃ)」として大成、武士階級に流行し、

現在の「茶道」として完成されていきます。

お茶の製法と流通の改革

各地にさまざまなお茶の製法がありましたが、蒸製のてん茶を作っていた京都では、

宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)が1738年に宇治の煎茶の優品を

つくり、伸煎茶の祖といわれています。

また、山本嘉兵衛が1835年に玉露の製法を発明し、

「宇治製法」の優れた技術が日本各地に広まりました。

近世になると流通機構がより発達し、茶町と呼ばれる流通の拠点で、

茶株仲間(江戸の消費地問屋)や、茶仲間(地方都市の産地問屋、荷主)

と呼ばれる人々が許可制でお茶の取引を行うようになりました。  

お茶の輸出

オランダの東インド会社が、1610年に長崎の平戸からヨーロッパへ向けて

日本茶(嬉野などの釜炒り茶)を輸出したのが、わが国で最初のお茶の輸出です。

 江戸幕府は、1858年にアメリカと日米修好通商条約を結び、

次いでオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結びました。

1859年に長崎・横浜・函館の開港を機に生糸と並ぶ重要な輸出品として、

お茶181トンが輸出されました。

また同年には、長崎の大浦慶(おおうらけい)という女性の貿易商によって

6トンがイギリスに輸出され、その利益が坂本龍馬や大隈重信の活動資金になった

と言われていています。

 1868年の明治維新後も、お茶の輸出量は政府の援助により

アメリカを中心に増加し、それに伴い、人気のあった「宇治製法」を活かした

蒸し茶製法が全国に広まっていきました。

    近代のお茶産業の成立

    江戸末期までは、お茶は山間部などで生産されていましたが、

    明治初期の士族授産事業などを契機に、牧之原台地などの平坦な土地に

    集団茶園が形成されるようになります。

    しかし、茶園開拓をした士族たちは次第に離散していき、代わりに

    農民が茶園を継承し始めます。これは、お茶の輸出価格の下落や、

    茶園造成に莫大な費用がかかったことが原因だったようです。

    集団茶園の形成は、単に茶園の形成だけにとどまらず、

    流通の発展、茶商、仲買人、茶問屋などの育成、各種機械の発明など、

    茶業を中心とした関連産業の成立に影響を与えました。

    高林謙三による茶葉揉葉機の発明をはじめ、機械化が急速に進んでいくのも

    この時期であり、省力化とともに品質の安定化に寄与しました。

    さらに近年では、センサーとコンピューター制御により、

    未熟錬者でもお茶がつくれる時代になってきています。

    現在では、手揉みは文化保存・観光用が主となっています。

    現代のお茶

    現代の日本人の生活は大きく変わりました。

    一般の家庭生活の中にある「緑茶だけでは不満足」という感覚を補完しようと、

    油っこい食事に最適で、しかも何杯でも飲めるお茶として、烏龍茶が

    注目され始めます。1979年には、伊藤園が中国の烏龍茶を日本人向けに

    アレンジして製品化し、烏龍茶の大ブームを起こしました。

    そして、現代のスピード感ある生活に適合するよう、

    従来では考えられなかったお茶飲料を開発し、1981年に缶入り烏龍茶が、

    1985年に缶入り緑茶と缶入り紅茶が発売されました。

     その後、ペットボトルや紙容器入りも製品化し、一大ヒットとなります。

    今では、飲料業界すべてがこれに追随し、お茶飲料という

    巨大なマーケットが形成されるほどになりました。

    時代にあったお茶、時代にあった飲料方法はいつの時代にも必要なことです。

    さらに、お茶の有効成分の活用によるカテキン染色技術、茶配合ボード、

    さらにサプリメント製品など、飲料に限定しないお茶の利用が行われています。

    最初にお茶の種を植えた脊振山のある佐賀県では、「嬉野茶」として有名で、

    550年の歴史があります。お茶は、美容と健康に効果があるといわれ、

    茶葉が一枚一枚丸いため、玉緑茶(グリ茶)と呼ばれています。

    また、お茶の渋みは、ポリフェノールの一種であるカテキンが主成分。
     
    このカテキンの驚くべき健康性が近年クローズアップされています。
     
    カテキンは、昔からタンニンと呼ばれてきたのです。
     
    カテキンの語源は、インド産のアカシア・カテキュー

    (マメ科アカシア属の低木)の樹液から採れる“カテキュー”に由来しています。

    お茶のカテキンは、1929年、理化学研究所の辻村博士らによって初めて存在が

    確認されました。茶葉中に形の違う4種類のカテキンが存在しています。

    カテキンは非常に酸化されやすい物質です。ですが緑茶は、荒茶製造工程中で酸化酵素の働きが抑えられるため、ほとんど酸化しません。

    しかし、烏龍茶や紅茶では、酸化酵素の作用で酸化重合物が作られます。すると、本来は水溶液中では無色のカテキンが、オレンジから赤色となります。烏龍茶や紅茶が赤っぽい色をしているのは、このためです。

    カテキンは、一番茶で約12~14%、二番茶で約14~15%と増加します。
    また、成熟した葉(3~4枚目)よりも若い芽(1~2枚目)に多く含まれています。
     
    玉露のように光が当たらないよう被覆栽培されるものは、カテキンの生成が抑えられ、煎茶よりも少なくなります。
     
    風邪やインフルエンザの予防にもお茶をどうぞ!
     
    虫歯や、癌の予防にもお茶が大変有効だそうです。
     
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    則松金山川チューリップまつりに年長組さん出演

    2009年04月12日 20時44分31秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成21年4月12日(日)気温がぐんぐん上がって24℃。

    空気がカラカラに乾燥し、注意報が出ています。

    やっと、本格的な春が訪れています。

    本日は、八幡西区則松金山川花のボランティア公園で催された

    チューリップまつりに 年長組の希望者約90名出演しました。

                   

    水辺にはカモの親子が遊び、川面に浮かぶ屋形船で上り下りの

    春景色を楽しむ親子も多数見かけました。

    一人乗りのカヌーを楽しむ子どもたちもいました。

                         

    8日(水)が始業式で、今週は午前中保育でしたから、

    登園したかと思うと直ぐに帰宅、それで

    楽器の練習の時間は殆どありませんでしたが、

    慣れないステージで よくがんばりました。

    先日の、入園式の時にも新入りの後輩を歓迎する心を込めて、

    大変よく頑張っていました。

     ご披露したのは、

    ①『こども和太鼓 雷童(いかずちわらべ)』

    ②『リパブリック讃歌』の2曲でした。

                         

    明日13日(月)からは、給食がはじまります。

    お箸を持たせてください。

    新入園児さんは、ならし保育中ですが、

    15日からは預かり保育もOK!

    少しずつ在園時間をのばしていきます。

    いきなり長時間の預かり保育は、無理です。

    体調が良くない時には、なるべく早くお迎えにおいでください。

     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    門松を立てていただきました!

    2008年12月16日 21時36分50秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年12月16日(火)

    15℃もあり、師走とは思えない陽気。

    朝から、近隣の相生・竹末・若葉町内の方々が6名、二台の車で来園。

    トラックの荷台には、立派な大きいや丸い太い、そして南天

    〆縄も全部手作りです。

    早速、土台の作成!

    あっと言う間に、慣れた手つきで竹を割り、同じ長さにそろえて

    縄で絞めて、土台の出来上がり!

    次に竹を3本そろえて立てて、しっかり縛り、

    土台に土や砂を埋めていきました。

    その前に、水を入れるための竹を埋けこみました。

    このなかに松や南天やユズリハや梅を活けて、あとは

    縄でしばり、注連縄もつけて、仕上げました。

    約1時間足らずで、掃き清めて、玄関先で記念撮影もしました。

     

    園児も、帰りがけには、大きい門松にビックリして

    親子で見とれていました。

    「もういくつねると、おしょうがつ…」

    バスを待つ時にも、歌っていました。

    本当に清々しい気分で、お正月を迎える準備第一弾でした。

    ご協力いただいたボランティアの皆様、有難うございます。

              

    さて、なんのために門松を立てるのでしょうか?

     

    「年神」様が最初に降りてくる目印


    門松とは、お正月を迎えるにあたって門や玄関にかざる松のことを言います。

    正月にはこの松を依白(よりしろ)として年神」が降りてくるといわれています。

    つまり「年神」様が最初に降りてくる目印になるのです。

    門松用の松は本来、家ごとに近くの山に採りに行ったそうです。

    その行事を松迎えといい、12/13日(事始め)に行いました。

    昔は椿などが使われていたそうですが、

    平安時代ごろからおめでたい木とされた松と

    そのあとに竹が添えられてめでたいものになり

    竹と松が飾られるようになりました。

    一夜かざりはいけない


    門松は、12/13日から28日の間か、30日にかざりますが、

    29日は「苦」に通じる、

    31日は「一夜飾り」といって不吉を嫌い

    その日には飾らないことになっています。



    また、現在では住宅事情などで

    本式の門松を飾るのは難しいので

    各家庭では略式の門松を飾って

    正月を迎える場合が多いようです。

    いつとり払う?


    門松は1/7日にはとり払います。

    地方によっては10日、15日のところもあります。

    一般的に元旦から7日までを「松の内」といいますが、

    松の内とは年神様がいる期間のことをいいます。

    地方によっては松の内の期間もかわります。



    また、小正月どんど焼きなど、神社などの境内で

    お正月飾りを焼く行事もありますので、

    お近くの神社やお寺などにお問い合わせ下さい。

    幼稚園でも、伝統行事を大事にして、年末年始の過ごし方を

    園でもお話しています。

    それぞれの町内会や地域の行事には、親子で参加しましょう。

    そして、様々なしきたりや言い伝えなどを知り、子ども達にも

    話して聞かせ、一緒にその土地ならではの体験を大事にし、

    親子の会話をしながら、日頃はなかなか

    ゆっくりお付き合いがなかった方々とも挨拶を交わしあい、

    地域の中での人とのつながりを大事にしましょう。

     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    お月見お茶会

    2008年09月13日 13時01分43秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年9月13日(土)時々 のち

    昨日、朝から園の和室でススキを飾り、

    お香を焚き『お月見お茶会』をしました。

    園の先生方も前日から和室を片付けて、緋毛氈を敷き

    簾を下げて雰囲気を出し、お茶席の準備もバッチリでした。

    子ども達は、いつもと違いオスマシ顔。

    お茶室に入る時から、いつもの保育とは違うことを感じて

    みな、神妙な顔つきでしずしずと「お姫様歩き」で入室。

    理事長先生のお月見の話に 集中して 

    よく聴いて、お行儀も最高に良い。

    お菓子とお抹茶をいただき、

    「おいしかったね!」

    記念写真もすまし顔でした。 

          感性を高める体験でした 

     

     さてを詠んだ句といえば、『おらが春』に

    「我と来て あそべや 親の無いすずめ」という句と並んで有名な

    「名月を とってくれろと 泣く子かな」 小林一茶 があります。

    名月を取ってくれと泣いておねだりするわが子に、

    戸惑う親の姿がとてもほほえましい句ですね。

    http://park3.wakwak.com/~issakinenkan/main/01_issa.html
     

     実は、明日 9月14日は中秋の名月です。

    今頃は、夕方になると南の空に中秋の名月に向けて

    日々大きくなっていく上弦の月がきれいに輝いています。

    その月は、丸くなるにしたがって、夕方に見える位置が、

    真南から次第に東の空に移っていきます。

    つまり、毎日 月の出が遅くなってきます。

    moon2.jpg

    左側が上弦の月,右側が下弦の月の「月の出」から「月の入り」までを

    時系列順に並べたものです.

    あれあれ?月の出の直後は,下弦の月の弦が上を向いていて

    上弦の月の弦が下を向いてしまっていますね.

    しかも南中したときには弦は横を向いてしまっています.

    実は「上弦の月」「下弦の月」の由来は

    「月を弓に見立てたときに,弦が上を向いているか下を向いているか」ではない

    のです.

    弓に見立てたときの弦が上を向いているか,下を向いているか,で

    両者を分けられるのは… 月が沈む時間だけなんです


    旧暦では三ヶ月毎に季節が変わります。

    「春」は「一・二・三月」

    「夏」は「四・五・六月」

    「秋」は、「七・八・九月」

    「冬」は「十・十一・十二月」です。

    そしてそれぞれの季節に属する月には

    「初・中(仲)・晩」の文字をつけて

    季節をさらに細分するのに使いました。

    それで、「八月」は秋の真ん中で「中秋」で、

    その月の半ばである15日は、だいたい満月になりますから、

    満月のことを「十五夜の月」といい、

    その中で特に八月十五日の秋の澄んだ空に昇る満月を、

    古くから日本では鑑賞する風習があり、

    このときの月を「中秋の名月」と呼ぶようになりました。

     

    その時期は収穫の頃であり、

    その年の収穫物を月に備える風習が各地に残っています。


    しかし、

    旧暦八月十五日の中秋の名月は、実は 

    満月でないことが多いのです。

    新月から満月までの平均日数は約 14.76日で、

    旧暦15日の月齢平均より 0.76日分だけ長い値ですから、

    実際の満月は旧暦15日よりやや遅れる傾向があります。

    「中秋の名月」は、一種の季節の風物詩であり、

    天文学そのものの厳密な事ではないので、

    そのくらいは 全然気にしないようです。

     
    それよりも 天体に関する行事で気になるのが、

    七夕の時と同じように その日の空模様です。

    晴れるかどうか、これは大問題でしょう。

    実際は、この時期(現在の暦の 9~10月)は、台風シーズンであり、

    また秋の長雨「秋霖(しゅうりん)」の時期にもかかりますから、

    江戸時代の書物には「中秋の名月、十年に九年は見えず」

    のような記述もあるほどで、昔からあまり晴天率が良くなかったようです。


    また、今の時期、南の空の月を眺めていると

    その近くにひときわ明るく「木星」が見えています。

    木星は太陽の第5惑星で、他より飛び抜けて1番大きい惑星で、

    他のすべての惑星を合計したよりも、2倍も大きく、

    地球の  318 倍の大きさを持っています。

    明るさも、天空で太陽、月、金星についで4番目に明るい天体です。

    そのために有史以前から知られていました。

    西洋名では、Jupiter

    英語読みでは「ジュピター」、

    ラテン語読みでは「ユピテル」)といいますが、

    ギリシャ語では ゼウスというように、

    ローマ神話の神の中の王で、

    オリンポスの支配者、ローマの庇護者でもあります。

    一際明るく大きい惑星であったために、

    メソポタミアで主神マルドゥックの名をもらいました。

    それ以来、各地の主神名で継承されています。

     

    中国や日本では、公転周期がほぼ12年であることから

    十二次を司る星として「歳星」と呼ばれていました。

    中国での惑星の呼び名は、もともと
      辰星(しんせい):水星
      太白(たいはく):金星
      螢惑(けいこく):火星 (「螢」は本当は少し違う字です)
      歳星(さいせい):木星
      鎮星(ちんせい):土星
    でした。

    「歳星」は約12年(正確には11.86年)で天球上を一周しますが、

    中国の戦国時代(紀元前4~3世紀)には 全天を12に分けて(十二次)、

    「歳星」がいる位置で年を表わしていたので

    「歳を表す星」という意味の名前が付きました。

     

    惑星の命名は五行説の成立より 先だったらしく、

    後になって各惑星に 歳星=木、螢惑=火などと

    五行(木火土金水)が配当されたようです。


     1610年ガリレオによって 木星には、四つの衛星があると発見されました。

     http://www.eonet.ne.jp/~univers/universe1.htm

    それまでは、すべての物体は、地球を中心に回っていると

    信じられていましたから、この衛星の発見によって、

    地球以外にも中心になる星があることになり、

    ガリレオは公に コペルニクスの太陽中心説(地動説)を支持し主張したので、

    宗教裁判所に捕らえられ、終生、獄中の身となってしまったのです。


     1989年に、木星とその衛星を探査するために打ち上げられた宇宙探査機は、

    彼にちなんで 「ガリレオ (Galileo)」と名づけられました。

     


     秋の空も 興味深く、図鑑や星座図などみながら 子どもと一緒に

    理科系のお話や 宇宙や天体に関する絵本も 面白いものです。

    三連休には、  ご家族そろって、ススキ狩りに!

    秋の野は、秋の七草が、涼やかに揺れて手招きしています。

        http://www.hana300.com/aki777.html

                         

    そして、お団子を作り、「お月見」を楽しんでみてくださいませ!

                         

    『月のうさぎ』や『14ひきのおつきみ』や『かぐやひめ』…

    月をテーマにした絵本もたくさんあります。

     http://www3.ocn.ne.jp/~mikan08/moon/moon.htm

    お休み前には、絵本の読み聞かせもいたしましょう。

     

     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    第34回『お父さん絵画コンクール』表彰式及び父の日について

    2008年06月15日 20時37分33秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年6月15日(日)父の日  終日 雨が降り、

    昨日より2℃気温が下がり20℃でやや肌寒い日でした。

    朝10時、小倉井筒屋新館9階 パステルホールへ出発。

    第34回『わたしのお父さん絵画コンクール』表彰式及び作品展示の日でした。

    『わたしのお父さん絵画コンクール』表彰式及び作品展示のご案内を

    読売新聞西部本社からいただきました。

     『井筒屋賞』 

      年中組 

        田中 瑠希也(たなか るきや)くん

     

     他にも、特選5人

          佳作23人

          入選17人

    ぼくのわたしのおとうさんの絵 

    ていねいに心をこめて

    のびのび描けていました。

    おめでとうございます!

    作品は、入賞作品のみ 6月6日(金)より15日(日)まで

    小倉井筒屋本館5階紳士服フロアにて展示。 

     

    さて、『母の日』に続いて 父の日とは…???

    以前このブログにも『母の日』についてとりあげましたが、

    『母の日』がアメリカ合衆国ではじまったのは、1908年のことでした。

    (詳しくは母の日由来へ)

    母の日ができたことを知った

    ワシントン州に住む『ジョン・ブルース・ドット夫人』は、翌1909年

    「母の日があって父の日が無いのはおかしい。父の日もつくって下さい。」

    と、『牧師協会』へ嘆願したのです。

    それには深い理由があったのでした…。

      ドット夫人が小さい頃、

    お父さん(ウイリアム・ジャクソン・スマート氏)は北軍の軍人でした。

    軍隊での階級は"Sergeant"といいますから日本でいう「軍曹」でした。

     
    1861年4月12日南北戦争がおこってしまいました。

    アメリカの悲劇の時代が始まったのです。

    南北戦争が終わったのは1865年4月9日でした。

    「ドット夫人」のお母さんは、

    夫のウイリアム氏が北軍に召されている間、

    女手一つで働きながら一家を支えてきました。

    その為、お母さんはすっかり体をこわしてしまい、

    お父さんの復員後、間もなく死んでしまいました。

    そこからお父さんの苦闘が始まったのです。

    残された子供達は、男の子5人と女の子が1人でした。

    6人の子供達を男手一つで育てるのですから、

    さぞ大変だったことでしょう。

    お父さんは再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。

    今日のような豊かなアメリカではなく、

    悲劇の時代と言われていた頃のアメリカでしたから、

    その苦労は大変だったでしょう。

     6人兄弟の末っ子の女の子が

    「父の日」を申請した「ドット夫人」なのです。

    「父の日」をつくって下さい。と末娘が嘆願してから7年後、

    1916年に『父の日』が認知されるようになりました。

    アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時でした。

    そして、1926年、

    ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、

    1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。

    『父親を尊敬し、称え祝う日』それが『父の日』なのです。


    参考:日本ファーザーズ・デイ委員会

    さて、あなたは

    「父の日」にお父さんに感謝の心を示す

    プレゼントなどを贈っていますか?

    お花の関係の団体が 実施したアンケート調査の結果では、

     8割以上の方が父の日のプレゼントを贈ってるとのこと。

    やはりお父さんへの感謝の気持ちを伝えているようです。

    でも 母の日に比べると「毎年贈っている」と答えた方は15%も低い。

    父の日のことは気になりながらも、

    母の日よりは忘れられてるかもしれないですね。

    「父の日」は1年に一度、素直にお父さんに「ありがとう!」と言える日です。

    今年はこの日を忘れずに感謝の気持ちを伝えましょう!

    あなたが「父の日」に贈ったことのあるプレゼントはなんですか?

     

    あなたが、いままで「父の日」に

    贈ったことのあるプレゼントはなんですか?

    (複数回答可)

     「母の日」のカーネーションに偏る傾向に比べ、

    けっこう分散傾向にあります。

    が、その中でも「ネクタイ」が一番人気。

    50%以上の方が、ネクタイ・Yシャツ・その他衣類を合わせた類を贈っています。

    やはり仕事に使える身に付く品を選んでいるようです。

    他には、「お酒」や「食事」などが続き、

    「一緒に過ごす時間」をプレゼントしてる など。

             

    そのようなテーブルを囲むひとときに

    「お花」や「メッセージカード」を添えれば、

    華やかな気分で和やかに過ごせるのではないでしょうか…

    あなたが今年の

    「父の日」に贈りたいプレゼントはなんですか?

    (複数回答可)

    あなたが今年の「父の日」に贈りたいプレゼントはなんですか?

    . 今年贈りたいもの でも、この調査では「ネクタイ」が一番人気ですが、

    さらに分散傾向が強くみられます。

    その中でも「お花」が2ポイント上昇しているようです。

    「外食などの特別な食事」と答えた方が10%。

    「贈ったことがある」での結果では

    その他に入っていた「旅行」と答えた方が11%にアップ!

    お父さんには温泉につかり心身ともにゆっくりしてもらいたい、

    または家族のふれあいを意識しつつ

    父の日を過ごしたい と考えている方が多いようです。

    普段忙しいお父さんとじっくり話せるよい機会ですね! 

            

     

    いままでに 父の日のエピソードがありますか?

    「まったくない」という方々もちらほら。

    そういう方は、今年はぜひ 楽しい思い出を作ってくださいね~

    小学校の低学年のころ父にあげた手編みのマフラーは、

    本当は 首に巻けないほど短かったことが 

    大人になってから初めてわかったのでした。

            

    社会人になったその年の父の日に

    初めて得た収入でプレゼントしたら、

    父は、泣きながら喜んでくれたのを、

    今でもはっきりと覚えています。

            

    義理の父に、

    いよいよ高等学校関係の勤めを全部辞めてしまった頃、

    淡いピンク色のポロシャツをプレゼントしたことがある。

    義父は自分では絶対に選ばない色にびっくりしたが、大事に着てくれ

    「誰からも今までこんな色のシャツは貰ったことはない。意外に気分も若返る!」

    と言って案外似合うことを発見し、最初は照れていたが、喜んでくださった。

    年齢の割には白髪が少なく黒々とした髪の毛が

    80歳過ぎてもつやつやの義父でした。

    身だしなみには全然構っていないように見えて、実は清潔感を大事にし

    意外に身だしなみのTPOにも気を遣い、お洒落心もある人だった。 

    その時以来 よくわかりました。

    義父も実父もこまめに身体を駆使して畑仕事をする元気印の人でした。

    季節毎に 新鮮な 美味しい野菜や見事な花を育てていました。

    二人とも 園芸、特に「お花」が大好きでした。

    義父「100歳までバイクに乗って回り、花作りも頑張りたい!」

    とか…

    実父「100歳まで現役で幼稚園の園長で頑張りたい!」

    とか…

    体つきもカラリとして、小柄ですが 矍鑠とし 凛とした

    紳士そのものの 筋金入りの 大和魂 の二人でした。

    残念ながら 他界してしまいました。

    生前「ウィスキー」や「お花」をプレゼントすると大変喜んでいました。

     

    最近は、6月11日が、実父の祥月命日なので、

    父の日までには、生きのよい薫り高いお花を持って、

    お墓参りをするように務めています。

    (別に花屋さんからPRを依頼されたわけではありません。)

    さて、あなたは、 父の日には、どんな形で

    感謝の心を表現していますか?

                  

    今からでも遅くはありません。

    今度の日曜日には、お父さんと一緒に思い出作りをしてください

    園児の絵の中にも

    様々な親子のふれあいの様子が描かれていて、

    ほほえましく、ほのぼのと心が豊かになる場面がたくさんありました。

     

    子どもの心を育てるには、

    お母さんと子どもの関係も勿論大事ですが、

    お父さんの存在感も非常に大事です。

    大黒柱の存在があればこそ、

    子どもたちはけじめのある安定した生活ぶりになり

    勇気やチャレンジ精神もその後ろ姿から学んでいるのです。

    また、 夫婦仲がよいことは、

    子どもが非行に走らない第一の条件だと言っている方もいます。

           

    明るい安らぎのある家庭の雰囲気作りに務めましょう。

         

    様々な事情で、現在は母子家庭の子どもたちもかなりいますが、

    死別の場合は、是非、お父さんの存在を常に意識した子育てを

    お願いします。お母さん一人の手で子育てをするには

    それなりの苦労が伴い、

    お父さんの分まで頑張らなくてはならない時期もあるはずです。

    子どもは、お母さんが 自分たちのために 必死で 働く姿を

    じっと見ていて、寂しい思いにも耐え 我慢したり、

    逞しくお母さんを助け、守ろうと、小さいながら心の中では

    応援し、力一杯 エールを送っているのです。

                 FIGHT!

     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    母の日とカーネーションとこどもの日

    2008年05月09日 05時20分09秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年5月9日(金) 

    今年も、「母の日」が目前になりました。 

    今から約100年前、1907年アメリカ合衆国で 

    アンナ・ジャービスと言う女性が、

    母親の命日5月9日に彼女の追悼式を開き、

    その式で母ミセス・ジャービスが好きだったという

    白いカーネーションを捧げ、式の参加者に母を偲んで

    一輪ずつ手渡したのが始まりだと言われています。

     彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を失い、

    残された娘二人(そのうち一人は盲目だったと云われています)を

    苦労して育て上げました。

    また彼女は敬虔なメソジスト派のキリスト者でもあり、

    26年にも渡り教会で日曜学校の教師を努めたほどでした。


    母を亡くしたミス・ジャービスは

    苦労して自分たち姉妹を育ててくれた母

    (過労による死だったとも伝えられています)の恩を忘れず、

    母の徳を偲ぶためにこのような会を開いたと云われています。

     カーネーションを参列者に手渡したのは、

    生前のミセス・ジャービスが日曜学校で

    「母の恩の深さを人々に悟らせる方法を考えましょう」

    と話していた事を思い出し、

    母の恩を、母の愛したカーネーションに込め、

    この花に母の恩の深さを象徴させたものと思います。

    「母の日」の広がり

    ミス・ジャービスの追悼会の模様が噂となり、

    米国初の百貨店経営者として知られた実業家であった

    ジョン・ワナメーカーもこの話しを知りました。

    母の日の主旨に賛同したワナメーカーは翌1908年に、

    早速自分の経営するシアトルの百貨店で「母の日」の催しを行い、

    ミス・ジャービスの行いを盛んに顕彰し、これが徐々に全米に広がって行きます。

    この年の催しにおいては、ミス・ジャービスの提案で、

    母の存命する者は、赤いカーネーションを、

    母を亡くしたものは、白いカーネーション

    胸に付けるようになったと云い、

    これが慣習化して今の母の日まで受け継がれています。

    「母の日」の祝日化

    ミス・ジャービスは、当時の有力政治家に

    手紙で「母に感謝する日を祝日にすること」を訴え続け、

    これがウィルソン大統領にまで伝わるところとなり、

    大統領からの提案という形で「母の日」を祝日にする事が議会に提出され、

    1914年に正式に祝日として認められることになりました。

     この点については、ウィルソン大統領もまた牧師の家庭に生まれ育った

    敬虔な信者であったという事も、幸いしたのかも知れません。

     

    「母の日」とカーネーション

    白いカーネーションはイエスとマリア
    赤いカーネーションは復活したキリスト

     母の日とカーネーションの関係については先に、提唱者のアンナ・ジャービスの母が好んだ花と紹介しましたが、それだけではなさそうです。

    キリスト教とカーネーション

    イエス・キリストが十字架にかけられた日、それを見送る母マリアが流した涙の跡に、一輪のカーネーションが咲いたと云われています。

     この故事から、キリスト教徒にとってカーネーションは「母と子」の関係を象徴する重要な意味を持つ花となったのです。
     ちなみに白いカーネーションは、十字架にかけられる前のイエスとマリアを、赤いカーネーションは復活したキリストをそれぞれ象徴すると云います。

    敬虔なキリスト者であったジャービス母子がこの故事を知らないはずは無く、母の日の花としてカーネーションを選んだのは、単なる思いつきでは無かったようです。

    神聖な花

    実は、カーネーションはキリスト教以前から既に神聖な花とされていたようです。

    カーネーションの原産地は地中海沿岸域だと考えられています。

    そのため、地中海沿岸のギリシャでは古くから

    この花は様々な行事で使われたようです。

    ゼウスの祭り」には、この花で作った冠をかぶる習わしがあったとか。

    また、ギリシャの文明を継いだ古代ローマでは

    カーネーションを「ジュピターの花」と呼んでいたそうです。

    現在の花の名前、carnation

    王冠を意味するcorona(コロナ)に由来すると考えられます。

    その花形が王冠の形に似た花と言うことです。

    またこの花で冠を作ることもあり、これもまた「コロナ」と呼ばれたそうです。

    花自身はcoronation(コロネーション=戴冠式)と呼ばれ、

    これがなまってcarnation(カーネーション)となったようです。

     

    日本における「母の日」

     日本において母の日は、キリスト教教会を中心として徐々に広がった

    と云われていますが、定着したのは戦後の昭和24年頃です。

     元々カーネーションは、

    母の恩を忘れないように自分の胸に飾るものでしたが、

    何時の頃からか「母に贈る花」になってしまいました。

    これはやはり 一人に[一輪]より、一人に[花束一つ]の方が、

    花屋さんには都合が良い?というような

    実利的な問題からの変化でしょうか(考えすぎ?)

     

    余 談   日本のもう一つの母の日

     
    祝日法に書かれた文面を読むと
     
    5月5日の「こどもの日」は、
     
    日本においては「母の日」なのじゃないか?と思えます。
     
    法律の文面に書かれた「こどもの日」の意味の記述は、
     
     「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」
     
    となっています。   

              皆様、 どう思いますか?

     
        お陰様で、私の母は健在です。
     
        幼児教育に熱中して取り組み、毎日、幼稚園の中をくまなく
     
       巡回し、こども達のげんきっ子パワーを貰っているらしい。 

          前園長と共にこども達の『心の成長』を楽しそうに目を細めて

       眺めては、朝晩「園児や職員の安全確保」や

       「保護者」の身になって全てが順調に

            段取り良くすすむように手配をして、

       より良い園になるように、発展と成功と充実をお祈りしています。

       願わくは来年も再来年も、
           「赤いカーネーション」を飾れますように。

     

    カーネーションの花言葉

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「真実の愛」「愛情」「情熱」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「尊敬」「純潔の愛」
    ピンク ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「感謝」「上品・気品」「暖かい心」
    黄色 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「美」「嫉妬」「愛情の揺らぎ」「友情」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「誇り」「気品」

    種類

    カーネーションには、主に2種類の形があります。

    ・スタンダードタイプ(大輪): 1本の茎に1つの大きい花を咲かせるタイプ。
    ・スプレータイプ: 1本の茎に枝分かれした茎に、小ぶりの花を咲かせるタイプ。 

    私は、母には 今年は、ブラウスと花束を…と考えています。

     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    すずらん

    2008年05月03日 20時12分34秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年5月3日(土)憲法記念日

     

    4月29日に 植えつけた園庭東側の「芝生」や、

    樹木医K氏からいただいた「トゲなし薔薇」が根付くように、

    この連休も園バス運転手さんたちが交代で朝晩水遣りをしています。

    ご苦労様です。

    そして、友人から「明日はあなたの誕生日だから…」と、

    思いがけず 可愛いすずらんの花を貰いました。

    昔から「すずらん」が大好きで、自分でも殆ど毎年

    花屋で見つけては「幸福」になれそうで

    つい買って来ているのですが、嬉しいプレゼントですね。 

    実はこのすずらん、こんな素敵な習慣があるんです。

                  

    フランス パリでは5月1日は、 「鈴蘭(ミュゲー)の祭日」

    (福岡県中間市に『ミュゲ』という美味しいお菓子屋さんがあります)

    http://www.muguet.jp/ ←緑ヶ丘・第二幼稚園 卒園生のお店です。

    とにかく その日に友人や家族、恋人にすずらんを

    プレゼントすると、もらった相手が幸福になる!

    という話があり、すずらんの花束を

    プレゼントする習慣があるのだそうです。

    花言葉も「幸福」など 良い言葉尽くめ!

    ここはジャポンなので、関係ないかもしれませんが…

    鈴蘭 (すずらん)

    (Lily of the valley)
     
       

    ・百合(ゆり)科。

    ・学名  Convallaria keiskei                  
              Convallaria : スズラン属           
              keiskei     : 明治初期の名古屋の偉人植物学者「伊藤圭介」の「圭介」        
                           
          Convallaria(コンバラリア)は、ラテン語の  
          「convallis(谷)+ leirion (ユリ)」が語源で 「谷間のユリ」の意味。               
          バルザックの小説「谷間のユリ」題名と同じです。            

    ・開花時期は、  4/20頃~  5/15頃

       
    ・写真のものは「ドイツスズラン」            
                (最もポピュラーな鈴蘭) 

             まさに”鈴”そのものの形の花。名前もそこから由来している。

        ただし蘭科でなく ゆり科
                      

    ・とても美しいが有毒です。

      牛や馬に食べられずに残るため、北海道でも牧草地に群生していたりする。     

    ・実は緑色から赤く変わる。                   

    ・別名  「君影草」(きみかげそう)、         
             「谷間の姫百合」(たにまのひめゆり)。

    ・5月2日の誕生花(鈴蘭)                   

    ・花言葉は

          「意識しない美しさ、純粋」(鈴蘭) 

          「幸福」 

    ・似ている花                   
          鈴蘭水仙 (スノーフレーク)

          この花は先月園庭のミュージック時計の下の花壇に

          たくさん咲いていました。

    あふれんばかりの幸福が

    皆様に訪れることを切に願っています!

                


     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    薫風

    2008年05月01日 20時05分14秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年5月1日(木) 

    今日から風薫る5月・・・

    語源は漢語の「薫風」を訓読みして和語化したものです。

    最初は花の香りを運んでくる春の風を指すこと が多かったのですが、

    だんだん青葉若葉を吹きわたる爽やかな初夏の風の意味に変化してきたそうです。

    そよぐ風に若々しい緑の香がします。

                 

    夏に向う今がちょうど一番気持ちの良い季節。

    そして「森林浴」に適した時期ですね。

    マイナスイオンいっぱいの空気の中で運動したり、

    静かに休息をとったりするのは気持ちが良いですね。

    また、          

    きれいな空気や樹木の発散する芳香物質フィトンチッドを吸収したり、

    枝葉が風にそよぐ心地の良い音色を聞き「1/fゆらぎ」を感じることは、

    心身をリラックスさせストレス解消にも効果があります。

    1/fゆらぎ(エフぶんのいち-)とは、

    パワーが周波数fに反比例するゆらぎのこと。

    ピンクノイズとも呼ばれ、あらゆる物理現象、生物現象、経済現象に現れる。

    具体的には人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、

    小川のせせらぐ音、アルファ波、…などなど。

    週末は森林浴にでかけてみてはいかがですか。

    バードウォッチングもお金がかからず楽しいですよ。

            

    ゴールデンウィークの過ごし方は、

    なるべく渋滞や人混みを避けて、

    自然の中で山菜摘みをしたり

    竹の子掘りや家庭菜園作り、

    釣りに潮干狩り…

    薫風の中で

    スポーツなど…

    親子でよい心のふれあいをして、

    お互いの存在感や自己肯定感を高めて

    濃密な「心のキャッチボール」で、

    生きる力を高めていく絶好の時期です。


              

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    健康と長寿を祈り『お雛祭りお茶会』実施

    2008年03月03日 22時45分50秒 | 季節の風物詩・旅・地理・歴史・建築

    平成20年3月3日(月)「雛の節句」を迎えました。

    例年のとおりに桃の花を花瓶に活けて飾り、炉の炭にお香を偲ばせ、

    馥郁たる雅な雰囲気で、和室のしつらえを整え、

    毎年迎える健康と長寿を祈り雛祭りのお茶会を、今年も致しました。

    和服に着替えた いつもとは違ったおしとやかな先生方のお点前により、

    日頃は活発な男の子も神妙な面持ちで、和の風情にひたり、

    心ゆたかな時間が流れました。

    船津理事長先生が、11席の茶席の席主を勤め、

    年齢に応じて、心に響く色々なお話をしました。

              

    琴の演奏は、主任仰木ミヤコ先生でした。

    裏方の水屋の点てだしのお手伝いをくださった先生方、

    金子正一先生、岡部先生にもお世話になりました。

    ありがとうございました。

    様々な体験を通じて、こどもたちは

    大きく飛躍するターニングポイントを迎えます。

    感性を高めるためには、

    心にひびく環境も非常にだいじです。

     

     

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする