平成28年3月13日(日)のち
弥生三月、春一番が吹きましたが、三寒四温。
今年は、温度差が大きくて一気に10℃も上がったり下がったり。
3月3日の「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、
その起源説は複数存在している。
記録が現存しているのは平安時代の京都で既に平安貴族の子女の
「雅びな」は、ままごとのような「遊びごと」として行われていた。
その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。
初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。
しかし平安時代の終わりには川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、
「上巳の節句(穢れ払い)」として
雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。
江戸時代になり、女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、
全国に広まり、飾られるようになった。
この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、
この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。
もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、
一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、
武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。
その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。
江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、
これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。
その後時代が下ると人形は精巧さを増し、
十二単の装束を着せた「元禄雛」、
大型の「享保雛」などが作られたが、
これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に
内裏の人形を並べた立派なものだった。
この享保年間から、人々の消費を当時の幕府によって規制するため一時的に大型の雛人形が禁止された。
『御触書宝暦集成』十五では、「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という制限が見られる。
しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになる。
江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、
さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。
また、18世紀終わり近くより五人囃子(ごにんばやし)の囃子人形が現れ、
幕末までには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案された。
雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、
スケールも大きくなっていった。
御殿は江戸では用いられず、関西およびその影響を受けた地方で用いられ台所道具も同様である。
江戸の古今雛には原舟月などの作家ものがあり、ガラス製の玉眼も比較的早く用いられた。
京都製に玉眼が入るのは幕末である。
雛人形
「女雛」の髪型は主に「大垂髪(おすべらかし)」と「古典下げ髪(こてんさげがみ)」がある。
「大垂髪」は、平安時代からの垂れ髪形式が鎌倉・室町を経て、江戸時代後期に完成された比較的新しい髪型で、
ビン(前髪部分)を大きく張った髪型である。
「古典下げ髪」は、割り毛とも呼ばれ、平安時代では長く黒い髪が美人の条件とされていたため、髪を全て後ろへ流し、
わずかに垂らした両頬の毛を切りそろえた髪型で、顔を髪の毛で三方から包むことで面長に見せ、肌色の白さを強調し、
より美しく見せるためとされる。
「古典下げ髪」は、「大垂髪」よりも結髪の技法が難しく、
結髪師の技量が問われるため現在は希少となっている。
種類
内裏雛(だいりびな)あるいは親王(男雛、女雛)。
それぞれ天皇、皇后をあらわす、正しくは親王と親王妃である。
ただし、天皇にのみ許されている立纓の冠を戴いている雛が多い。
繧繝縁(うんげんべり)の厚畳の親王台が敷かれる。
- 三人官女(さんにんかんじょ)。宮中に仕える女官をあらわす、内1人のみお歯黒、眉無し。(既婚者を意味するが、生涯独身の女官の場合には年長者という意味であろう)
- 五人囃子(ごにんばやし)。能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、向かって右から、謡(うたい)、笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、そして太鼓(たいこ)の順であり、右から楽器が小さい順番に並んでいる。能囃子の代わりに5人、又は7人の雅楽の楽人の場合もあり、向かって右から、羯鼓、火焔太鼓、笙、篳篥、横笛 の順に並べる。
- 随身(ずいじん、ずいしん)。通称右大臣と左大臣。向かって右が左大臣で年配者、向かって左が右大臣で若者である。いずれも武官の姿であり、正しくは近衛中将または少将である。矢大臣も参照。
- 仕丁(しちょう)あるいは衛士(えじ)。従者をあらわし、通常3人1組である。それぞれ、日傘をかざしてお供する係、殿のはきものをお預かりする係、雨をよける丸い笠(かさ)を竿(さお)の先にのせてお供する係を分担している。向かって右から立傘(たてがさ)、沓台(くつだい)、台笠(だいがさ)の順に飾る。怒り、泣き、笑いの表情から、三人上戸(じょうご)の別称もある。月代を剃っていることが多い。
メーカーによっては、以下の追加がある
「内裏雛(だいりびな)」とは雛人形の「男雛」と「女雛」の一対を指す。
男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶのは、
サトウハチローが作詞した童謡「うれしいひなまつり」の歌詞から広まった誤用である。
サトウハチロー自身はこの誤りを恥じ、後々まで気にしていたという。
配置
男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多くそれが一般的になっており、
結婚式の新郎新婦もそれに倣っている。
日本の文化による変化で地域差もあるがこれは下記の歴史によるもので、
関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆となっている。
壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を人形で模すことがある。
かつての日本では「左」が上の位であった。
人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で
天皇から見ての左側(我々の向かって右)にいる。
ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、
これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。
明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため
天皇である帝は左に立った。
しかし明治の文明開化によって日本も西洋化し、その後に最初の即位式を
それが以降から皇室の伝統になり、近代になってからは
それにならい、多くの地域では男雛を右(向かって左)に配置する。
畿内や西日本では配置が異なる場合がある。
男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としており、
現在でも古式で行い男雛を向かって右に置く家庭がある。
飾り方
飾り方にも全国各地で色々あるが、多くはこの三種の飾り方である。
しかし、特に飾り方に決まりごとはない。
- 御殿を模しての全部の飾り方(段飾りなどを含む)
- 御殿の内の一室を拝しての飾り方
- 屏風を用いて御座所の有り様を拝しての飾り方
さらにはお囃子に使う楽器や、家財道具と牛車などの道具を一緒に飾ることもある。
上段の写真にあるような五段、七段(七段飾りは高度経済成長期以降、
八段飾りはバブル期以降)の檀飾りが多かったが、
最近では部屋の大きさに合わせたり雛人形を出し入れしやすいように
段数を減らしたものが主流となっている。
戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿式の屋形の中に男雛・女雛を飾り、
その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、
横に鏡台や茶道具、重箱などの精巧なミニチュアなどを飾っていた。
祭りの日が終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れる
という話は昭和初期に作られた俗説ともされ、
旧暦の場合、梅雨が間近であるため、早く片付けないと
人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから、
というのが理由だとされる。
また、地域によっては
「おひな様は春の飾りもの。季節の節できちんと片付ける、などのけじめを持たずに
だらしなくしていると嫁の貰い手も現れない」
という、躾の意味からもいわれている。
この行事に食べられる食品に菱餅、雛あられ、鯛や蛤の料理(吸い物等)、ちらし寿司があり、
各地で、大量に雛人形飾りを公開したり、特色ある飾りを飾ったり、
少年少女、又は成人の男女が雛人形に扮したりする祭り等が、この期間中に開催される。
雛祭りを歌った楽曲
- うれしいひなまつり(童謡、作詞:山野三郎(サトウハチロー)、作曲:河村直則(河村光陽)、
- 1936年(昭和11年)ポリドール)
- ひなまつり(童謡、作詞:海野厚、作曲:三宅延齢)
- おひなまつり(童謡、作詞:斎藤信夫、作曲:海沼実)
- ひなまつり(童謡、作詞:斉木秀男、作曲:三宅延齢)
- ひなまつりの歌(童謡、作詞:与田準一、作曲:河村光陽)
- おひなさま(絵本唱歌、作者不明)
- 血塗られたひな祭り(人間椅子)
- 雛祭(文部省唱歌、作者不明)
- ひなまつり(文部省唱歌、作詞:林柳波、作曲:平井康三郎)
- 雛祭り(童謡、作詞:林柳波、作曲:本居長世)
- ひなまつり(童謡、作詞:水谷まさる、作曲:小松清)
- 雛祭の宵(ひなのよい、童謡、作詞者不詳、作曲:長谷川良夫)
- 雛の宵(長唄、作詞:松正子(松本白鸚夫人)、作曲:今藤政太郎)
- 雛の宵(清元)
園児のみなさんは、かしこまって、京都からお取り寄せのお干菓子(小菊の落雁)を味わい、
お抹茶を楽しみました!
子どもたちの心をゆたかに育てる『情操教育』に、もっともっと関心をはらい、
感性を高める工夫をしてみましょう。
この乳幼児の時期には、特に 感性をつかさどる右脳に良い刺激を与え
ご家庭でも『右脳の配線工事』にも、力を入れていただきたいと願っています。
感性をゆたかに… 心を育てる!
緑ヶ丘第二幼稚園では、創立以来、情操教育に励み
心ゆたかに…という育ちに特に力を入れています。
見学ご希望の方は、随時受け付けています。
入園ご希望の方も、ご遠慮なくどうぞ、先ず電話を!
TEL093-631-3939