平安時代好きのブロガー なぎ です。
系図をぼーっと見ていてふと思いました。
天武天皇の皇子・舎人親王の子孫である清少納言。
大おばの藤原桑子が醍醐天皇に入内して章明親王が生まれている紫式部。
紫式部の父・藤原為時は章明親王のいとこにあたるのですね。
章明親王は990年に亡くなっているので、973年頃(?)に生まれた紫式部と章明親王はひょっとしたら面識があるかもしれない…!?
当時の貴族って親族とどの程度の交流があったのかしら。
清少納言と紫式部、それぞれ祖や身内に皇族がいたいわば血筋の良さの矜持のようなものはあったのか。
気になる気になる。むむむ。
また、章明親王の娘3人のうち 隆子女王と済子女王はそれぞれ伊勢斎宮に卜定されています。
紫式部が『源氏物語』に
伊勢斎宮(=のちの秋好中宮)を登場させたり、野宮を舞台にしたのは
身内に伊勢斎宮がいたからこそ関心や親しみをもっていたのかも…?
想像(妄想?)は尽きません。