平安時代好きブロガー なぎ です。
『源氏物語』ゆかりの地といえば、京都や須磨・明石を思い浮かべる方が多いと思います。
けれども、少なからず『源氏物語』には筑紫(九州)に関わりがある人物が登場しており、中でも有名なのは玉鬘と呼ばれる姫君ではないでしょうか。
【風俗博物館で撮影。成長した玉鬘】
玉鬘は京で生まれ、光源氏のライバルでもある頭中将を父に、頭中将の愛人だった夕顔を母にもつ姫君です。
夕顔は、頭中将の正妻による嫉妬から逃れるために身を隠していたところ、光源氏に見いだされ愛されることになります。
しかし夕顔は物の怪により急死。光源氏の悲しみは大変深いものでした。
夕顔が行方不明になった時、娘の玉鬘はまだ3歳。
母・夕顔の死を知らないまま、玉鬘は4歳で乳母たちとともに京から筑紫の大宰府(福岡県太宰府市)へ下ります。
それは乳母の夫が大宰少弐[だざいのしょうに=大宰府の実質上の次官]になったからでした。
乳母の夫は大宰府で亡くなりますが、玉鬘と乳母たちには帰京するだけの力もなくやがて肥前国へ移り住みます。
そんな中、肥後国の豪族である大夫監(たいふのげん)が美貌と評判の玉鬘に求婚してきます。
地方豪族の大夫監と結婚するわけにはいきません。
なぜならば玉鬘と乳母一家は、京へ戻り、玉鬘の父[頭中将から出世してこの時は内大臣]に玉鬘の存在を知ってもらって幸せになれるよう神仏に祈ってきたからです。
玉鬘たちが筑紫滞在中に信仰していたのが鏡神社(佐賀県唐津市)と筥崎宮(福岡市東区)でした。
また、玉鬘に仕える下女の言葉に観世音寺(福岡県太宰府市)が出てくることから、観世音寺も信仰していたのではないかと思われます。
【風俗博物館で撮影。帰京後、長谷寺参詣の途中に椿市で休息する玉鬘。】
神仏への願いが届いたのか、玉鬘は無事に帰京を果たし、光源氏の邸宅「六条院」にひきとられることになります。
父親とも再会。結婚後は三男二女の母となります。
そうした流れで玉鬘との関わりによって九州が『源氏物語』の舞台となります。
以下、作中に登場するゆかりの地です。
■大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)
乳母の夫が勤務。玉鬘たちも大宰府に住む。
私が「大宰府政庁跡」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
■金の岬(福岡県宗像市鐘崎)
玉鬘たちが京から筑紫へ下る船旅で作中に地名として登場
■鏡神社(佐賀県唐津市)
玉鬘たちが信仰。作中の和歌にも詠まれる
私が「鏡神社」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
■筥崎宮(福岡市)
玉鬘たちが信仰していた神社。『源氏物語』常夏巻では和歌の中に歌枕として登場。
私が「筥崎宮」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
■観世音寺(福岡県太宰府市)
玉鬘に仕える下女が見聞きした寺。おそらく玉鬘たちも信仰。
私が「観世音寺」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)
筑紫を訪ねたことはないはずの紫式部が、『源氏物語』に筑紫の寺社を登場させたのは夫の藤原宣孝や友人の影響があったと考えられています。
それについてはまた別の記事にまとめたいと思います。
※この記事は、私が作成しているwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』より一部転載しています。