植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

IWA東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク⑤」レポート(No.1561)

2019-05-22 04:31:34 | 日記


IWA東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク⑤」レポート(No.1561)

◇2019’5月8日(水)東岩瀬~滑川~魚津~黒部 27キロ (その1) 

5月8日石川県ウオーキング協会は東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク⑤」を富山ライトレール東岩瀬駅おいて80名の参加者で開催した。

この企画は、金沢城を3月13日にスタートし、来年の東京オリンピック開催までの6月に江戸本郷上屋敷ゴールする。江戸期に加賀藩が参勤・交代の通った旧北国下街道経由、中仙道の約500キロを23日間で歩く計画。

■写真は東岩瀬駅をスタート



〇古志の松原(*今回はサイクリングロードを歩いた)
別名「絵中舞子」と呼ばれ黒松並木が白い砂浜続いています。白砂青松100選にも選ばれ、立山連峰を望む雄大な素晴らしい景観が楽しめます。延長4kmにわたる松並木は、慶長6年(1601年)、加賀藩二代藩主前田利長が参勤交代のときの往復路に植えたもので、富山県の天然記念物に指定されています。

■写真は古志の松原





■写真はサイクリングロード



〇常願寺川(じょうがんじがわ)
富山県中新川郡立山町 および富山市を流れ富山湾に注ぐ一級河川。古くは新川(にいかわ)と呼ばれ、新川郡の名の由来ともなっている。

■写真は常願寺川を渡る



〇水橋宿本陣跡
この場所は安永4年(1775)加賀藩から本陣の指定を受けた東水橋中野屋冶右衛門
家の跡。

■写真は水橋宿本陣跡



〇水橋一里塚跡
「越中道記」では、「壱里山水橋村之間壱町四拾八間」と記される。街道沿いの不動堂敷地内に一里塚跡の石碑がある。



■写真は水橋一里塚跡



〇坪川一里塚跡
「越中道記」では、「壱里山滑川町端ニ有」と記される。南側にある塚では、高さ3m・直径6m・幅7m もあり、往時の原型を留めているものと思われる。

■写真は坪川一里塚跡



〇高塚 門松
往還松だが、一町ごとに植えたことから門松と呼ぶらしい。樹齢200年で、今はこの一本だけが残っているという。滑川市の指定文化財である。

■写真は高塚 門松



■写真は立山連峰をバックに



〇魚津 米騒動発祥の地
大正7年7月22日、魚津港に、北海道への米の輸送を行うための船が寄航、十二銀行(北陸銀行の前身)が荷積みを行っていたが、魚津町の女性らが集まって、米の船積みを中止して住民に売るよう求め、嘆願した。「越中女一揆」として全国に報道され、米騒動の始まりといわれている]。魚津では暴動は一切起こらなかったという。



■写真は米騒動発祥の地と旧代十二銀行事務所



■写真は魚津駅スタート



■写真は片貝川を渡る

〇魚津駅に16:00頃ゴールした。

(つづく)