金沢の観光スポットレポート その1141(No.1596)
◇高尾城跡探訪(金沢市) ① 見晴らし台(ジョウヤマ地区)
4月5日(金)金沢観光ボランティアガイドまいどさん16期生「よるまっし16会」で高尾城址を見学した。
〇高尾城概要
高尾城は、別名を高雄城・田江城(七国志)、多胡城(太平記)、多祜城(石川放古遊記)高生城、富樫城等と称される。富樫氏の政所・富樫館から東に約2Kmに位置しており、富樫政親が加賀一向一揆と戦い滅ぼされた城。
城跡は金沢市高尾町背後の広大な山麓に点在しており、中谷川(満願寺川)、七瀬川(額谷川)に挟まれた山地の南北1,500m、東西1,500mの約260haの広さで、標高240m地点を中心に三方に大きく伸びる尾根、深い谷が入り込んだ山地にある。
■写真は高尾城跡見晴らし台より金沢市内方面
昭和45年(1970)の北陸自動車道建設工事の土砂採集によって城の大部分が破壊されたと思われていたが、金沢市教育委員会が昭和59年より実施した調査では、広大な区域に城郭遺構が発見され、規模の大きな城郭でありことが判明した。
今回は広大な城址の内ジョウヤマ地区と御廟谷地区を訪れた。地図参照
■写真は高尾城跡付近地図
■写真は高尾城跡見取り図(上の青線枠がジョウヤマ地区)
〇ジョウヤマ地区
ジョウヤマと称されたこの一画は、高尾城跡と伝えられていたが一つの砦であったと想定される。見晴し台が標高162mで最高部として残され、北面の一帯は開発の為に堀削されて遺構が残っていない。北面先端部は城谷川に望む崖となっており、城への侵入は難しい地形。北から西面は平野部と続くが急斜面。西南部は登山道があった区域で、坂虎口であったと考えられる。
この遺構は、高尾山麓の先端部に位置し、眺望は良く、加賀平野一帯を眼下に望め、本城と考えられていたが、主力部隊の駐留や見張り所的な要素を兼ねていたと思われる。この場所は平安後期の須恵器や五輪塔、奈良時代から室町時代にかけての遺物が多く出土し、古くから居住地区だったと考えられる。
■写真はジョウヤマ地区(グーグルマップより)
■写真は見晴らし台登り口
■写真は登山道
■写真は見晴らし台より野々市市、白山市方面
■写真は見晴らし台
□撮影日:2019.4.5
(つづく)