かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

勝手にいわてDC 5

2012年04月22日 | 旧ブログ記事(長者ヶ原廃寺跡・衣川関係)
このブログにはアクセス解析機能があって、どんな文字列で検索されてたどり着かれたのかが分かるようになっています。

先週、「衣川」と「西行」のand検索でたどり着かれた方が2名おられました。

特に不思議ではなかったので気にしていませんでしたが、今日、NHK大河ドラマ“平清盛”を見て納得。

正確には、先週地デジの受信状態が悪くて見られず、昨日土曜日の再放送された、先週日曜日に放送された回のですが。

久々に佐藤義清改め西行が登場して、とあるエピソードを清盛に語っています。

そのエピソードとは、陸奥すなわち現在の東北地方を旅して、「美しきもの」を見たというもの。

そして、その時披露された歌が、これ。

 とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 
   衣河見にきたる 今日しも

以前、紹介したものです。

そして、その時もっとも印象に残ったのが「衣川の城」で、それが長者ヶ原廃寺跡を指しているといい、その理由は後日紹介するとしていました。

直接、証明することは困難ですが、西行と同じように中尊寺の北側に立った、江戸時代の医者橘南谿の旅行記にその糸口があります。

南谿は、西行と同じように衣川の南岸から北側を見ています。

少し長いですが、こう記しています。

  又中尊寺の鎮守白山宮のうしろより少し西へ行けば物見の亭の古跡あり。此所より見おろし宜し。
 向うに見ゆる山を陣馬張山と云ふ、二つの地名となれり。是は頼義・義家、貞任・宗任追伐の時、
 陣を張れる所と云ふ。又それより手前に見ゆる野を長者が原と云ふ。金売吉次信高が屋鋪の跡とて、
 今に郭石少し残れり。


現代語訳して要約すれば、こうです。

  中尊寺の物見の跡からは見晴らしがよい。向こう(北)に見える山は、陣馬張山といい、
 前九年合戦の時、源頼義・義家が陣を張った所である。その手前に見える野を長者が原といい、
 その中に金売吉次の屋敷の跡が残っていて、郭(くるわ)と石(礎石)が残っている。


つまり、衣川の北の野原は長者が原といって、そこには郭と石が残っているというのです。

その郭と石は、長者ヶ原廃寺跡の築地塀跡と礎石のことに間違いありません。

平安時代末期から江戸時代まで、だいぶ時間が経っていますが、衣川の状況にそれほど変化はないと考えれば、西行と南谿の見た景観はそれほど異なっていなかったでしょう。

「しまわしたる事柄」すなわち、ぐるっとめぐっているもの(の痕跡)は、今のところ、衣川地区では長者ヶ原廃寺跡の築地塀以外に発見されていません。

とすれば、西行の見た「衣川の城」は長者ヶ原廃寺跡の事と考えるのが自然です。

ですので、西行をして感慨に耽らせたのは、衣川、特にも長者ヶ原廃寺跡ということになりそうです。

というわけで、中尊寺にお越しの際は、ぜひともずっと奥まで進んで、衣川の景色を眺めてください。

西行の心を動かした景観が、さほど変わらず今でも目にすることができるはずです。


洪水の時の写真ですが、中尊寺よりみた衣川地区。橋が架けられているのが衣川。
中央の大きな建物のある所は今でも、陣馬と呼ばれています。