昨日のブログで西行が見た衣川地区の景観は、その時とさほど変わらないと書いてしまいましたが、ひとつだけ大きく変わったところがあります。
それは、堤防。
昨日の写真は、2002年7月の台風の時の洪水の時の様子です。
昨日の写真では衣川にかかる国道4号が通る衣川橋は水没していませんが、その後数時間で下の写真のように水没してしまいました。
黄色の矢印が長者ヶ原廃寺跡
北上川は幅も広く、2002年の時点で平泉までは堤防も整備されていました。
が、一定以上の流量になると、川幅が狭くなる一関の狐禅寺峡谷で水がせき止められるようになり、支流の水が北上川に流れなくなります。
すると、上の写真のようになってしまいます。
ひと桁国道が水没するという自体になったため、その後10年立たないうちに立派な堤防が完成しました。

完成した堤防。車と比べるとかなり高いですが、これはカスリン台風(1947年)・アイオン台風(1948年)の時の水位(左の写真の赤線と青線)でも大丈夫なように設計されているからです。
これが大きく変わった点です。
けれども、変わらなかったものもあります。
それは、長者ヶ原廃寺跡の姿。
人は変わったものにはすぐ気づきますが、変わらないものには
すべて変わらないことはいいこととは思いません。
けれども、千年も変わらずあり続けられているものは、それだけ価値があるからなのではないでしょうか。
変わっていくものの中にある変わらないものにこそ、(西行が言うような)美があるような気がするのです。
それは、堤防。
昨日の写真は、2002年7月の台風の時の洪水の時の様子です。
昨日の写真では衣川にかかる国道4号が通る衣川橋は水没していませんが、その後数時間で下の写真のように水没してしまいました。

北上川は幅も広く、2002年の時点で平泉までは堤防も整備されていました。
が、一定以上の流量になると、川幅が狭くなる一関の狐禅寺峡谷で水がせき止められるようになり、支流の水が北上川に流れなくなります。
すると、上の写真のようになってしまいます。
ひと桁国道が水没するという自体になったため、その後10年立たないうちに立派な堤防が完成しました。


完成した堤防。車と比べるとかなり高いですが、これはカスリン台風(1947年)・アイオン台風(1948年)の時の水位(左の写真の赤線と青線)でも大丈夫なように設計されているからです。
これが大きく変わった点です。
けれども、変わらなかったものもあります。
それは、長者ヶ原廃寺跡の姿。
人は変わったものにはすぐ気づきますが、変わらないものには
すべて変わらないことはいいこととは思いません。
けれども、千年も変わらずあり続けられているものは、それだけ価値があるからなのではないでしょうか。
変わっていくものの中にある変わらないものにこそ、(西行が言うような)美があるような気がするのです。