今日は朝から雨。
こういう日は起きるのもつらい。
ここのところ騒がしい沖縄問題。一向に政府が結論をださない(させない)から一段と煩いのだが・・・どこに問題の主導権があるのか??
米国は、本音としては沖縄にこだわっていないと思う。
現在の技術から、そして社会情勢から見れは沖縄にいなきゃならない理由はない気がする。その上、いろいろ規制が厳しいとなれば・・・グアムの方が断然よいでしょうね。なにを持ち込んだって文句はないでしょうから。
それに引き変え、わが国は・・米軍がいなくなってしまえば、軍備は弱小、そして基地のまわりの生活環境も、バタンと変わってしまうでしょうね。つまり失業者が増えるということ。
現に北の方にある米軍基地は、米軍そのもが撤退したいの、地元の雇用がなくなるからと自治体から渋られているようなことを聞く。
その辺も考えにいれているんでしょうかね?国際社会を生き抜くというい考えがないのが現政府のような気がするんですけど。どっちむいてはしっているのやら・・ね。
○7月6日(月)
聖ピエール・聖ポール教会Église St-Pierre-et-St-Paulの見学を終えて外に出たkおばちゃん。さて、お次は・・
この教会は、以前はベネディクト派の修道院の一部だったところ。だから、幾ら修道院がなくなってしまっても、その痕跡は少しは残っているようです。
直ぐ脇の建物の外壁にはこんなレリーフが見えます。
ここは、十分の一税用の倉庫La Grange aux Dîmesと呼ばれていた建物らしい。
元々は "騎士団の家La Maison des Chevaliers"として1606年に建設されたものかしら?
向こうにちょっと屋根の形の変わった建物がみえますね。
これは『塩の家La Maison du Sel』と呼ばれる建物のようです。
元々は1448年に病院として建設されたとか。その後17世紀には食肉を処理するための(ハムやベーコンを作る?)塩を扱うところだったようです。だから『塩の家La Maison du Sel』なのね。
その向こうにも古い町並みが続きます。
あの建物も由緒有りげフランス国旗まで下がってます。
この道しるべは何かの形に似てますね。
そうそう、大鎌です。あの死神の持っている・・
さて、そろそろこの町ともお別れしないとね。リオ君の止めてある中心地に戻りましょう。
良いお天気なので、カフェのテラス席は大賑わいです。こちらのカフェでも
リオ君は良い子で待っていてくれました。さあ、そろそろドイツに戻りましょう。
川沿いというか、運河?お堀?沿いを走って町を出ます。
あっという間に国境です。さよならおフランスです。
ドイツとチェコの国境と違って、税関の後もありません。その昔はこの境を巡って国同志が対立してたんですよね。
kおばちゃんの友だちに言わせると、ここを境にドイツ側、とくに都市部は徹底的に第2次世界大戦の時に爆撃をうけたとか。
そういえば、カールスルーエもそうでしたね。
平和が一番・・と思っているkおばちゃんです。
こういう日は起きるのもつらい。
ここのところ騒がしい沖縄問題。一向に政府が結論をださない(させない)から一段と煩いのだが・・・どこに問題の主導権があるのか??
米国は、本音としては沖縄にこだわっていないと思う。
現在の技術から、そして社会情勢から見れは沖縄にいなきゃならない理由はない気がする。その上、いろいろ規制が厳しいとなれば・・・グアムの方が断然よいでしょうね。なにを持ち込んだって文句はないでしょうから。
それに引き変え、わが国は・・米軍がいなくなってしまえば、軍備は弱小、そして基地のまわりの生活環境も、バタンと変わってしまうでしょうね。つまり失業者が増えるということ。
現に北の方にある米軍基地は、米軍そのもが撤退したいの、地元の雇用がなくなるからと自治体から渋られているようなことを聞く。
その辺も考えにいれているんでしょうかね?国際社会を生き抜くというい考えがないのが現政府のような気がするんですけど。どっちむいてはしっているのやら・・ね。
○7月6日(月)
聖ピエール・聖ポール教会Église St-Pierre-et-St-Paulの見学を終えて外に出たkおばちゃん。さて、お次は・・
この教会は、以前はベネディクト派の修道院の一部だったところ。だから、幾ら修道院がなくなってしまっても、その痕跡は少しは残っているようです。
直ぐ脇の建物の外壁にはこんなレリーフが見えます。
ここは、十分の一税用の倉庫La Grange aux Dîmesと呼ばれていた建物らしい。
元々は "騎士団の家La Maison des Chevaliers"として1606年に建設されたものかしら?
向こうにちょっと屋根の形の変わった建物がみえますね。
これは『塩の家La Maison du Sel』と呼ばれる建物のようです。
元々は1448年に病院として建設されたとか。その後17世紀には食肉を処理するための(ハムやベーコンを作る?)塩を扱うところだったようです。だから『塩の家La Maison du Sel』なのね。
その向こうにも古い町並みが続きます。
あの建物も由緒有りげフランス国旗まで下がってます。
この道しるべは何かの形に似てますね。
そうそう、大鎌です。あの死神の持っている・・
さて、そろそろこの町ともお別れしないとね。リオ君の止めてある中心地に戻りましょう。
良いお天気なので、カフェのテラス席は大賑わいです。こちらのカフェでも
リオ君は良い子で待っていてくれました。さあ、そろそろドイツに戻りましょう。
川沿いというか、運河?お堀?沿いを走って町を出ます。
あっという間に国境です。さよならおフランスです。
ドイツとチェコの国境と違って、税関の後もありません。その昔はこの境を巡って国同志が対立してたんですよね。
kおばちゃんの友だちに言わせると、ここを境にドイツ側、とくに都市部は徹底的に第2次世界大戦の時に爆撃をうけたとか。
そういえば、カールスルーエもそうでしたね。
平和が一番・・と思っているkおばちゃんです。