今朝もものすごく寒かった。
あばら家住まいのkおばちゃんには辛い季節。なかなかお布団から出られません。
ここのところあまり触れなかったけど、政治の問題を見ているとあきれ果ててしまう。
今日職場に来た、来客が自分の意見を滔々と方って言ったけど、いわゆる元官僚の人物。高級官僚ではありませんけど、そばで見ていて『そういうあなたたちもこういう世の中にしたという一因があるとは自覚はないの?』と叫びたくなりましたよ。
いまだに民主主義の育っていない日本。何か悪いのは『誰かの』せい。なにか自分に恩恵の帰ってくる主張をしてくれれば支持する。こういう世の中にしたい・・という具体的な主義が国民の中にもない。
とくに、今の政権なんて中身もないのに皆に支持されちゃったのでますます大混迷でしょ。
議員定数を減らす、とか国会は夜開く(だれても傍聴できるし、リアル中継が見やすいでしょ)くらいの主義してくれる人いないですかね。
ばら撒き手当てなんかより、給食費の無料化のほうがよっぽど子供のためにも、地方自治体のためにもなるんだけどな・・だれも何でいわないんだろう・・と歯がゆく思っているkおばちゃんです。
○7月7日(火)
エバーバッハを出発したkおばちゃん。お次に向かったのは田舎道を50キロほど離れた場所です。
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バート・エムス(Bad Ems)という保養地です。
あんまり日本にはおなじみじゃないですね。
ラーン川Lahn沿いの人口一万に満たない小さな町です。
ただ、バートが着くようにいわゆる温泉の町で、その歴史はローマ時代に坂のぶることができるそうです。
なんで、そんな場所にkおばちゃんが向かったか・・ま、お友達の話を聞いたことがあったから、というのと帰国までに丁度ぽっかり時間があったから・・というのが本当の話です。
道筋はナビ様まかせ・・ばっちりご案内くださいました。
ただ、例によってバート・エムスの町にはついたのですが、中心地がどこだか・・といのは例によってkおばちゃんの適当にまかせます。
適当に建物の混んでいるところの適当に駐車車両の止まっている有料駐車場にリオ君を止めました。
そこからは、徒歩です。
こっちか・・
こっちか・・
郵便屋さんもいるし日も
あたってるのでこっちに行って見ましょう。
kおばちゃんの感も捨てたもんじゃないかもしれません。
『熱烈歓迎Herzlich willkommen』とありますね。きっと観光に重要なところでしょう。
これは何の建物でしょうかね?
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お、あそこに入るのはこのバート・エムスを有名にした方ヴィルヘルム1世 Wilhelm Iですね。
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彼はこの地が大好きで毎夏滞在していたそうです。当時のスペインは継承者がおらず、その跡継ぎをめぐってフランス、プロセイン(ドイツ)とも自分の勢力の及ぶ継承者をだしたくてうずうずしていたようです。
ヴィルヘルム1世の甥のホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家から継承者が出ようとしたことにあせったフランスはいちおうその継承を取り下げさせたものの、おじのヴィルヘルム1世に継承と利下げの確約を求め、さらに未来永劫権利を放棄する・・というようなことも求めたそうである。
で、バート・エムスを散歩中のヴィルヘルム1世をフランス大使がつかまえて、確約をせまったそうである。
当然後半の『将来の話』はきっぱり断った・・多分そんな約束はできないということでしょうが・・のだが、そのいきさつの電報をベルリンで受け取ったビスマルクは、フランス側が強行に放棄をせまったのを『断った』ということだけを強調して両国の世論を操作し、戦争、普仏戦争Deutsch-Französischer Kriegまでに導いてしまった。という出来事が俗にこの地名をとった『エムス電報事件Emser Depesche』といわれています。
でも、kおばちゃんはそんなことを偲びにやってきた・・訳でもありません。まあどんなところかな・・とは思いましたけどね。
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奥に見えるのはSpielbank Bad Emsです。いわゆるカジノですね。
そう、ここはドイツで最古のカジノで、1720年の開業だとか。そしてこのカジノのおかげで、あのオペレッタ『天国と地獄(地獄のオルフェOrpheé aux Enfers)』で有名なジャック・オッフェンバックJacques Offenbachが借金まみれのときに助け舟を出してあげた・・ということを友達からききました。
カジノは当然ながら昼間は
オヤスミですね。
カジノはラーン川沿いに建っています。
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で、この川沿いに見つけました。
この扉の上についている記念碑です。
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これによると、1858年から1870年にかけて滞在していたようですね。
だからでしょう。ここでは毎年Offenbach-festivalという音楽祭が開催されているようで、昨年2008年は丁度あの『天国と地獄(地獄のオルフェOrpheé aux Enfers)』作曲から150年だったようで、大々的にお祭りが行われたようですね。
もともと、オッフォンバッハはケルン生まれのドイツ人ヤーコプ・レヴィ・エーベルストJakob Levy Eberstという名前だったそうですが、俗称として父親の出身地オッフェンバッハOffenbachのJakobという名前になったのでしょうね。
で、彼はここに滞在中に
Les bavards (1862, Bad Ems) (Bavard et bavarde)
Il Signor Fagotto (1863, Bad Ems)
Lischen et Fritzchen (1863, Bad Ems)
Jeanne qui pleure et Jean qui rit (1864, Bad Ems)
Le Fifre enchanté, ou Le Soldat magicien (1864, Bad Ems)
Coscoletto, ou Le lazzarone (1865, Bad Ems)
La Permission de dix heures (1867, Bad Ems)
La Leçon de chant (1867, Bad Ems)
(イタリア語版のウイキペディアより)を作曲しているようです。
そうなんです、今回のkおばちゃんの旅の出発はパリでこのオッフェンバッハのお墓参りをしてますよね。
だから、お終いもオッフェンバッハで・・なんて思ったんですよ。単純な訪問理由でした。
ラーン川沿いの景色はちょっと変わった金色のたまねぎ屋根のある建物も見受けられます。
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川を徒歩で渡る橋もあります。
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こっちが下流
こっちが上流
ですね。
真ん中に見えるのがクーアハウスのようですが・・入りませんでした。
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昼下がりの保養地はどこも
ひっそりとしてます。
実は、このケーブルカーに
乗りたかったのですが・・・反対側を歩いたら乗り場がわかりませんでした。情けない・・
この建物は何でしょうか?旧市庁舎のようです。
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窓の周りに付いている鐘
がかわいいですね。
さてさて・・引き返しましょうかね。
あばら家住まいのkおばちゃんには辛い季節。なかなかお布団から出られません。
ここのところあまり触れなかったけど、政治の問題を見ているとあきれ果ててしまう。
今日職場に来た、来客が自分の意見を滔々と方って言ったけど、いわゆる元官僚の人物。高級官僚ではありませんけど、そばで見ていて『そういうあなたたちもこういう世の中にしたという一因があるとは自覚はないの?』と叫びたくなりましたよ。
いまだに民主主義の育っていない日本。何か悪いのは『誰かの』せい。なにか自分に恩恵の帰ってくる主張をしてくれれば支持する。こういう世の中にしたい・・という具体的な主義が国民の中にもない。
とくに、今の政権なんて中身もないのに皆に支持されちゃったのでますます大混迷でしょ。
議員定数を減らす、とか国会は夜開く(だれても傍聴できるし、リアル中継が見やすいでしょ)くらいの主義してくれる人いないですかね。
ばら撒き手当てなんかより、給食費の無料化のほうがよっぽど子供のためにも、地方自治体のためにもなるんだけどな・・だれも何でいわないんだろう・・と歯がゆく思っているkおばちゃんです。
○7月7日(火)
エバーバッハを出発したkおばちゃん。お次に向かったのは田舎道を50キロほど離れた場所です。
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バート・エムス(Bad Ems)という保養地です。
あんまり日本にはおなじみじゃないですね。
ラーン川Lahn沿いの人口一万に満たない小さな町です。
ただ、バートが着くようにいわゆる温泉の町で、その歴史はローマ時代に坂のぶることができるそうです。
なんで、そんな場所にkおばちゃんが向かったか・・ま、お友達の話を聞いたことがあったから、というのと帰国までに丁度ぽっかり時間があったから・・というのが本当の話です。
道筋はナビ様まかせ・・ばっちりご案内くださいました。
ただ、例によってバート・エムスの町にはついたのですが、中心地がどこだか・・といのは例によってkおばちゃんの適当にまかせます。
適当に建物の混んでいるところの適当に駐車車両の止まっている有料駐車場にリオ君を止めました。
そこからは、徒歩です。
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郵便屋さんもいるし日も
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kおばちゃんの感も捨てたもんじゃないかもしれません。
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これは何の建物でしょうかね?
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お、あそこに入るのはこのバート・エムスを有名にした方ヴィルヘルム1世 Wilhelm Iですね。
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彼はこの地が大好きで毎夏滞在していたそうです。当時のスペインは継承者がおらず、その跡継ぎをめぐってフランス、プロセイン(ドイツ)とも自分の勢力の及ぶ継承者をだしたくてうずうずしていたようです。
ヴィルヘルム1世の甥のホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家から継承者が出ようとしたことにあせったフランスはいちおうその継承を取り下げさせたものの、おじのヴィルヘルム1世に継承と利下げの確約を求め、さらに未来永劫権利を放棄する・・というようなことも求めたそうである。
で、バート・エムスを散歩中のヴィルヘルム1世をフランス大使がつかまえて、確約をせまったそうである。
当然後半の『将来の話』はきっぱり断った・・多分そんな約束はできないということでしょうが・・のだが、そのいきさつの電報をベルリンで受け取ったビスマルクは、フランス側が強行に放棄をせまったのを『断った』ということだけを強調して両国の世論を操作し、戦争、普仏戦争Deutsch-Französischer Kriegまでに導いてしまった。という出来事が俗にこの地名をとった『エムス電報事件Emser Depesche』といわれています。
でも、kおばちゃんはそんなことを偲びにやってきた・・訳でもありません。まあどんなところかな・・とは思いましたけどね。
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奥に見えるのはSpielbank Bad Emsです。いわゆるカジノですね。
そう、ここはドイツで最古のカジノで、1720年の開業だとか。そしてこのカジノのおかげで、あのオペレッタ『天国と地獄(地獄のオルフェOrpheé aux Enfers)』で有名なジャック・オッフェンバックJacques Offenbachが借金まみれのときに助け舟を出してあげた・・ということを友達からききました。
カジノは当然ながら昼間は
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カジノはラーン川沿いに建っています。
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で、この川沿いに見つけました。
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この扉の上についている記念碑です。
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これによると、1858年から1870年にかけて滞在していたようですね。
だからでしょう。ここでは毎年Offenbach-festivalという音楽祭が開催されているようで、昨年2008年は丁度あの『天国と地獄(地獄のオルフェOrpheé aux Enfers)』作曲から150年だったようで、大々的にお祭りが行われたようですね。
もともと、オッフォンバッハはケルン生まれのドイツ人ヤーコプ・レヴィ・エーベルストJakob Levy Eberstという名前だったそうですが、俗称として父親の出身地オッフェンバッハOffenbachのJakobという名前になったのでしょうね。
で、彼はここに滞在中に
Les bavards (1862, Bad Ems) (Bavard et bavarde)
Il Signor Fagotto (1863, Bad Ems)
Lischen et Fritzchen (1863, Bad Ems)
Jeanne qui pleure et Jean qui rit (1864, Bad Ems)
Le Fifre enchanté, ou Le Soldat magicien (1864, Bad Ems)
Coscoletto, ou Le lazzarone (1865, Bad Ems)
La Permission de dix heures (1867, Bad Ems)
La Leçon de chant (1867, Bad Ems)
(イタリア語版のウイキペディアより)を作曲しているようです。
そうなんです、今回のkおばちゃんの旅の出発はパリでこのオッフェンバッハのお墓参りをしてますよね。
だから、お終いもオッフェンバッハで・・なんて思ったんですよ。単純な訪問理由でした。
ラーン川沿いの景色はちょっと変わった金色のたまねぎ屋根のある建物も見受けられます。
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川を徒歩で渡る橋もあります。
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こっちが下流
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こっちが上流
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真ん中に見えるのがクーアハウスのようですが・・入りませんでした。
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昼下がりの保養地はどこも
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実は、このケーブルカーに
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この建物は何でしょうか?旧市庁舎のようです。
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窓の周りに付いている鐘
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さてさて・・引き返しましょうかね。