不注意にも、携帯用音楽プレーヤーの『ドッグ』と呼ばれる部分を・・・踏み潰してしまった。
象のようなkおばちゃんに乗っかられたんだから・・たまったもんじゃない。もちろん御昇天あそばしてしまった。
で、代わりのものを買おうと思ってネットで純正品を調べたら・・3800円もする!!
新品ワンセットが4800円で売ってるのに・・トホホ・・
で、帰りに量販店に寄ってみた。純正品じゃないけど使えそうなものが780円であり一安心。
それにしても・・4年も経ってしまったからなのか型落ちしただけでねえ・・エコじゃないと思いましたよ。
ついでに、携帯も下見を。いえ、化石人間kおばちゃんの携帯は、もう直ぐサーヴィスを終える・・なんて勝手なことをいってきて、機種変更をせざる得なくなってきた。
まったく、勝手に変えやがって!
で、どんな機種があるか見に行ったのである。
先日地方にいった時に、携帯の電波は入るのに△padの電波は入らない・・ということがあったので、通信会社は今までどおり元祖で行こうと思っているのですが、やっぱりスマートフォンの魅力も・・ということで、元祖の会社からもお隣の国製の似たようなものが出というので興味もあったんです。
売り場のお兄ちゃんに△phonとどう違うのか聞いたら・・スカイプが使えないということぐらいらしい。
外国で使用する時はスカイプだと料金がかからないからよいな・・と思ってたんですけどね。もう少し考えよ。
あ、kおばちゃんの携帯は通信料が500円もかかってなくて。
○6月30日(水)
クトナー・ホラKutná Horaの通称石の家kamenný důmの坑道ツアーを終えたkおばちゃん。さて、お次は・・そうだあそこに行って見ましょう。
と言って向かったのはここVlašský dvůr通称イタリア宮です。
この建物のはっきりとした起源はわかっていないよか。とりあえず、13世紀の終りに建てられたという文書が見られるということです。
で、もともとはさっきkおばちゃんがいた石の館HRÁDEKと同じ目的・・貨幣を造る・・で造られていたようです。
で、VLAŠSKÝ DVŮRという名前が文書に見られるのは1401年になってからのようです。
そして王立造幣局centrální královskáとして、また会議所として機能していたのかな?
そうそう、イタリアの貨幣も作っていたので『イタリア宮』なんでしょうかね?
貨幣の鋳造にあたって、監視役として沢山のイタリアン人も派遣されていたようですからね。
ここから建物の中庭に入り ます。
中庭では・・あらあら日本語が・・わが同朋の団体さんがいらっしゃいました。
皆さんはここから2階に向かってゆきました。
後にくっついていって、いやな顔をもろにされるのも気分がわるいので・・躊躇してしまいます。
まったく、団体さんになると・・どうしていやな顔・・特に添乗員さんに・・されてしまうんでしょうね。
他の国の団体さんでこんな目にあったことはありませんけどね。なんと閉鎖的なんでしょうね。
インフォメーションがあったので、ここで見学のことを聞いてみるとガイドツアーがあって・・次の回は40分も待つとか。
kおばちゃんが『個人じゃ回れないの?』と聞くと・・『今から前の回のツアーに合流して、後で一人で2階を見るという方法もあります。そのために解説書を貸してあげます』と提案されて・・とびついたkおばちゃんです。
だって・・40分も待ってたら・・お次の予定が狂ってきますからね。
ということで、途中で参加!です。
説明途中ですので・・半分勝手に見ています。
古い銀貨・・たぶん・・です。これはヴァーツラフ2世Václav II 在位 (1278年 - 1305年)
拡大するとこんな感じです。
こちらはヴァーツラフ2世Václav II の像。近代のものでしょうね。
こちらはすこし時代が経って、ルドヴィークLudvík Jagellonský在位(1516年 - 1526年)のもの。
大きさも少し小さいよう気がします
他にも解説はいろいろあり
王冠の形が違うだけど・・人相は一緒ですね。
ガイドさんの説明はたしか英語もあった記憶が・・忘れてます。
で、kおばちゃんの興味を引いたのは・・この表です。各時代の物価を計り知ることが出来ます。
で、たとえば『馬Kůň』の場合、
ヤン・ルクセンブルクJan Lucemburský在位(1310年~1346年)には120から450なのに、
ルドルフ2世RudolfII在位(1576年~1612年)では1030で、280年の間に物価は約8倍ということですね。
280年間で8倍というのは・・インフレ・・と言う感じはしないのかな?
そのほか、こんなものも・・銀貨を打ち出す刻印機。上からハンマーでたたくのかな?
ここで聞いたのか・・前の石の家で聞いたのか・・忘れましたが、刻印等の作業時には自国(貨幣の流通国)の監察官が必ずついていた・・ということです。
最後に・・このころの大都市の名前が・・
こちらはkおばちゃんが去年滞在したリトミシュルLitomyšlですかね。
ここにも博物館に確か古い貨幣があったとおもいます。
こちらはkおばちゃんが今滞在しているイフラヴァJihlavaですね。
間に合ってよかった!と思ったkおばちゃんです。
象のようなkおばちゃんに乗っかられたんだから・・たまったもんじゃない。もちろん御昇天あそばしてしまった。
で、代わりのものを買おうと思ってネットで純正品を調べたら・・3800円もする!!
新品ワンセットが4800円で売ってるのに・・トホホ・・
で、帰りに量販店に寄ってみた。純正品じゃないけど使えそうなものが780円であり一安心。
それにしても・・4年も経ってしまったからなのか型落ちしただけでねえ・・エコじゃないと思いましたよ。
ついでに、携帯も下見を。いえ、化石人間kおばちゃんの携帯は、もう直ぐサーヴィスを終える・・なんて勝手なことをいってきて、機種変更をせざる得なくなってきた。
まったく、勝手に変えやがって!
で、どんな機種があるか見に行ったのである。
先日地方にいった時に、携帯の電波は入るのに△padの電波は入らない・・ということがあったので、通信会社は今までどおり元祖で行こうと思っているのですが、やっぱりスマートフォンの魅力も・・ということで、元祖の会社からもお隣の国製の似たようなものが出というので興味もあったんです。
売り場のお兄ちゃんに△phonとどう違うのか聞いたら・・スカイプが使えないということぐらいらしい。
外国で使用する時はスカイプだと料金がかからないからよいな・・と思ってたんですけどね。もう少し考えよ。
あ、kおばちゃんの携帯は通信料が500円もかかってなくて。
○6月30日(水)
クトナー・ホラKutná Horaの通称石の家kamenný důmの坑道ツアーを終えたkおばちゃん。さて、お次は・・そうだあそこに行って見ましょう。
と言って向かったのはここVlašský dvůr通称イタリア宮です。
この建物のはっきりとした起源はわかっていないよか。とりあえず、13世紀の終りに建てられたという文書が見られるということです。
で、もともとはさっきkおばちゃんがいた石の館HRÁDEKと同じ目的・・貨幣を造る・・で造られていたようです。
で、VLAŠSKÝ DVŮRという名前が文書に見られるのは1401年になってからのようです。
そして王立造幣局centrální královskáとして、また会議所として機能していたのかな?
そうそう、イタリアの貨幣も作っていたので『イタリア宮』なんでしょうかね?
貨幣の鋳造にあたって、監視役として沢山のイタリアン人も派遣されていたようですからね。
ここから建物の中庭に入り ます。
中庭では・・あらあら日本語が・・わが同朋の団体さんがいらっしゃいました。
皆さんはここから2階に向かってゆきました。
後にくっついていって、いやな顔をもろにされるのも気分がわるいので・・躊躇してしまいます。
まったく、団体さんになると・・どうしていやな顔・・特に添乗員さんに・・されてしまうんでしょうね。
他の国の団体さんでこんな目にあったことはありませんけどね。なんと閉鎖的なんでしょうね。
インフォメーションがあったので、ここで見学のことを聞いてみるとガイドツアーがあって・・次の回は40分も待つとか。
kおばちゃんが『個人じゃ回れないの?』と聞くと・・『今から前の回のツアーに合流して、後で一人で2階を見るという方法もあります。そのために解説書を貸してあげます』と提案されて・・とびついたkおばちゃんです。
だって・・40分も待ってたら・・お次の予定が狂ってきますからね。
ということで、途中で参加!です。
説明途中ですので・・半分勝手に見ています。
古い銀貨・・たぶん・・です。これはヴァーツラフ2世Václav II 在位 (1278年 - 1305年)
拡大するとこんな感じです。
こちらはヴァーツラフ2世Václav II の像。近代のものでしょうね。
こちらはすこし時代が経って、ルドヴィークLudvík Jagellonský在位(1516年 - 1526年)のもの。
大きさも少し小さいよう気がします
他にも解説はいろいろあり
王冠の形が違うだけど・・人相は一緒ですね。
ガイドさんの説明はたしか英語もあった記憶が・・忘れてます。
で、kおばちゃんの興味を引いたのは・・この表です。各時代の物価を計り知ることが出来ます。
で、たとえば『馬Kůň』の場合、
ヤン・ルクセンブルクJan Lucemburský在位(1310年~1346年)には120から450なのに、
ルドルフ2世RudolfII在位(1576年~1612年)では1030で、280年の間に物価は約8倍ということですね。
280年間で8倍というのは・・インフレ・・と言う感じはしないのかな?
そのほか、こんなものも・・銀貨を打ち出す刻印機。上からハンマーでたたくのかな?
ここで聞いたのか・・前の石の家で聞いたのか・・忘れましたが、刻印等の作業時には自国(貨幣の流通国)の監察官が必ずついていた・・ということです。
最後に・・このころの大都市の名前が・・
こちらはkおばちゃんが去年滞在したリトミシュルLitomyšlですかね。
ここにも博物館に確か古い貨幣があったとおもいます。
こちらはkおばちゃんが今滞在しているイフラヴァJihlavaですね。
間に合ってよかった!と思ったkおばちゃんです。