Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

歴史の谷間の教会(クトナー・ホラ)

2010-10-10 23:57:32 | チェコ
今日はお休み2日目。静かに過ごしております。

昨晩一緒にいたお仲間でもう直ぐパパになるという男性の話で・・ああ、そうよね、と思ったことがあった。
それは、検診についていった時のお話。

彼らのところは順調にいっていたので気にしていなかったのだが、突然隣の診療室から激しい慟哭が聞こえてきた。というのです。
どうも、『流産』を告げられたようで・・こんな微妙な診療結果を、筒抜けの診療室で告げるなんて・・と心が痛くなったと言ってました。

確かに日本の診察室は、片側、待合室側はドアーで仕切られているものの、中はまるで馬房のよう。スタッフが行き来する側はカーテンのみで筒抜けなのよね。

確かに働きやすいだろうけど・・なんとかならんもんでしょうかね。とkおばちゃんもかねがね思っておりました。

○6月30日(水)

クトナー・ホラのイタリア宮の見学をさっさと勝手に終えたkおばちゃん。
お次に向かったのは・・ヒュンダイ君の待っている方向です。

そこは聖バルボラ教会Chrám Sv. Barboryですの脇の小道でありまして・・ええ。聖バルボラ教会の前を通ることになります。

そうなると、やっぱり中に入っておかないとね・・
このような方にも見下ろされておりますから・・ね。

入り口前のこの数字1894?は年号でしょうかね。

内部は18時まで見学できるようです。比較的長いような気もしますね。

内部は・・言語別といっても日本語はなかったけれども、説明書をかりて見学します。

そうそう、この教会はもともとは、隣の地区セドレツ区Sedlecにあった修道院があったにもかかわらず、非協力的だったことや、この町が銀鉱山の町として栄えていくないかで形成されていったようです。

バルボラ教会Chrám Sv. Barboryは鉱夫たちの守護神聖バルボラを祈念して、1388年に着工され、当初はプラハの聖ヴィート大聖堂Katedrála svatého Vítaのペトル・パルレーシュ一族の手に委ねられたようでしたが、紆余曲折、フス戦争に巻き込まれたりし歴史の谷間に翻弄され、その建設は中断を余儀なくされ、結局出来上がったとされるのは20世紀になってからの1905年のことといわれているそうです。

聖壇に飾られているのはこれ最後の晩餐の木彫のようです。

2階後部にには立派なパイプオルガンです。

あら、天井にちょっと特徴がありますね。後期ゴシック様式だとか。


こちらの絵は1400年代の古いもののようです。

ステンドグラスも美しく輝き荘厳さをかもし出しています。

そんな中で歴史のありそうなフレスコ画がありました。

ほら、鉱夫のシンボルハンマーが紋章に描かれていますね。


さ、駆け足の見学はおしまい。ヒュンダイ君の下へ・・

急がないと・・お次のメインを見逃ししまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする