Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

ビールとワインと・・(イフラヴァ)

2010-10-15 19:20:42 | チェコ
昨日は、ちょっとお忙しくて・・アップできませんでした。
なんせ年に一度の美味しい・・ご用で。

でも、年々美味しさ縮小なのよね。これも仕分けされちゃったのかしら・・
表彰式の花束嬢も自前になってたし・・コンパニオンのお嬢さんも数が・・

こらこら。そんなこと気にしてないでちゃんとお仕事せんかい!!って怒られそうですね。

今日、横目で見ていた国会中継・・なんだかな・・
余計なお世話で、参考人で発言していた公務員の身を案じるふりをしながらなんとなく口止め指定用に思える官房長官の発言とか・・大体K総理は・・言い方悪いけど○小企業のくらびれた中間管理職にしかみえないんですけど・・

チリの鉱山救出のようなエネルギーの感じられないのってなんだか情けない気がしますね。

そういえば、チリって安くて美味しいワインの生産国・・って言うくらいのイメージしかなかったんですけど、これで一躍有名国家??ですかね。
kおばちゃんなんか南米大陸のこのへん・・というのもやっと覚えたような状態です。ゴメンナサイですね。

○6月30日(水)

イフラヴァJihlavaの町のスーパーでお買い物を楽しんだ?kおばちゃん。お宿に戻ります。
ここのスーパーは考えて見たら歩いたって行ける距離・・だけど重たいものも買ったからヒュンダイ君でよかったですね。

お宿に戻ったら・・昨日ヒュンダイ君を止めた路上は・・もう先客が降り・・もう少し下の離れた場所の駐車とあいなりました。
いえ、空いている路上はもう少し近くにはあったんですけど、レッカー移動のマークがみえちゃったりしたので辞めたのです。
後で地図をみたら・・どうも警察のようでして・・ああよかった!と自分の感を褒めて上げたkおばちゃんです。

お買い物した品をお部屋に入れて・・・荷物整理。
そういえば、明日は移動だし・・観光情報も仕入れなきゃ・・と食堂というかレストランに向いました。
でも、昨日のようにお外では食べません。だってお外の席だとWIFIが繋がらないんです。

室内で頂きながら・資料を調べとようという魂胆です。
まずは・・ビールですね。チェコですから

今日も一日、我慢してました。だから美味しい!!暑かったし・・

ビールのお供はちょっと控えめにしてみました。

お昼はがっつり食べてますしね。

ビールのつまみですね。オリーブサラダです。健康的でしょ?

でもね・・・お部屋に戻ってまた部屋飲みです。だって・・さっきスーパーで仕入れましたから。

仕入れたのはこんなものです。


ジャンクフードのパプリカチップスと、パスタのサラダです。
さっきのスーパーで計り売りしていたのをみて食べたくなってしまったのです。

デ、お供のワインは・・冒頭の画像のものです。

このワインは裏側はこんな感じです。

名前は『Víno Mikulov Svatý Urban 』日本語だとミクロフの聖ウルバンのワインですかね。赤červenýです。
この聖ウルバンとはウルバヌス1世のこと、222年~230年ローマ教皇でらっしゃた方です。

なんで、このワインを選んだか・・たしかチェコ製のワインで一番安かったから??だったような記憶が・・
選択理由の一番安いというのは、高いワインで不味かったら『損した』気分になるけど、安ければ不味くてもあきらめがつく・・と言う事だったと思います。

チェコはビールの有名な国ですよね。でも、実はワインも造っているんです。有名じゃないけど。
場所はミクロフMikulovという人口8000人そこそこの村だそうです。

多聞唯一でしょうか?チェコでワインの生産をしているのは。googleさまに寄るとこんな南部です。


オーストリアとの国境の直ぐ側ですね。

で、このワインを頂きながらだらだらとお部屋で過ごしたkおばちゃんです。

今日も一日楽しかったですね。明日はどんな・・・??

あ、肝心のワインのお味は・・・記憶にない・・ということは特にまずくはなかったけど、お値打ちのあるような味ではなかった・・ということでしょう。
それなり・・・だと思います。はい。
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AKCEはセールの印?(イフラヴァ)

2010-10-13 18:41:31 | チェコ
今日も朝方は雨・・
でも、家を出るころは止んでくれているので助かる。だって・・荷物が多いので。

そう言えばチリの鉱山で救出が本格的に始まった。そうそう、鉱夫の『マイナー』という言葉が聞こえてきて懐かしいです。

日本の報道でなされていたのかどうか・・知らないけど、彼らの救出順番はどうも、鉱夫たちの自主意見で最終的には決まったようだ。
当初は順番でもめたとか。で、なんで揉めたか・・・皆、最後の一人になりたかったという。
で、その理由が『ギネスブックに載るから』だそうで・・いえ、なんだかこの緊張感のなさがきっと生き延びられる能力なんだろうな・・と納得してしまったkおばちゃんです。

さすがお昼の報道で、最初の一人が救出される時、息子が傍らでウルウルしているのを見てもらい泣きをしたkおばちゃんです。よかった!!

でもな・・報道の人間は救出の手順を一生懸命説明して『簡単な健康診断を受けた後に家族と再会する予定です・・』って言っている後ろの画面で、救出したその場で家族が対面してるんですけど・・ああいう場面の臨機応変さってないのでしょうかね??と思わず能力を疑ったkおばちゃんです。
画面を見ながら『もう、面会してるやんけ!!』と一人で突っ込みを入れてました。

○6月30日(水)

さてさて、グロイ、クトナーホラの教会納骨堂の見学の後は・・真っ直ぐ今晩もお宿のイフラヴァ
Jihlavaにご帰還です。
ナビ様は優秀にお導きくださいます。ああ・・残念なのは折角高速券を買ったのに・・・利用するルートというか周りに高速がないんですよね・・

渋滞にはまることもなく・・約1時間で町に戻りました。
で、戻り掛けて・・・気が変わりました。そう、スーパーマーケットの看板に誘惑されてしまったのです。
その看板は昨日町に入るときにも見かけました。
よーーく考えて見たら・・もしチェコでスーパーに行くとしたら・・今日しか時間が無いかもしれません。

ナビ様は優秀にもお宿への道をお導きくださいますが・・・無視です。スーパーの看板に従って進んだkおばちゃんです。

看板どおりすすむと・・そこは地下駐車場でした。


とえいあず、車がそこそこ止まっていそうな所にヒュンダイ君を止めました。

なんとなく・・・引き寄せられるように1階へのエスカレーターというかコンベヤーのようなものに乗りました。


あら、スーパーというよりは・・ショッピングセンターですね。

色々なお店が入っているようです。でも、kおばちゃんの一番の興味は・・食料品ですから。


こういう時は鼻の聞くkおばちゃんになります。

吸い寄せられたのはIntersperというチェーン店です。ドイツやオーストリアでも見かけるお店ですね。

で、最初に目に付いたのは・・このコーナー。

チェコといえばビールですよね。でも、これをもって帰る訳には行きません。
そうそう、冒頭の画像にもありますがこのポップのAKCEという言葉が気になりました。
どうも、イベントというような意味のようですが・・・kおばちゃんが感じたのは『セール』という感じで使われてるということです。
目玉商品ですね。

ビールに比べるとこのワインのボトル・・・大きいですが値段も大きいですね。

kおばちゃんはチェコワインが興味を引きました。

確か南の方で造られている・・というのは聞いたことがありますが飲んで見たことはありません。

ということで、旅のお供にこのあたりをお買い上げいたしました。

その他にも果物少々・・そしてフレーバーティーなんかはお土産用に。

買い物に必死になりすぎて・・画像がないのは残念です。

無事お買い物を済ませてホテルに向うkおばちゃんでした。


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町の回り方(クトナー・ホラ)

2010-10-12 17:44:12 | チェコ
今日は・・休み明けで今ひとつ気分がのらない。
暇・・と言う訳ではないのだけれど、何一つ中途半端な感じ。

そういえば、昨日使えなくなったバスカードを払い戻した。
kおばちゃんの生活範囲では、バスに乗ることはめったにないのだけれど、バスカードの方が断然お徳だったので、所持していたバスカード。気が付くと、利用が終っておりました。

みーーんな、ICカードに統合されてしまっていて・・利用者に金銭的なお徳がなくなってしまった。残念。
考えて見たらICカードの決済って、銀行いらずなのかしらね。
チャージは駅の窓口やコンビニでしょ?少なくとも駅の窓口だったら・・相殺勘定で処理??なんて思ったkおばちゃんです。

銀行へゆくと、やれここに署名しろ、ハンコを押せ。。と厳しい。
何時だったか、お金持ちの上司が奥様のお使いで銀行へゆきお金をおろそうとしたら、金額変更が出来なかった・・と不満を漏らしていた。
いえ、日ごろから素行のよろしくない元上司は奥様の信用度ゼロ!で、払い戻し請求書に金額を記入されてハンコを押された物を持たされてきたのである。
もちろん、元上司名義の通帳。で、残高を覗いたら・・・1000万以上あったのよね。普通預金に。で、もう少し払い戻し金額を増やして・・お小遣いにしようと目論んだらしいのだが・・窓口でいくら『これぼくの通帳なんだけど・・』『本人の証明はできるんだけど』と訴えても『ハンコがなければ金額変更はできません!!』と断られた・・と、嘆いておりました。

まあ、そういうことしそうな御仁だったから、奥様も記入済み払い戻し請求書を持たせたんでしょうね。
いえ、本人よりも銀行さんの方が厳しい・・というお話の一端でした。

○6月30日(水)

セドレツ納骨堂Kostnice Sedlecの装飾??はゲージツか慰霊かわかりませんが、人間の体に関する感覚が違うことを実感いたしました。
あ、もちろんどちらが良いとか悪いとか・・の問題ではないのですよね。

よく、事故なんかに遭遇したとき、骨のかけらでも求めるのが日本人。遺体にこだわらないのが西洋人ときいたことがあります。
魂が何処に存在するか・・・頭では『千の風にのって』ではありませんが、直ぐ側に何時でもいるような気がしていても、根本的には遺体の遺骨のあるところに留まっている・・と考えてしまうのが我々のような気がします。

でも、アレだけの骸骨を見ても・・ちっとも『怨念』を感じなかったのは・・魂が抜け出ちゃってるから?・それとも相互作用??なんて変なことを考えたのも事実です。

このセドレツ納骨堂Kostnice Sedlecは全聖人教会Kaple Všech svatýchということもあり、普通の景色の所もあります。

たとえば、このような十字架とか・・たしかに装飾は乏しいです。

このような聖画もありますからねこの部分だけみると・・グロくないですけどね。

天井を見れば・・この葱間の景色ですので・・


外に出、太陽の光を浴びたら少しは人間界に戻った気分です。

そうそう、この画像で入り口のところに佇んでいる男性が、さっき修道士の君です。衣装を脱いだところです。

でも、こうやって入り口から中を覗くとやっぱり・・グロテスクですね。


お堂から出てきて気が付きました入り口の報道の敷き石です。このマークはなんだかヒョウタンツギを思い出させます。

そうそう、出口のところというか入り口の所で気が付いたのが冒頭の画像。大きくするとこれです。


この、セドレツSedleとクトナー・ホラKutná Horaを結ぶ観光用のミニバスの宣伝です。

この二つの地区は・・近いような近くないような・・微妙な距離です。googleさまによると
こんな感じの距離です。

kおばちゃんのようにヒュンダイ君みたいな車があれば特に問題はないのですが、公共の交通機関を利用しての観光は・・効率的ではありませんね。

クトナー・ホラの町自体は駅から少し離れていますしね。
で、効率的な周り方としては・・Kutna Hora Hlavni Nadraziクトナー・ホラ中央駅よりも一個先のKutna Hora Sedlec駅から降りてこの地区を先に見学する・・かここからシャトルバスで回る・・というのが効率的なのかな??と思った次第です。

ここセデレツ地域のもう一つの世界遺産、Kostel Nanebevzetí Panny Marie マリア被昇天教会と修道院があるのですが・・時間切れであきらめたkおばちゃんです。

ほらヒュンダイ君の先の・・・

そのまた少し先にお姿だけは見えます。

さ、すっぱりとあきらめて・・帰りましょう。イフラヴァへ・・
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究極のエコ!!(クトナー・ホラ)

2010-10-11 23:07:44 | チェコ
今日もお休み。楽しいな。
で、今日はお天気も良かったし・・久しぶりにお布団が干せた。

ここのところゆっくりと眠れるし幸せなことでございます。

そうそう、昨日やっと最後の一人も解放されましたね。C国に拘束されていた人たちです。
いえ、kおばちゃんも人事とは思えなくて・・昨年のお正月に、ほらキプロスで拘束されかかったことがあったでしょ?
あれも、軍需施設(英国の)と気がつかずに撮影していて止められたんですよね。
あの時は『削除しろ!!』だけですんだけれど・・

今回のたぶん拘束はタイミングの問題でしょうね。それと・・バックが強かった(企業)だったということがかえって相手には好都合。
物事を大きくしやすいですからね。

拘束と言う行為は、本来は『危険分子を捕らえる』と言う意味だったのでしょうが、現在の国際情勢の中では、『相手の国にいかにダメージを与えられるか』という捕らえたほうの論理が見え隠れするような気がします。

だから、kおばちゃんみたいな何の価値もない人間を拘束しても、相手国の価値はないでしょうし、手続きがめんどくさいだけ。ちょっと脅しておけばよい・・というところでしょう。
国際交渉の材料になんかなりませんからね。ただのおばさんじゃ。

に比べて、大企業のしかも現地で事業活動を計画していたり実際に行ってる人間だったら・・交渉も楽だし、なによりも相手にダメージをつけやすい・・という状況だったんじゃないかと思います。

それにしても・・・最初に『ご迷惑をおかけしました。』と頭を下げさせるマスゴミってなにさまでしょうかね。


○6月30日(水)

  今日のネタはグロテスクですのでお嫌いな方は・・・ごめんなさい。




さて、クトナー・ホラの主な見所をざざざっと見学を終えたkおばちゃん。
実はもう一箇所行きたいというか見たいものがありました。で、早々に引き上げたのでした。

そこは、クトナー・ホラと同時に世界遺産に登録はされていますが、kおばちゃんの目指したところは隣町とでも言うのでしょうかセドレツ地区にあります。
お昼を食べていた時に、東洋人のご夫人に行きかたを聞かれたのもここです。
で、そのあとインフォメーションで聞いてみたのです。すると・・車で10分ぐらいなんていわれました。

2番目のロータリーを回って・・大体言われたとおりで辿り着きました。
この地区には2つの建物が世界遺産に登録されています。とりあえずは第一の目的に向かうkおばちゃんです。

駐車場は・・わかりませんので、はい適当に路駐でございます。すみません。
お許しください、でお守りくださいと堂々とこの横に駐車したkおばちゃんです。

どうやらあの建物がkおばちゃんの目指すもののようです。

時間はまだ大丈夫かな?5時前ですなんとか大丈夫でした。

で、ここで入場券を買おうと思って少し迷いました。
他の建物も見ることが出来る・・回数券のようなもの・・があたのですが、それを買ってもう一つの建物をみようか・・と思ったのです。
でも、受付の女性に『あちらは5時までだから・・無理よ』といわれてしまいました。ああ残念。だからシングルチケットを購入せざる得ませんでした。

そうそう、この建物はセドレツ納骨堂Kostnice Sedlecと呼ばれているところ。全聖人教会Kaple Všech svatýchとも呼ばれています。
なぜ、全聖人なのか・・は中を見るとよーーく判ります。

階段を下りると聖堂がありますが上の画像でももうわかりますね。

側面にはこんなものもあります。 

なんともシュールでしょ?もちろん天然ものです。人造ではありませんl。

もともとこの地はシトー派の教会の修道院が1142年にこの地に出来、このあたりは修道士によって開発開墾されていったそうです。
そうそう、その開墾の一端で、草花に詳しい修道僧が、銀鉱山に特有な植物を見つけてクトナー・ホラの銀鉱山の存在を知ったのではないか・・という説もあるそうです。

1278年オルタカ2世の命をうけたインドジッフ修道院長は聖地エルサレムへと赴き、帰りにゴルゴダの丘の土を一掴み持ち帰り、この地の墓地にまいたとか。
で、ここの墓地はこのボヘミア地方ではステイタスのある有名な墓地となったそうです。

14世紀のペストの流行、15世紀初頭のフス戦争などで埋葬人口はぐっと増えたそうです。
従って、ひらたく言えば、埋葬する場所の整理を行う必要性から既に埋葬されていて白骨化した骨を整理したのがはじまり・・ということのようです。
1400年に聖堂が建てられその地下に廃止される墓の遺骨をあつめ・・1511年からは半盲の修道士によって本格的な収集がはじまったようです。

それがこんな形になって集められ祭られています。

頭蓋骨の向こうにみえるのは、大腿骨の山です。ここまであつまると・・

このシュバルツェンベルグ家紋章も、もちろん人骨でできています。

その後1703年から1710年にかけて、イタリア系チェコ人建築家のヤン・ブラジェイ・サンティニ・アイヒェル Jan Blažej Santini Aichel にり地上部分と入り口がボヘミア後期バロック様式に改築されたそうです。

で、中身のほうは木彫家フランチーシェック・リントによって骨を使った装飾が作られたそうです。

その骨を使った装飾とはこんなものです。

下のほうの三角形の骨組みはどうも『ベル(鐘)』をあらわしていようです。

その天辺には蓋骨を抱いた天使がおります。

けっしておどろおどろしくはありませんけど、やっぱりキリスト教の趣味にはついてゆけん・・とおもったkおばちゃんです。

ちなみにフランチーシェック・リントは、自分の名前まで骨で装飾してます。

骨の大シャンデリア越しに入り口を眺めるの図です。

この日は丁度何かの撮影かこんな修道士もご出演でした。

それにしてもすごい眺めですねよね。


で、グロついでに・・ここまでくると『葱間』だなと思ったkおばちゃんです。


究極のエコの芸術だと思ったkおばちゃんです。
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歴史の谷間の教会(クトナー・ホラ)

2010-10-10 23:57:32 | チェコ
今日はお休み2日目。静かに過ごしております。

昨晩一緒にいたお仲間でもう直ぐパパになるという男性の話で・・ああ、そうよね、と思ったことがあった。
それは、検診についていった時のお話。

彼らのところは順調にいっていたので気にしていなかったのだが、突然隣の診療室から激しい慟哭が聞こえてきた。というのです。
どうも、『流産』を告げられたようで・・こんな微妙な診療結果を、筒抜けの診療室で告げるなんて・・と心が痛くなったと言ってました。

確かに日本の診察室は、片側、待合室側はドアーで仕切られているものの、中はまるで馬房のよう。スタッフが行き来する側はカーテンのみで筒抜けなのよね。

確かに働きやすいだろうけど・・なんとかならんもんでしょうかね。とkおばちゃんもかねがね思っておりました。

○6月30日(水)

クトナー・ホラのイタリア宮の見学をさっさと勝手に終えたkおばちゃん。
お次に向かったのは・・ヒュンダイ君の待っている方向です。

そこは聖バルボラ教会Chrám Sv. Barboryですの脇の小道でありまして・・ええ。聖バルボラ教会の前を通ることになります。

そうなると、やっぱり中に入っておかないとね・・
このような方にも見下ろされておりますから・・ね。

入り口前のこの数字1894?は年号でしょうかね。

内部は18時まで見学できるようです。比較的長いような気もしますね。

内部は・・言語別といっても日本語はなかったけれども、説明書をかりて見学します。

そうそう、この教会はもともとは、隣の地区セドレツ区Sedlecにあった修道院があったにもかかわらず、非協力的だったことや、この町が銀鉱山の町として栄えていくないかで形成されていったようです。

バルボラ教会Chrám Sv. Barboryは鉱夫たちの守護神聖バルボラを祈念して、1388年に着工され、当初はプラハの聖ヴィート大聖堂Katedrála svatého Vítaのペトル・パルレーシュ一族の手に委ねられたようでしたが、紆余曲折、フス戦争に巻き込まれたりし歴史の谷間に翻弄され、その建設は中断を余儀なくされ、結局出来上がったとされるのは20世紀になってからの1905年のことといわれているそうです。

聖壇に飾られているのはこれ最後の晩餐の木彫のようです。

2階後部にには立派なパイプオルガンです。

あら、天井にちょっと特徴がありますね。後期ゴシック様式だとか。


こちらの絵は1400年代の古いもののようです。

ステンドグラスも美しく輝き荘厳さをかもし出しています。

そんな中で歴史のありそうなフレスコ画がありました。

ほら、鉱夫のシンボルハンマーが紋章に描かれていますね。


さ、駆け足の見学はおしまい。ヒュンダイ君の下へ・・

急がないと・・お次のメインを見逃ししまいます。

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窓は・・(クトナー・ホラ)

2010-10-09 23:59:18 | チェコ
今日からお休み。
ただし・・来週のkおばちゃんのご予定を考えると・・ちょっと憂鬱なのでひたすら休養にあい勤めることに。

ただし、今日は別。ダブルヘッダーでご用があり辟易・・われながらあなたも好きね・・というところでした。

○6月30日(水)

クトナー・ホラのイタリア宮Vlašský dvůrのガイディングを終えて・・お一人様でさっき日本の団体さんがお入りあそばされていた2階ホールに向かいました。

ここは、すばらしい壁画があります。多分2枚。その一枚はこれです。


これは・・話し合いで何かを選出しているところ・・・でしょうか??

もう一枚はぼけてしまっているのですが、冒頭の画像です。

全体はこんな感じで壁面に描かれてます。


クトナー・ホラの法令の発表といってところですかね。

で、kおばちゃんが気になったのは、絵の中に描かれている窓です。
だって、この部屋の窓とおんなじじゃないでしょうか??

つまりこの室内のことを描いている・・っていうことでしょうかね?
まあ、当時の一般的な窓だっただけかもしれませんけどね。

本日はなにやら内泡是が

他にもこの建物でチャペルなどの見所はあったようですが・・今回は見ませんでした。
そう、kおばちゃんにはお時間がございませんで・・

中庭に戻って受付に解説書をお返しして・・

ヒュンダイ君の下に戻りましょう。

聖ヤクプ教会Kostel sv. Jakuba の脇を通り・・

そう、あちらのイエズス会の学校Jezuitská kolejの方向に向かいましょう。


聖バルボラ教会Kostel Sv. Barboryが正面に見えてきましたね。もう少しです。

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物価は8倍!(クトナー・ホラ)

2010-10-08 23:50:53 | チェコ
不注意にも、携帯用音楽プレーヤーの『ドッグ』と呼ばれる部分を・・・踏み潰してしまった。
象のようなkおばちゃんに乗っかられたんだから・・たまったもんじゃない。もちろん御昇天あそばしてしまった。

で、代わりのものを買おうと思ってネットで純正品を調べたら・・3800円もする!!
新品ワンセットが4800円で売ってるのに・・トホホ・・

で、帰りに量販店に寄ってみた。純正品じゃないけど使えそうなものが780円であり一安心。 

それにしても・・4年も経ってしまったからなのか型落ちしただけでねえ・・エコじゃないと思いましたよ。

ついでに、携帯も下見を。いえ、化石人間kおばちゃんの携帯は、もう直ぐサーヴィスを終える・・なんて勝手なことをいってきて、機種変更をせざる得なくなってきた。
まったく、勝手に変えやがって!

で、どんな機種があるか見に行ったのである。
先日地方にいった時に、携帯の電波は入るのに△padの電波は入らない・・ということがあったので、通信会社は今までどおり元祖で行こうと思っているのですが、やっぱりスマートフォンの魅力も・・ということで、元祖の会社からもお隣の国製の似たようなものが出というので興味もあったんです。

売り場のお兄ちゃんに△phonとどう違うのか聞いたら・・スカイプが使えないということぐらいらしい。
外国で使用する時はスカイプだと料金がかからないからよいな・・と思ってたんですけどね。もう少し考えよ。

あ、kおばちゃんの携帯は通信料が500円もかかってなくて。

○6月30日(水)

クトナー・ホラKutná Horaの通称石の家kamenný důmの坑道ツアーを終えたkおばちゃん。さて、お次は・・そうだあそこに行って見ましょう。

と言って向かったのはここVlašský dvůr通称イタリア宮です。

この建物のはっきりとした起源はわかっていないよか。とりあえず、13世紀の終りに建てられたという文書が見られるということです。
で、もともとはさっきkおばちゃんがいた石の館HRÁDEKと同じ目的・・貨幣を造る・・で造られていたようです。
で、VLAŠSKÝ DVŮRという名前が文書に見られるのは1401年になってからのようです。

そして王立造幣局centrální královskáとして、また会議所として機能していたのかな?
そうそう、イタリアの貨幣も作っていたので『イタリア宮』なんでしょうかね?
貨幣の鋳造にあたって、監視役として沢山のイタリアン人も派遣されていたようですからね。

ここから建物の中庭に入り ます。

中庭では・・あらあら日本語が・・わが同朋の団体さんがいらっしゃいました。


皆さんはここから2階に向かってゆきました。

後にくっついていって、いやな顔をもろにされるのも気分がわるいので・・躊躇してしまいます。
まったく、団体さんになると・・どうしていやな顔・・特に添乗員さんに・・されてしまうんでしょうね。
他の国の団体さんでこんな目にあったことはありませんけどね。なんと閉鎖的なんでしょうね。

インフォメーションがあったので、ここで見学のことを聞いてみるとガイドツアーがあって・・次の回は40分も待つとか。
kおばちゃんが『個人じゃ回れないの?』と聞くと・・『今から前の回のツアーに合流して、後で一人で2階を見るという方法もあります。そのために解説書を貸してあげます』と提案されて・・とびついたkおばちゃんです。

だって・・40分も待ってたら・・お次の予定が狂ってきますからね。

ということで、途中で参加!です。

説明途中ですので・・半分勝手に見ています。

古い銀貨・・たぶん・・です。これはヴァーツラフ2世Václav II 在位 (1278年 - 1305年) 


拡大するとこんな感じです。

こちらはヴァーツラフ2世Václav II の像。近代のものでしょうね。

こちらはすこし時代が経って、ルドヴィークLudvík Jagellonský在位(1516年 - 1526年)のもの。


大きさも少し小さいよう気がします


他にも解説はいろいろあり

王冠の形が違うだけど・・人相は一緒ですね。


ガイドさんの説明はたしか英語もあった記憶が・・忘れてます。


で、kおばちゃんの興味を引いたのは・・この表です。各時代の物価を計り知ることが出来ます。


で、たとえば『馬Kůň』の場合、
ヤン・ルクセンブルクJan Lucemburský在位(1310年~1346年)には120から450なのに、

ルドルフ2世RudolfII在位(1576年~1612年)では1030で、280年の間に物価は約8倍ということですね。

280年間で8倍というのは・・インフレ・・と言う感じはしないのかな?

そのほか、こんなものも・・銀貨を打ち出す刻印機。上からハンマーでたたくのかな?


ここで聞いたのか・・前の石の家で聞いたのか・・忘れましたが、刻印等の作業時には自国(貨幣の流通国)の監察官が必ずついていた・・ということです。

最後に・・このころの大都市の名前が・・



こちらはkおばちゃんが去年滞在したリトミシュルLitomyšlですかね。

ここにも博物館に確か古い貨幣があったとおもいます。

こちらはkおばちゃんが今滞在しているイフラヴァJihlavaですね。

間に合ってよかった!と思ったkおばちゃんです。
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マイナーの生活(クトナー・ホラ)

2010-10-07 18:54:48 | チェコ
夕べのノーベル賞関連のニュースで、久々にノーベル田中さんのお姿を拝見したら・・結構髪が白くなってしまっていて歳月を感じてしまったkおばちゃんです。

それと気になったニュースは・・・ハンガリーの洪水というか工場廃液の汚染有毒廃棄物が流出。
実はこの前のウイーン行きのついでにハンガリーに立ちよろうかと本気で考えて、現地にいる友人にも連絡したんだけど・・結局チェコへ回ってしまったのよね。

チェルノブイリ以上の自体だ・・ということだけど日本じゃあんまり報道されないのはやっぱり対岸の火事ということでしょうね。

明日はわが身・・と思ってしまう小心者のkおばちゃんです。

○6月30日(水)

結局クトナー・ホラでの鉱山ツアーはお一人様にになってしまったkおばちゃん。
まあ、得したような・・と思うことにしました。

小部屋で銀貨のことや、当時の道具なんかを見せてもらった後にガイドさんに連れられて入ったのは銀鉱石を砕く為の機械?を再現した建物。
轆轤のような圧搾機というのでしょうか?昔は馬をつかって回していたようです。で、そこでお着替えです。


白いフード付きの上着とヘルメットに着替え、携帯用電灯を持ちます。
丁度、前の回のツアーの皆さんが戻ってきました。あら、沢山いらっやします。

kおばちゃんは彼女と2人きりです。

そうそう、白い装束というのは鉱夫のトレードマークとか。暗闇でも・・少しは目立つということでしょうね。

鉱夫と言う言葉、英語でなんて言うか知ってますか?kおばちゃんは知りませんでした。
『マイナーMiner』というそうです。彼女が『マイナーの生活は・・』と連呼するので分かりました。
はい、無知なkおばちゃんでした。おそらくグランドレベル(地上)より下、のところで活動する人・・と言うことなのかな?と勝手に思ってます。
ちなみにチェコ語では『Havíř』というそうです。

さて、着替えをしたkおばちゃん達は坑道の入り口に向います。で、その坑道の入り口なのですが・・この博物館の敷地の中にはありません。

従って、この出口から外・・道路に出ます。

で、普通に赤の→のように歩いて移動します。

さっき、食事をしながらkおばちゃんが見た光景はこれだったんです。
白い装束を来てヘルメットを被った集団がぞろぞろ歩いていたんです。で、気が付きました。鉱山ツアーを。

皆で歩けば恥ずかしくないけど・・彼女と2人きりのツアーです。なんだか皆に見られると恥ずかしかったです。

入り口は『地方裁判所』の一角にあります。
そこからどんどん・・どんどん・・降りて行きます。当然階段です。kおばちゃん恐ろしくなりました。
え、だって降りたってことは・・上らなきゃ行けないんですよね。

鉱山はどうも水のとの戦いだったのかもしれません。
色々なところで説明を受けましたが・・撮影禁止だったので画像は残っていないし・・kおばちゃんの脳みそじゃもう忘れてます。

でも、印象的だったのは、坑道が細かったこと。これは妊婦は通れませんね。で、当然高さもありません。
小柄な人達がマイナーをしていたといういこと。そしてそのお手当ては、一般的には地上労働者よりも高額であった・・と言うことです。

坑道の途中・・ガイドさんは『それでは明かりを消してください』と行ってきます。
途中の石の上に腰掛けてですけどね。そこで『自分の手を見て・・』と言われるのですが・・まったくの漆黒の暗闇で。何にも当然見えません。

当時の照明はもちろん電灯なんかありませんから、火が消えてしまったら・・こんなものなのでしょうね。
そして、確か所々に彼らの守り神聖バルバラが祭ってあった・・・と思います。(記憶が定かではありません。プライベートガイドだったのにもったいないですね。

20分くらい坑道にいたでしょうか?やっと出口に向っていることがわかりホットしたkおばちゃんです。

で、問題の出口なんですが・・これは旨くしたもので、崖の中腹に出てくるようになっていました。つまり、さっきの階段を上らなくて良いのです。

ルートとしてはこんな感じです。オレンジの線が坑道です。


右端の線が途切れたところが崖の中腹でした。

そして、元に戻って・・さっきの着替えた場所で装束を脱いで・・ガイドさんとはお別れしました。

ちょっぴりマイナー(坑夫)の生活を体験したkおばちゃんでした。
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プライベートガイド(クトナー・ホラ)

2010-10-06 23:42:04 | チェコ
今日は昨日よりはさらにまだまし・・な状態であります。

ああ、それにしても・・人間どうしてこんなに鼻水は・・いえきちゃなくてごめんなさい・・でるんでしょう?と思ってしまいます。

ニュースを見ていたら、やっぱり前に感じだ通りだなと思ったことが・・

それはトルコの動向。イスラエルとのごたごたのころから感じていたのは、アラブ寄りに方向転換した・・ということだったのだが、政教分離の国是から『イスラム教より』国色を寄り一段と濃くしていっている感じである。

ヨーロッパの入り口なんて銘打って『西欧』よりの政策をとってきたけど、結局キリスト教仲良し連合のユーロ圏には混ぜてもらいないし、隣の国ギリシャのとばっちりでもうけたら大変・・というところでしょうね。

どのみちヨーロッパの入り口なんかじゃなくて、イスラムの出口でしかないんだと思います。

ドイツに多くいるトルコ系移民にしても、なんと嫁さんをトルコから呼び寄せるのが多いとか。なぜなら、イスラムの教えに従って『夫にたてつくなんてことは絶対にない』からだそうです。そのうえ、ドイツの移民法では『ドイツ語を習う・話せるようになる』というのが大原則でそのために教育を受けなきゃいけないのだけれど・・余計な知恵をつけられると困るからと、その学習機会も夫が勝手に奪ってしまって、結局ドイツ語はしゃべれないままだとか・・

やっぱりね・・と思っているkおばちゃんであります。

○6月30日(水)

クトナー・ホラKutná Horaの通称石の家kamenný dům 博物館ČESKÉ MUZEUM STŘÍBRA - KAMENNÝ DŮMに舞い戻ったkおばちゃん。
ツアーのチケットを手に、他のお客さんを待ちます。

しかし・・お約束の3時になっても・・誰一人として現れません。あれ???
受付のお嬢さんも申し訳なさそうに『もうちょっと待ってね』というだけです。
仕方がないので入り口あたりでプラプラしています。

当然ですが、ここは博物館。展示スペースもあります・・が、kおばちゃんは展示ではなくって


体験?ツアーの方を選びました。

そうそう、ふと梁?というか天井の方をみると、アレはお馬さん??


いえいえ、違います。実はこれユニコーンと一般的に呼ばれる一角獣です。


これは、この地が栄えた当時、この館の持ち主でもあり、この地の有力領主だったVrchovišť氏(?)の紋章というか旗印だったようです。
この一族は長生きではなかったようで、Jan Smíšek氏?が1501年になくなると・・そのあとはkおばちゃんにも良くわかりません。

ただ、現在イフラヴァよりももっと北にあるŽirovniceと言う町が、その歴史的関係から町のシンボルマークにこのユニコーンを使ったデザインになっているようですね。

ちなみにVrchovišťって『湿地』って言ういいじゃないでしょうか?どなたか教えてください。

さてさて、待てど暮らせど現れないのが20人の団体さん。どうも、気が変わったらしいです。
そうですよね、チケットを買っているわけじゃないので、気が変わったら現れないでどこかへいってしまう・・のはありですからね。

ということで、たった一人になってしまった15時からのツアー!!どうなるのかしら・・

するとガイドのお嬢さんが現れました。
『他の方が来ないみたいなので・・あなただけでツアーをします!!』

あらまあ、kおばちゃんのプライベートツアーになってしまいました。まあ、kおばちゃんにとってはラッキーですけどね。

ということで、今日のガイドさんです。

もし、kおばちゃんが男性だったら・・鼻の下がびろーーんと伸びますね。

どうぞよろしくお願いしますね。
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嫌な予感(クトナー・ホラ)

2010-10-05 23:55:19 | チェコ
今日は昨日よりはだいぶ調子が良い。

で、調子が良くなると・・むくむくと好奇心もでてきて・・いろいろ調べていたら、あらま!というモノで出会った。

それは、9月末ちかくにポーランドの旅行会社が倒産したというもの。
この旅行会社はその共産国時代には国営として名を馳せていた会社。で、今の時期に倒産!
何故今の時期か・・実は今月半ばにかの有名なショパンコンクールがあるんですよね。
で、旅行するひとがわんさかいる時期。
ホテルの予約業務、中継ぎ業務、はてはコンクールのチケット販売まで手がけていたとか。

この時期だと随分と代理店に直接入金しちゃった方々がいらっしゃるんじゃないでしょうかね?
一部には『計画倒産』じゃないか・・なんていう噂もあるくらい。まあ、時期がね・・

kおばちゃんも旅行をするときにホテルの予約、飛行機の予約なんか場合によっては代理店をつかったりもする。
でも、危険分散型で一つのところに集中して頼まないことにしている。
だって、一つがこけると・・・皆ダメでしょ?

でも、『元』とはいえ国営旅行社でも潰れる世の中ですね。ああ、気を付けよう。

○6月30日(水)

クトナー・ホラKutná Horaの情報をインフォメーションで仕入れたkおばちゃん。
まずは・・気になっているところに向かいます。

それは・・通称石の家kamenný dům 博物館ČESKÉ MUZEUM STŘÍBRA - KAMENNÝ DŮMです。
この町クトナー・ホラはその様子からかつては大繁栄していたことが偲ばれます。
記録によると、プラハに次ぐ町だったとか。
で、なぜそんなに繁栄していたのか、というとそれは『銀』の産出がもたらした繁栄だったと言うことです。
銀いつごろから採掘されていたかは知りませんが、その栄華は13世紀のころからだったようです。
14世紀から15世紀にかけてはヴァーツラフ国王が住むほどだったとか。そしてこの町では、なんとイタリアの貨幣の鋳造まで行うほどの造幣力があったということです。

つまり、銀鉱が有名な町ということなんです。このクトナー・ホラは。
現在はその産出がなされているのかどうかは・・知りませんが、少なくとも過去の坑道が残っていて、その体験ツアーがあるらしい・・とどこかで聞いた覚えがありました。

現に、さっきkおばちゃんがお昼を頂いていたレストランの脇を、それと思しき一団が通っていったので気なっていたのです。

で、さっきのインフォメーションで聞いたらこの博物館で申し込みをする・・ということでした。
早速中に入って・・聞いてみました。
定時の集合型ツアーで、次の回の15時からの回に混ぜてもらえることになりました。なんでも20人の英語の団体さんだとか・・ま、kおばちゃんはお一人様なので、どこにでも混ぜてもらえます。
で、そのチケットを購入しようとしたら・・後で、15時5分前に来てくれればその時に買ってくれ・・と言う話でした。あら・・大丈夫かしら・・とちょっと気になりました。

まあ、とりあえず一つの御用はすみました。

時間まで少し町を歩いてみましょう。

町全体は歩いて回れる大きさのようです。

これはさっき丘の上から眺めていて目に付いた教会ヤクブ教会kostel sv. jakuba(1330)です。この教会は鉱夫のために建てられたとか。

さっきの丘の上にあった聖バルボラ教会に比べるとなんと質素な・・という感じですね。
お堂には入りませんでしたが、外の十字架が光り輝いていました。

夏休み前平日の昼下がりの町並みは人影がまばらです。

落ち着いた古い町並みで・・こんなにかんかん照りじゃなければお散歩も気持ちよいのですけどね。

見事なくらいに人が・・・いませんね。


ここは、イタリア宮とも呼ばれえるVLAŠSKÝ DVŮR(ブラシュスキー・ドゥヴール)元、造幣局でもあったようです。ここも見学したいのよね・・でもお時間が・・


この建物の前の広場にはこのような像がありました。

おそらく、貨幣を作っている・・打ち出している人・・なんじゃないか・・と・・

中途半端なので、博物館に戻ることにしました。

歩道にもこのようなものが埋まっておりました。

部分的に拡大して見とこの町の地図であることがわかりますかね。

赤丸が現在地ですね。

博物館に戻り無事炭鉱ツアーの券を入手して一安心です。

それにしても・・他の20名はいったいどんなグループなんでしょうね?
ちょっといやな予感のするkおばちゃんなんですけど・・
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テラスからの眺め(クトナー・ホラ)

2010-10-04 21:56:00 | チェコ
今日からお仕事。しかし・・体調ぜっ不調・・につきたらたらとお仕事をして帰宅。
まったくやになってしまう。

電話に出れば、『すごい鼻声』といわれるほどの声。
天候が暑いのか、自分だけが暑いのかもわからないくらい。
kおばちゃんのゆくところ・・ゴミ箱の中はティッシュだらけになっております。まったく・・

○6月30日(水)

ようやくお昼を詰め込んで人心地ついたkおばちゃん。
さて、このクトナー・ホラKutná Horaを歩くにはすこし情報を仕入れないとね・・

一番間近にインフォメーションを知らせる『i』の看板がみえ、↑がありました。
たどってゆくと・・さっきkおばちゃんが入ってきた聖バルボラ教会Kostel Sv. Barboryの方向です。

あらら、さっき気がつきませんでしたが、その斜め横にインフォメーションの建物がありました。

で、地図を頂いて・・さっき東洋人の女性に聞かれた場所を地図で確認して・・それと、もう一つさっききになることを見つけたので、それも聞いて・・情報収集はおしまいです。

聖バルボラ教会Kostel Sv. Barboryを一番ひいて見た感じです。

で、反対側からいま撮った景色の場所を眺めるとこんなかんじです。


カップルの座っている後ろの壁の向こうは・・道路です。kおばちゃんはこの左の方向からやってきました。坂を登って・・

時間が残ったら聖バルボラ教会Kostel Sv. Barboryの内部を拝見するとして・・先を急ぎます。

あら?テラスに何かいます。冒頭の画像もそうですが・・

鳥のようです。でも・・はととかカラスじゃありませんね。

よくみるとまだ幼鳥のようで、その鋭い爪は猛禽類でしょうか??

物を知らないkおばちゃんは、こいつがいったい何者かわかりませんが・・・あんまり無防備に止まっているので・・どこかに親鳥がいるんじゃないか・・と気が木じゃありませんでしたけど。

そこからの眺めは・・地図によると聖ヤクプ教会Kostel sv. Jakuba教会でしょうか。
あのあたりまで歩いてみようかしらね。

そしてふと崖の下のほうを見ると何かレリーフが見えました。


どなたでしょうか?

木が茂ってしまっていてお名前が・・わかりにくかったのですが、調べてみました。
ヤロスラフ・ヴルフリツキーJaroslav Vrchlický氏(1853年2月17日~1912年9月9日)だそうです。チェコを代表する叙情詩人で劇作家、翻訳、文学や演劇評論家としても活躍した方だそうです。

しかし・・調べても分かたなかったのは・・どうして彼のレリーフがここにあるか・・です。
どなたかご存知でしたら教えてくださいね。

このテラスの欄干というのでしょうか?端には像がいくつも建っています。
この脇の建物、クトナーホラのイエズス会の大学Jezuitská kolej v Kutné Hořeの付属物の像のようで、聖人たちのようです。

さて、さっきのお昼を頂いた場所にまた戻ってきました。
次なる目的地はその目と鼻の先のようです。急ぎましょう。
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グヤーシュとクネードリキ(クトナー・ホラ)

2010-10-03 22:25:07 | チェコ
今日は朝からやはり体調が優れないので・・ご予定は極力キャンセル。
おうちでじっとしておりました。

まったお年には勝てないですね。
さっさと寝ます。

○6月30日(水)

どうらや無事にクトナー・ホラKutná Horaに到着したらしいkおばちゃんです。
ほんと、イフラヴァなんて比べ物にならないくらいのお金のかかってる町です。

聖バルボラ教会Kostel Sv. Barboryの建物を見ただけでもわかります。


これが教会のお堂を横から見上げた感じです。ゴシック建築のお手本のような、見上げる林を連想させます。
うーーん、規模が違いますね。

まあ、教会堂は外から眺めるのが一番・・と思っているkおばちゃんはとりあえず先を急ぎます。

教会の裏手にはこのような建物も。

こちらも由緒ありげですね。Jezuitská kolej v Kutné Hoře クトナーホラのイエズス会の大学とでもいうのでしょうかね。

これらの建物は丘の上に建っています。


そしてその丘のはしと建物の間につうろがあります。


丘の上から左の方向を眺めると・・ああ、あちらにも由緒ありげな建物が・・


このテラス沿いの道は彫像でかざられているのですが・・

暑いのと・・もう一つの理由でゆっくりと眺める心のゆとりがありませんでした。

もう一つの理由・・というのは『おトイレにゆきたい』という切実な問題でした。
なんせ、さっきのカリシュト村では・・お茶を飲むところもありませんでしたからね。
それに、お腹もぺこぺこです。

丁度このテラスを抜けたところに小さな広場があり、そこに良さげなレストランがあったので入ってみました。


このレストランの外の東屋のようなお席が気に入りました。


まずはお飲み物を注文。ビールといきたいころですが、ヒュンダイ君がいるのでやめて起きます。


メニューを選びます。何にしよさっそくおトイレをお借りして人心地。

で、kおばちゃんのオーダーしたのはこちら。


牛グヤーシュと自家製クネードリキ hovezi gulas,houskove knedliky, zeli
クネードリキとは小麦粉、卵、牛乳をこねて茹でたものでこのあたりの主食でしょうかね。
牛グヤーシュhovezi gulasとは、ビーフシチューのことです。ま、どっちかというと臓物系ですね。

アーー美味しく頂きました。
ここで、先客の東洋系(多分中国人)のご夫人に話しかけられました。プリントアウトしたものを見せられ『ここは何処?かご存知?』
kおばちゃんも残念ながら知りません。そして、その場所はkおばちゃんも行ってみたいところです。『私も知らないんです。知りたいくらい』ということでお話はおしまい。

ほんと、この町の情報がいまひとつわかっていないんですよね。

さて、お腹もいっぱいになったので腹ごなしもかねて、町歩きをしましょうね。
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見下ろす大聖堂(クトナー・ホラ)

2010-10-02 20:42:17 | チェコ
今日はお休みだけど絶不調。風邪を引いてしまいました。
昨日から喉が痛かったのよね。

なんだかだるーーいし。まったくやになってしまう。
明日は朝から御用があるのに・・今日はお洗濯と最低限の買い物だけで家でおとなしくねてます。今も節々がいたい・・

○6月30日(水)

田舎、カリシュトKaliště村を後にしたkおばちゃん。目的地はナビ様任せ・・


ナビ様はとっても信頼しているんだけど、道はつながっているけどとんでもない道(細道)を案内してくれちゃったりしますので・・

だんだん田舎道になってくると(もとからそうですが)もう何処に向かってるのか・・


チェコの田舎道は網目のような感じで網羅されており、いわゆる中央集権的な都にまっすぐ続いているというのとは違うので楽しいのは楽しいです。
それにひきかえ、高速道路や鉄道網は後世につくられているので・・中央集権スタイルですね。


田舎から田舎をつないでいる道・・というところでしょうか。
今回向かっているところも『現在』の都会ではありませんからね。いわゆる『街道沿い』ではないと思います。

行きかう車も少ないし・・こんな森の中を入ってしまうと・・夜はちょっと怖いですね。


少し都会を掠めるようです。


で、また田舎道・・


そうそう、車を止めて画像をとれなかったのですが・・


上の画像の左端に写っているような低木・・で赤い実をつけたものがあると、傍らに車を止めて木から直接実をもいで口に入れたおっさん、いえ、男の人を見ました。
なんだか素朴で・・楽しくなっちゃったkおばちゃんです。
本とは、まねっこして食べてみたかったのですが、その勇気がありませんでした。残念!

すこし町場に入った・・とおもったら突然視界の片隅に・・・大きな天を付く建物が見えてきました。

おおーーー!!と言う感じです。もしかすると・・あれが??でもあまりにも突然でびっくりのkおばちゃんです。

おそらくkおばちゃんのナビ様もこんなルートで移動したものと思われます。

kおばちゃんの目指していた場所はクトナー・ホラKutná Horaと言う町です。
チェコの世界遺産の町です。

kおばちゃんのミーハー精神を満足させるのは、そう『世界遺産』の町の訪問です。
しかし・・例によってクトナー・ホラの『どこ』に向かったらよいのやら・・効率的に回るには何処にヒュンダイ君を止めるか・・ぜんぜんわかってません。

効率的に回る以前に・・どんな感じの町なのか・・判ってないのですが、取り合えず目の前に現れた立派な『建物』を目指します。

それがこれです。


あとで、わかったのですが・・これは聖バルバラ教会Kostel Sv. Barboryと言う建物。
これも世界遺産の一つでした。

そう、さっきkおばちゃんの視界に飛び込んできたのはこの建物を後ろ?から見上げた景色でした。
丁度、この教会の脇の道に車が数台止まってます・・し駐車禁止の標識も見当たりません。
とりあえず、ここにヒュンダイ君を止めて・・様子を見に行くことにしました。

この町はkおばちゃんの滞在してるイフラヴァに比べると人口は半分以下の2万人くらいだそうですが、その美しさ、そして立派さにおいては比べ物にならない・・というのが第一印象でした。

さて、どんなとこでしょうね。
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土日は運休(カリシュト)

2010-10-01 23:59:37 | チェコ
今日は・・喉が痛い。風邪引いちゃったかな?

やっと愛車の車検が終わったのだが・・ここ5年の走行距離が5000キロって・・どういう生活でしょうね。
それにかかる費用と来たら、kおばちゃんにしてみれば馬鹿高い!!

kおばちゃんの車に乗ってゆくところは・・お墓参りの時くらい。
これだってもしかすると電車で行ったほうがはるかにちかいかも!!最近はいろんな路線が出来ちゃってるからね。
なんとなく買っちゃったので、いまさらながら後悔。『もう少し乗ってくださいね・・』っていわれてもね・・

ここのところの世間をにぎわせている検察の問題。
思ったとおり、仲間割れ。じゃなきゃあんなタイミングよく問題がリークされないよね。
外国諸国にくらばれば、まだ真っ当な検察だとは思うけど、派閥争いだけはいただけない。

人間が人間を裁く、糾弾するというのがいかに難しいか・・皆で理解しないといけないと思いますね。

○6月30日(水)

カリシュトKaliště村をうろつく不審者kおばちゃん。
だって・・丁度お昼時のこともありますが、殆ど人がいない。

たま・・にトラクターのようなものに乗った親子が村の何でも売店に入ってアイスを買ってもらって出てきたのを目撃しただけです。
売店のお姉さんもお店に鍵をかけて・・どこかへ消えてしまいました。

ここはマーラーの生家後にたったペンションがあるだけで、他にホントに何もない村です。

でも、一応生活に必要なものはあります。それがこの建物です。


このマークで判りますね。郵便局というかポストですね。

で、その脇にあるのはこれ、電話ボックスです。

それにしてもこれも昨日イフラヴァの町で見かけたO2ですね。こんなにチェコで一般的だったら・・SIMカードミュンヘンで買っておけばよかったかな・・なんて後悔してます。

そして肝心なものもありました。そう、冒頭の画像の通りバス停です。


丁度、村の辻と言った感じのところに立っていました。
このカリシュトKaliště村をもし、公共の交通機関をつかって訪問しようとするならば・・大変な騒ぎです。

だって・・ご覧のとおりのダイヤです。


あ。これじゃ小さくてわかりませんね。では大きくして・・
まずは停車バス停名から・・

始発はこのあたりの大きな町フンポレックHumpolecからですね。

しかし・・時刻表を見て愕然!!

だって・・この表の一番上のマークでハンマーが交差しているような形をしているのは、たしか『土日は運休』という意味です。
ハンマーは労働のシンボルでしょ?だから平日のお仕事日を意味すると思いました。

で、土日以外も少ないの少ないですが、土日に限っていえば・・16:30フンポレック発しかありません。ありゃま・・

すごい時刻表ですね。一日1本しかありません。

このバスを運行しているのはICOMと言う会社ですが、そこのHPの運行検索をみたら・・フンポレック発だけじゃなくkおばちゃんの泊まっているイフラヴァJihlavaからの便がありました。ただしこれもどうも平日のみのようです。

イフラヴァからは約1時間弱。
もしかすると、マーラー一家はこのルートでイフラヴァJihlavaの町に出たのかもしれませんね。

それにしても・・もしkおばちゃんが車に乗ってなかったら・・ここまで辿り着けなかったかもしれません。なんと辺鄙な村でしょうね。

ま、こんな感じでカリシュトKaliště 村の見学はお終いです。
さて・・お次はどうしましょうね?ホントだったらこの村で食事でも・・と思ったのですが・・なーーんにもありません。

kおばちゃんがヒュンダイ君を止めたペンション・マーラーのそばにはこのような地図がかかってました。


これでゆくと、この村はこんなところですね・・

えーーと何処へ行こうかな・・そうだ。せっかくここまで来たんだからあそこに足を伸ばしてみよう!と決めたkおばちゃんです。

ナビ様をセットすれば・・簡単楽チンです。ただし・・目的地の『何処』に着くかは不明ですけどね。

とりあえず、この村の入り口にある『濁った?池』ともお別れですね。


さて、無事にkおばちゃんは到着することができますやら・・ホントいい加減なたびです。
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