nonnon日記
2021年、おめでとうございます。
三密の 怖れと情の 天秤棒
明けて3週目の休日というのに、神社の駐車場には長い行列が。
北海道に住む人なら、一度は訪れるであろう北海道神宮。
今年は特に、コロナ退散を祈願した人が多かったのでは?
厳かで自然も美しい、この道産子のソウループレイスである神宮、
その‘創設者’である島判官の活躍と、‘壮絶な最期’をご存知だろうか?
社殿の横にある手水舎(ちょうずや)の裏、目立たない場所に、
立派な判官様の像がある。社殿右にある茶屋には、判官様という名の
美味しいお餅も売っている。知らない人は、‘判官様’って何?と思うに
違いない。(今で言えば、道知事、副知事の下の役職?)
時代は今から150年前の話である。
島さんは(馴れ馴れしい?)何と私と同じ九州の出身!
江戸時代後期に、遠く九州は佐賀藩士の家に生まれ、秀才だった由。
35歳の時、箱館奉行所勤務となり、北海道の全海岸線を踏破し、
「入北記」を表した。(これより先、4歳年上の松浦武四郎さんは、
28歳で蝦夷に来て、13年間に6回の調査をして、沢山の本を自費出版した。
島さんは、松浦さんに影響を受けているかもしれない。)
さて動乱の明治維新を経て、江戸幕府に代わって明治新政府に。
国際的視野を持った新政府は、ロシアの進出を防ぐため、本腰を入れて
蝦夷地開拓、札幌本府建設に乗り出す。
佐賀藩主、鍋島直正が蝦夷開拓督務(長官)となり、その命で、
初代開拓使主席判官として、白羽の矢が立ったのが、島さんだった。
(函館奉行所勤務の経歴や「入北記」で、蝦夷通として抜擢された由。)