もやいマンション日記

マンション役員の体験を綴った「マンション日記」に、プライベート所感を綴った「nonnon日記」が混ざっています。

No.353「北海道神宮と島義勇(よしたけ)判官・その1」

2021-01-21 | 日記

              nonnon日記

2021年、おめでとうございます。

      三密の  怖れと情の 天秤棒

明けて3週目の休日というのに、神社の駐車場には長い行列が。

北海道に住む人なら、一度は訪れるであろう北海道神宮。

今年は特に、コロナ退散を祈願した人が多かったのでは?

厳かで自然も美しい、この道産子のソウループレイスである神宮、

その‘創設者’である島判官の活躍と、‘壮絶な最期’をご存知だろうか?

社殿の横にある手水舎(ちょうずや)の裏、目立たない場所に、

立派な判官様の像がある。社殿右にある茶屋には、判官様という名の

美味しいお餅も売っている。知らない人は、‘判官様’って何?と思うに

違いない。(今で言えば、道知事、副知事の下の役職?)

時代は今から150年前の話である。

島さんは(馴れ馴れしい?)何と私と同じ九州の出身!

江戸時代後期に、遠く九州は佐賀藩士の家に生まれ、秀才だった由。

35歳の時、箱館奉行所勤務となり、北海道の全海岸線を踏破し、

「入北記」を表した。(これより先、4歳年上の松浦武四郎さんは、

28歳で蝦夷に来て、13年間に6回の調査をして、沢山の本を自費出版した。

島さんは、松浦さんに影響を受けているかもしれない。)

さて動乱の明治維新を経て、江戸幕府に代わって明治新政府に。

国際的視野を持った新政府は、ロシアの進出を防ぐため、本腰を入れて

蝦夷地開拓、札幌本府建設に乗り出す。

佐賀藩主、鍋島直正が蝦夷開拓督務(長官)となり、その命で、

初代開拓使主席判官として、白羽の矢が立ったのが、島さんだった。

(函館奉行所勤務の経歴や「入北記」で、蝦夷通として抜擢された由。)

 

 

 

 

 

 

 

 

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