普通な生活 普通な人々

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月旦評④ 今週最も輝いていたこの人 大王製紙前会長・井川意高さん

2011-11-25 09:30:35 | 極端な人々<的>な
 この人のニュースを見聞きするたびに、浮世離れした感じがして事の善悪を語る気になれない。まぁ、そんな必要もないのだが、どうなんだろう? こんな世の中でこれだけ自由に(奔放だったかは分からない)、三桁の億と言うお金を使うことができた井川さんに、なにか特別なオーラかなにか、感じます?

 正直ボクは感じないのだけれど、一つだけ。おそらく緊張のあまりなのだろうが、表情がない。魂が抜けたような顔をしている(魂の抜けた人の状態って、見たことはないのだが、イマジネーションを膨らませてください)。根の部分に怯えも感じるのだが……。

◆井川意高◆
 「顔」は意外にいい男じゃないだろうか? 女性にはもてそうな甘い顔。
 基本的にいい男は、それだけで得をしている、そう思われがちなのだが、人生を長い目で見ると必ずしもいい男が良い人生を送っているとは限らない。

 むしろ、ブ男だとか背が低いとか、なにかコンプレックスを抱えた男ほど、大きなことをやりとげていたりする。ナポレオンのように。それは、努力、懸命さでいい男に勝るからだ。

 生まれつき裕福な家庭に生まれ、娑婆の苦労を知らないいい男は、大半が身を持ち崩すことになっている。井川さんは目に隙がある。生き馬の目を抜く、といわれる娑婆ではあっという間に肝まで抜かれかねない。報道の映像には明らかに目に力がない。

 おそらく、現役の社長、会長時代は、周囲を睥睨するような威圧感も持っていたのだろうが、こうなると「弱り目に祟り目」ということになる。

 彼から感じる怯えのようなものは、なにに対するものなのか不明。一つは自分がやったことにストレートに警察権力が介入してきたことへの怯えか(おそらくそんなことは絶対にありえないと思っていたのだろう。誰かが自分を守ると思っていたに違いない)。一つは自分の周囲から、引き潮のように人がいなくなったことへの怯えか。なんにしても、大きな喪失感があることだけは確かだろう。

 「居ずまい」もさすが育ちの良さを感じさせるものだが、文字通り「バカ殿」だったわけで、目同様、やはり抜けた感じがある。ことに歩き方からは自信を感じられない。

 大王製紙の創業者一族の頭領だったわけだが、きっと札束を見てもティッシュと同じようにしか見えなかったんだろう。目が悪かったのか!?

 創業から三代目は、なぜ上手くいかないのか? 簡単で、苦労を知らないからということに尽きる。先代、先々代の苦労を言葉でいくら話したところで、本人はなにも苦労していない。言葉で教えられても、身にはつかないのだ。

 こんなことになる前に、井川さんの周辺には「肝まで抜こう」と、取り巻いていた連中が数多いたに違いない。

 付け加えれば、人を見る目もなかったということになるだろうか。それにしても……。

 これは想像だが、井川さん、ギャンブルを仕事だと思っていたんじゃなかろうか? ちやほやされながら、自分の決断で金の流れを決済するわけで、こんなに気持ちよく経営者然としていられる場は少ないのではないか? まぁ、金がすべてというだけの意味においてだが……。それなら三桁の億の金の意味も、少しはわかる。