普通な生活 普通な人々

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信仰の根幹④

2014-07-21 20:43:53 | ちょっと宗教<的>な
世界三大宗教と呼ばれる、イスラム教、キリスト教、仏教にも、「呪縛」は存在する。

それも強力な「戒律=呪縛」、と同時に「脅迫」である。

一番わかりやすいのは、キリスト教の戒律「十戒」、「原罪」、そして「神」に対する「悪魔」の存在であり「二律背反」という教義、そして「地獄」という世界観。宗教なんだからあって当然と思われることなのだが、おかしな要素だ。

本当であれば、この「呪縛」、「脅迫」こそ、真実の現代宗教にはあり得ようもない要素だと、ボクは考えている。

なぜなら、宗教の現代的意味は「人々をいかに幸せに導くか」という一点にある。そういう意味では人々が幸せに暮らせる社会システム=「物」の整備と言った役割を担う政治的な要素と、目的は一応同じであると考える。

宗教の役割は当然、一方の「心」を担う。

だからこそ、「呪縛」や「脅迫」などのネガティブな要素は、入り込む余地もないのだ。

ただ、連綿と継承されてきた宗教の役割は、時代相と共に変化してきてはいるが、実のところ支配のための道具であったと言っても過言ではない。政治と不可分のモノとなったり、時として政治を遙に凌駕する支配機構として働いた時さえあった。

だから、巧妙に「呪縛」も「脅迫」も、すぐに其れとは分からぬよう教義としてカモフラージュされていた。

仏教にだって「五戒」があり「地獄」もあるが、キリスト教のようなあからさまな要素はない。

だが、程度の差こそあれ人々は宗教の「呪縛」と「脅迫」によって、支配され続けてきたのだ。

恐ろしい人間の歴史である。

いまでさえ、人々はこの「呪縛」と「脅迫」に服従するように、異なる宗教を奉じながら殺しあう。

殺しあわないまでも、罵り合うことくらいはする。

「~しなければいけない」という言葉のもつ負のファクターの面目躍如だ。

いい加減に、今どきの「マインドコントロール」という言葉と「呪縛」が同じ意味で、新興宗教も世界三大宗教も、身ぐるみはがせば同じだと気付いていいのではないか?

「呪縛」と「脅迫」を根幹に据える宗教は、世界三大宗教といえども、今では似非なのである。

断っておくが、ボクは無信論者ではない。仏教徒だ。だからこそ余計に、「呪縛」、「脅迫」への嫌悪が強い。それだけのことだ。

<完(一応)>