2月21日(日)、カメラ片手に小田原へ出かけた。田園都市線で中央林間、相模大
野の経路で小田原へ。9時過ぎに自宅を出発、相模大野10時9分発の急行で小田原に
は11時7分に着いた。
小田原は、以前書いたように昭和8(1933)年から2年間、母の家族が住んだ所である。
→こちらご参照
百聞は一見に如かず。写真を見ていこう。

小田急小田原駅 早咲きの桜

JR小田原駅改札前 小田原提灯

駅前の「小田原高校発祥之地」の石碑 旧制県立第二中学校として明治34(1901)年開校
通称小田高 (ちなみに県立一中は希望ヶ丘高校である。)

旧町名の石碑 ところどころにあるようだ

母の家族が住んでいた、伊藤博文の旧別邸跡はこの奥ではないかしらんとウロウロ

幸田門跡の記念碑

お堀にかかる学橋

お堀端に咲く梅 梅は一ヶ月近く楽しめるのがいい

お堀端の桜並木 桜には一ヶ月以上ある
野の経路で小田原へ。9時過ぎに自宅を出発、相模大野10時9分発の急行で小田原に
は11時7分に着いた。
小田原は、以前書いたように昭和8(1933)年から2年間、母の家族が住んだ所である。
→こちらご参照
百聞は一見に如かず。写真を見ていこう。

小田急小田原駅 早咲きの桜

JR小田原駅改札前 小田原提灯

駅前の「小田原高校発祥之地」の石碑 旧制県立第二中学校として明治34(1901)年開校
通称小田高 (ちなみに県立一中は希望ヶ丘高校である。)

旧町名の石碑 ところどころにあるようだ

母の家族が住んでいた、伊藤博文の旧別邸跡はこの奥ではないかしらんとウロウロ

幸田門跡の記念碑

お堀にかかる学橋

お堀端に咲く梅 梅は一ヶ月近く楽しめるのがいい

お堀端の桜並木 桜には一ヶ月以上ある
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