今月のブログで、「満州事変とシベリア出兵」、「幣原喜重郎『外交五十年』」、「司馬遼太郎<昭和の中の魔物>」と書いた流れで、小泉信三『今の日本』から「1.反省」を取り上げる。これは昭和24(1949)年1月に発表されたものだ。小泉信三は、自ら教育者として、 . . . 本文を読む
昭和6(1931)年9月、関東軍の謀略から柳条湖事件--満州事変は始まった。あらためて広い意味の関連図書の一つとして、『「文藝春秋」で読む戦後70年』(文春ムック)から司馬遼太郎「昭和の中の魔物」を読む。これは昭和61年に . . . 本文を読む
幣原喜重郎は明治5(1872)年生まれ(昭和26[1951]年、79歳没)。本書、幣原喜重郎『外交五十年』(中公文庫)の第1部オリジナルは、昭和25(1950)年に読売新聞に口述筆記で連載されている。(注)昭和20 . . . 本文を読む
7月23日(金)、オリンピック開会式。お昼にブルーインパルスが五輪を描くも、雲が出てきて上手く中継できず、残念!<開会式>○入場行進:日本語の「五十音」順。○1824台のドローン:これには . . . 本文を読む
前回の東京オリンピック(&パラリンピック)は昭和39(1964)年に開催された。開会式当日、父母と妹は祖母の納骨で高岡市に出かけており、私は一人、自宅でテレビを視聴していた。当時、私は中学2年生だった(歳が分かる?)。数学のK先生が教室に入って来られるなり、真面目な顔で . . . 本文を読む
7月22日(木)、お昼に長男一家が来訪。よく食べ、よく遊び、よく寝て、みんなどんどん成長。孫の女児は3歳5カ月、男児は早くも0歳8カ月だ。女児はお姉さんらしくなり、男児はぼちぼち人見知り? . . . 本文を読む
岡崎久彦は、半藤一利、渡部昇一と同じ昭和5年生まれだ。しかし、それぞれの「歴史認識」は微妙に異なる。岡崎久彦によりPHP文庫となっている『~とその時代』(明治~昭和の通史)がなかなかおもしろい。とくに『幣原喜重郎 . . . 本文を読む
7月21日(水)、今週は一日前倒しで自由が丘の叔母さん宅へ。叔母さんに、家に残る家族写真(下の写真)を確認する。私の祖母、伯母、母、叔母の家族4人だ(男性陣は写っていない)。満洲から帰国後、 . . . 本文を読む
若い時は何事も「世間知らず」で不器用だ(もしかしたら今も?)。中学の担任の先生が新婚当時、私一人でご自宅へ遊びに行き、「ご結婚おめでとうございます」がなかなか言えなくて、とうとう帰り際になってやっとの思いでお祝いの口上を . . . 本文を読む
7月18日(日)、東響川崎定期を聴く(於ミューザ川崎)。川崎駅改札前は多くの人出。早く通り過ぎる。
この日はジョナサン・ノットの無事登場で、客入り上々。とくにP席はほぼ満席だ。ノットは何日前に来日しているのかしらん。いきなり余談だが、 . . . 本文を読む
7月16日(金)、すすき野の「更科」にて昼食(天ざる)を食す。その後、すすき野東急ストアへ。新しくニトリが入っており、早速買い物をする。後、文教堂で本を物色。生活クラブで食材購入。すすき野東急の2階はだいぶ変わった。7月17日(土)、月一回定例の . . . 本文を読む
先日(7/15)、国会図書館で戦前の『文藝春秋』昭和6年11月号を閲覧していたら、石丸藤太(1881-1942)「満洲事変の電報を読んで」というおもしろい記事を見つけた。少し長くなるが、これを「要約」すると . . . 本文を読む
父方の祖父二吉(1880-1952)については、以前、「ファミリー・ヒストリー」の一つとして書いた(→こちら)。二吉は、孫文の支援者として、中国を走り回っていたようだが、養父恒二から「少し腰を落ち着けなさい」と言われ、最終的に外務省の職員に . . . 本文を読む
立花隆の著作から『中核VS革マル』を読む。本書が単行本として出版されたのは昭和50(1975)年だ。新左翼過激派(警察用語的には極左暴力集団だ。暴力はいけません。)の中核派も革マル派も、元をたどれば昭和32(1957)年に組織された「革共同」 . . . 本文を読む
7月14日(水)、ハスラーを駆って、港南区上永谷から磯子区磯子台へ。上永谷は40年前結婚した当時、3年ほど住んでいた「困窮者用社宅」(--今から思えばすごい名前?)があったところだ。カーナビをセットして、訳も分からず、指示どおりに走っていたら、 . . . 本文を読む