1月17日(土) ワグネル新年会の日。寒い。「今月は寒波が来ない」は
間違いかな。
10時43分発の大井町行急行に乗る。大井町まで30分足らずは便利だ。
浜松町のメルパルクに着いたら、ちょうどワグネル男声合唱団三田会の
総会が始まっていた。
吉川会長をはじめ、各役員からの「取組み」報告があった。
単なるOB親睦会ではなく、各種「取組み」を積極的に行っているところ
がすごい。
S49年卒の同期は、幹事さんの仁徳もあり、大量8人を動員。他の学年に
「どうしちゃったの?」
と驚かれる。
いいじゃないの、歌が好きなら(「いいじゃないの幸せならば」は昭和44年
のヒット曲)。
ちなみにS50卒は2人。
当時のプログラム冊子(98回定演)の一部をコピーして当時の1~4年生に
配布した。ほとんどから「文字が小さくて読めないよ」という声あり。
当時のプログラム「トップ・テノール」紹介(98回)--私が書いたかな?
四年5人、三年4人、二年6人、一年4人--合計で19人--これ位
いれば、まあちょっとしたもの。これがトップ現役の構成メンバー。トッ
プと言えば、昔から個人主義の気風の強いところと相場が決まってい
るが、(一方では)我がトップの団結力たるや、ほかのパートは足下に
及ばぬほど。それが何より証拠には、夏の合宿際には、この四年間に
堂々3回優勝。あとの1回も準優勝ってんだから、驚くじゃありませんか。
合宿際の個人賞--主演男優賞、主演女優賞、新人賞等々--も、
トップが獲得することが極めて多い。これだけでもトップの人間は誇りを
もてるってえもんだ。よく、トップが歌わなければ音楽にならないってえ
けれど、本当のことだから仕方がない。音楽が生きるも死ぬもトップ次
第と言っても言いすぎじゃないよ。(以下略)
いささか落語調かな?
当時のプログラム冊子
当時(98回定期)のプログラム冊子を読んで・・・・・・
ワグネル男声三田会会長(当時)梅原文雄さん(OBでは唯一梅原「先生」
と呼ばれていた)のメッセージ--
「今年は、木下先生が目出度く古稀をお迎えになりましたが、先生70年の
御生活中に、ほぼ50年にわたってワグネルは何らかの形での御指導を
受けてきました。ワグネル70数年の歴史の中での50年を考えるとき、今
更ながらワグネルの幸運を思わずにいられません」
をあらためて読んで、思わず落涙。
OB合唱団責任者(こちらも当時)下田さんのメッセージ--
「木下、畑中両先生から得るものが、音楽をする喜び、厳しさのみならず、
究極的に人間とは、人生とは斯くあるべしというphirosophyであること
が何にもまして素晴らしいことである」
という言葉は今でもはっきり覚えている。(ゴシック体は筆者。98回定演に
はOB合唱団にも「タンホイザー」で賛助出演いただいた)。
JR浜松町駅 羽田への乗換駅
右方面 メルパルク
第一京浜=国道15号線 大門・新橋方面
メルパルク東京
ワグネル男声 三田会総会 皆さん、真剣に聞き入る
新年会のオープニングは塾歌の合唱(須田さんの指揮)
来賓のお話
今回は、生まれ月ごとに、4グループに分け、歌合戦があった。
審査員は、
部長(顧問)の塩澤修平先生(→こちら)
ボイス・トレーナーの小貫岩夫先生(→こちら)
ピアニストの永澤友衣先生(→こちら)
等の方々。
Bグループ(4~6月生まれ)の熱唱
「慶應讃歌」(S22岡養一作詞・作曲)を歌うCグループ(7~9月生まれ)
が優勝。なぜか突然ジ~ンと来た。
わがDグループは「若き血」(S2堀内敬三作詞・作曲)。
志木校ワグネルの皆さんは授業を終えてから1時45分ごろ到着。
料理もそれに合わせて、2回目が出てくる。--幹事さんの気配りがす
ばらしい。
志木高ワグネルの演奏 見事に若々しい声がうらやましい。
ワグネル現役の演奏を清聴。
帰路・・・・・・
東京タワー
増上寺前
「都道409号線」(っていうんですね~)。お馴染み箱根駅伝のコース。
中華料理の楓林 小籠包が美味という評判
浜松町駅前
1月18日(日)
夕方、たまたまNHKの相撲中継をつけたら、天皇皇后両陛下が国技館に
入場されるところだった。
これより幕内というところで、交代した審判がそのまま座らずに貴賓席を
見上げる。ハッとした観客は三々五々立ち上がる。観客は、去年の皇太子
さまのウィーン・フィルご鑑賞同様、まったく知らされていないらしい。
5時5分ごろ、多くの観客も立ち上がり、「天皇皇后両陛下が入場されます」
というアナウンスに観客は大喜び、総員大拍手、自然な総起立となった。
天皇陛下は貴賓席で手を振られ、応えられて、お座りになった。
4年ぶりの天覧相撲。両陛下は、昨日神戸に行かれて、お疲れではないかし
らんと心配してしまう。
「宗教の尊厳」と「表現の自由」問題で世界が揺れている。
いまは、詳しく書く時間がないが・・・・・・
シンプルにいえば、何事も「自由」には「責任」という問題がある。イスラム
教一般を侮辱する「自由」はあるのだろうか。
--といって「過激派」の暴力は許されない。
似たような問題に、他人のプライバシーを報道する「自由」はあるのだろう
か、ということがある。
自由には、「限度」または「節度」というものが必要だろう。それに反対する
者は、自由主義の「過激派」になる・・・・・・のかな。
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