「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

最終回!『バッタモン百寺巡礼!!!』 後篇

2008年02月29日 01時46分47秒 | バッタモン百寺巡礼

嵯峨の道

天龍寺の次に行ったのが、『常寂光院』さんです。



三門。
三門を過ぎたところに受付があって、そこで御朱印をお願いしました。四冊も・・・


仁王門。ちゃんと、仁王さんがいました。

敷地は広いのですが、流石に天龍寺と比べてしまうと見るものが無いなぁ~と、

罰当りな事をついつい思ってしまう。

でも、しっかりと鐘楼や多宝塔はありました。

続いては『二尊院』であります。ここら辺になると、

閉門時間が近づいてきたので早足になってしまいます。



二尊院といえば・・・


(※ネットより抜粋)私が見たのはもっと光輝いて神神しかったですよ。

この二本尊は、左が阿弥陀如来、右が釈迦如来です。これは見ていて感動ものでしたね


勅使門。ここは、開いていたのでこちらから入りました。

普通、勅使門は天皇からの使いや皇族が使うものですから

どこのお寺に行っても開いてないものです。ちょっといい気分


総門。これも禅宗ならではの呼び名です。


鐘楼。こちらでは『幸せの鐘』と呼んでいて、我々にも突かせてくれます。

三度突くのがお決まりで、一度目が自分の幸せのため

二度目は、自分の周りにいる人の幸せ。三度目は人類みんなの幸せのため。

だそうです。三度突かせていただきました

気分は爽快音色も余韻も良かったですねぇ~。

で、境内をうろうろしていたらこんなの見つけました。


な、な、なんとこちらは『小倉餡発祥の地』だったんですね。

そう云えば、山号は『小倉山』でしたね。

ほ~、っと感心しながらも急ぎ足で二尊院を後にしました。

次に訪れたのは、『祇王寺』祇の字が『ネ』じゃ無くて、『示』なんですが、

PCで出てこないので今は前者の方を使います。

このお寺は、非常に小さくてこじんまりとしております。

寺というよりも隠遁する場所のようです。苔むした庭園が非常に見事でした。

どうやら、ここは近くにある『大徳寺』の塔頭のようで受けつけの人はいますが、

無住のお寺のようです。

ここが過ぎたらもう駆け足です

祇王寺の南隣りにあるのが、壇林寺さんです。寄ろうか辞めようか迷ったのですが、

前で客引きしてたんです。『まだ、見られるよ』って、如何なものかと・・・。

客引きに引っかかって入る事に

ここは、寺宝が豊富なのが自慢だそうで

寺宝を解説するおじさんに色々説明してもらいました。

そこまではいいのですが、説明と寺宝の見学を終えると、

今度は、『お守りを買え』と来たもんだ買いませんでしたが・・・。

逃げるように寺を後にして気がつくと、二冊の朱印帳は完成しておりました。



満願!満願!

・・・でも後二冊残ってるんです。それも後一箇所だけ

と、思って『清涼寺』さんへダッシュ

ですが、時既に遅し後日となりました。『新バッタモン百寺巡礼』につづく



最終回!『バッタモン百寺巡礼!!!』 中篇

2008年02月27日 11時22分56秒 | バッタモン百寺巡礼
天龍寺さんの続き話ですが、天龍寺の塔頭の弘源寺さんで

毘沙門天の御朱印を四つ頂いて、その内の一枚が・・・


これです朱印が押してない。

これじゃ意味無いですよね。

近々に貰いに行きますわい

で、こちら


元々は、『法輪寺橋』と言ったそうです。

が、亀山上皇がこの橋を見て

「くまなき月の渡るに似たり」として『渡月橋』と命名されたといいます。(HPより抜粋)

で、橋向こうの嵯峨虚空蔵 法輪寺さんへ



 
狛犬ならぬ『狛牛』『狛寅』

ちなみに丑年生まれの私の守り本尊です。年がバレルね・・・。まぁ、そこそこですわ。


この本堂横にお守りや朱印を頂けるところがあり、

いかにも学生アルバイトと、いったふうな兄ちゃんがいました。

流石にこの兄ちゃんが、書くわけではありません。

奥から女性が来て書いてもらいました。

四冊ともなるとかなり時間が掛かるのでその間境内を散策


多宝塔です。

境内全体は、明治期にたてられたそうで、

なにしろ『七月蛤御門の変』でやかれたそうです。

その前は、応仁の乱で・・・時間の規模と言うかスケールの大きさを感じますな

でもって、面白いものを見つけました。


一見、なんの変哲も無い御社・・・

と、思うところが畜生の浅ましさ(口が悪い


『電電宮』とあります。電気、電波の守り神だそうです。

ですから寄付する会社もこの通り


ソフトバンク、朝日放送、和歌山放送、KDDI、関西テレビ等々

凄いですねぇ~大きくないお社なのに大企業が寄付しておられます。

先端企業なのに・・・神頼み

で、御朱印が出来上がったので、いろいろ散策しながら法輪寺さんをあとにしました。

で、また渡月橋を渡り常寂光院へ



こちらは、山を利用してお寺があるので非常に急峻な階段を登らねばならないのです。


この他本堂などものお決まりのものは揃っているのですが

全体的にこじんまりとしていて隠居所のような感じを受けましたね。

ここから見る京都市は、絶景でしたねぇ~。

次回は、二尊院、祇王寺、壇林寺などです。



最終回!『バッタモン百寺巡礼!!!』 前編

2008年02月26日 23時24分18秒 | バッタモン百寺巡礼
え~前回のブログの翌日フラフラと身体のお手入れをしに整骨院へ

そのあと、最寄り駅の京福電鉄『北野白梅町駅』へ

向かったのは、嵐山です。あのブログの後ですから

状態もあまり良くなかったのですが、

何かに取り憑かれたようでした



昼食頃だったので、蕎麦屋の『よしむら』さんを訪ねたのですが、

お店は、改装中の為、休業中・・・

では、というので行ったのが、


臨済宗天龍寺派大本山 天龍寺です。立派な石柱


解かりにくいですが、勅使門です。

結構、雑な扱いでしたね

ですから、天龍寺さんにはこの門以外ないのです。

普通は、通用門くらいあるのですがね。まぁ、いいでしょう。

各塔頭は、あるのですが湯豆腐を食べさせるとこや

墓地募集の看板を掲げているところ・・・ちょいと、幻滅気味

で、朱印所で朱印を戴き大方丈へ


立派なものです。

そして、禅寺といえば・・・


庭園ですね。意外な事に水が池に入っていました。

禅寺でよく見受けられるのは、枯山水ばかりだったので面食らいましたね。

まぁ~、広いは広いは、京の街中と違い寺院が伸び伸びしているようでした。

暮らしてみたいねぇ


宝鏡寺門跡~本法寺

2008年02月21日 19時59分03秒 | バッタモン百寺巡礼


宝鏡寺または人形寺そのまた別名は百々御所(どどのごしょ)といいます。

天皇の皇女が入られたので『御所』とついているようです。

こちらは、臨済宗の尼寺のようです。

年に二度ほど天皇家所縁の人形を展示しているようですが、

今回はその次期ではありませんでした。

なにせ、行き当たりばったりなもので・・・


人形塚です。

こちらでは人形供養も受け付けているようです。

人形には魂が入ると言いますからねぇ困っている方はこちらへどうぞ

人形の石像の下には、武者小路実篤の詩で

『人形よ 誰がつくりしか

誰に愛されしか 知らねども
   
  愛された事実こそ

汝が成仏の誠なれ』と刻まれてあります。

なんだか、人間に言われているみたいですね。

宝鏡寺門跡の北隣には『日蓮宗 本山 本法寺』があります。


立本寺もそうでしたけど日蓮宗って、補修に金賭けないのかね?

でも、本寺は立本寺より近代的でした。


なかなかの画でしょ

境内に入ると、神社や各お堂は手入れが施されておりました。

で、いざ方丈へ拝観の受付を

方丈自体は木造なのですが、檀家さんを収容する本堂?と

その宝物館はコンクリート造りでした。

当寺の自慢は、長谷川等伯画の縦10m、幅6mの釈迦涅槃図です。


長谷川等伯像

涅槃図は、なにせでかい

でも、展示してあったのは原寸大の写真でした。

写真でもこのでかさは凄い。

ガラスケースに入っている宝物も重文級や重文のものばかり。


勅使門裏庭園

と、


本阿弥光悦作といわれる三つ巴の庭。これが自慢だそうです。

本阿弥光悦と当寺の日親上人は、室町時代将軍足利義教の怒りに触れ、

投獄された際に知り合いとなり、

以後本阿弥家と本法寺のお付き合いが続いたと言う事です。

袖摺りあうも何かの縁って奴ですかね。

朱印を戴きましたが、そこに書かれてあった

『佛心』の文字は力強く法華の住職らしいなぁ~と、

勝手に感心してしまいました。





百万遍~寺町通り(後編)

2008年02月21日 01時00分49秒 | バッタモン百寺巡礼
浄土宗の大本山七ヶ寺の『百万遍知恩寺』を後にして、

加茂大橋を渡り寺町通りへ行き御所の東側を南下します。

そうすると、またも浄土宗の大本山に行き当たります。

『大本山 清浄華院』です。


この三門とは別にこちら


御所の方を向いて『勅使門』があります。

このお寺には、菊の御紋を使う事が許されているようで瓦にも

菊の御紋があしらっています。

何しろ、清和天皇の勅願により御所内に禁裏内道場として建てられたものだそうです。

当初は、『円、密、戒、浄』の四宗兼学の道場だったそうです。


大殿

で、法然上人が比叡山から降りてきて

ここに草庵を結び浄土宗の『専修念仏』の教えを説かれたそうです。

皇室とも所縁が深く、清浄華院へ上人として天皇の子息が入っておられます。

実際、境内には後陽成、後水尾、孝明天皇の皇子、皇女や宮家の墓地があります。

でもって、お隣へ


廬山寺(廬山天台講寺)です。

こちらは、紫式部の邸宅跡に立てられたお寺で圓浄宗の本山であります。

あまり聞きませんね。圓浄宗って・・・。

比叡山から降りてこられた元三大師良源によって開山と言いますから

天台密教の要素が多いのでしょうね。

でも、当初は『清浄華院』同様、四宗兼學だったそうです。


勅使門


大師堂

お次は、道を挟んで御所内に行くと・・・


神社です。

御所内にいくつかある神社の一つですが、梨木神社です。

この境内から水が湧き出ていて、私が行った日も行列を成しておりました。


本殿前

ここは、お公家さんを祀ってあって三條実萬(さんじょう さねつむ)さんと、

三條実美(さんじょう さねとみ)親子を御柱としています。

お父さんの三條実萬は『今天神様』と言われるほど才識兼備で、

早くから王政復古を唱えられ明治維新の原動力となられた方です。

ですが、幕府の逆鱗に触れ、一乗寺に幽閉されその年に身罷られました。

息子の三條実美は、父の意思を受けて王政復古を叫ばれましたが、

京都から追いやられ長州、築州へと落ちる事になります。

その後、王政復古が叶い太政大臣から総理大臣まで歴任しました。

都が東京へ移されるについて京都御所廃止案が出たときも

『それでは京都がさびれます』と明治天皇に進言し、却って

『国家の大礼は京都御所に於いて行う』と定められ

大正、昭和の即位は京都御所で行われました。

親子共に非常に天皇に近く親しかった為、三條実美が病床にあるときに

正一位に叙する勅語を受けられた。

で、大正四年に三條親子を祭神として、梨木神社ができたわけです。

あ~、しんど

もう一件

更に南下して、ちょいと河原町通りに抜ける道を行くと



荒神さんこと、護浄院です。


荒神尊

境内の中に荒神尊として、鳥居がありおまつりしてあります。

本堂の中で観音様をお参りさせていただきましたが、

横には不動明王が祭ってあり、その前には密教のような仏具がありました。

こちらも天台密教なのですかね

ここで打ち切りとして、丸太町通りに出て遅い昼食を・・・





許してぇ~。