昨今、まわりの死に接しまして、もうやてもたまらずにいやれない状況にいます。
私は、30過ぎにして、龍谷大學の門を叩いた男でございますので、
さらに、文学部佛教学科の出でございますので、あらかた佛教と言うものがどういうものなのか、
「酸いも甘いも」解かっているつもりでございます。
しかるに、ゴータマ・ブッダが、「自分を崇拝することなかれ」と、暗に説いたことも承知です。
ですが、人間というものは弱いもので、すぐに「偶像」にすがりたがるものです。
吾輩もその一人であります。
ゴータマ・ブッダが入滅したのち、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、
地蔵菩薩が衆生を救うとされています。
私は、40年生きてきて、数人の死に立ち会ってきました。
その時に、自分の無力さ、この世の無常さに打ちひしがれてきました。
また、自分の人生を振り返っても、なにかやるせなさを感じてきました。
そういった時にふっと、思うのは「佛」であるのです。
おもわずすがりたくなるのです。
「藁をもつかむおもい」とでもいいましょうか・・・。
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私は、30過ぎにして、龍谷大學の門を叩いた男でございますので、
さらに、文学部佛教学科の出でございますので、あらかた佛教と言うものがどういうものなのか、
「酸いも甘いも」解かっているつもりでございます。
しかるに、ゴータマ・ブッダが、「自分を崇拝することなかれ」と、暗に説いたことも承知です。
ですが、人間というものは弱いもので、すぐに「偶像」にすがりたがるものです。
吾輩もその一人であります。
ゴータマ・ブッダが入滅したのち、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、
地蔵菩薩が衆生を救うとされています。
私は、40年生きてきて、数人の死に立ち会ってきました。
その時に、自分の無力さ、この世の無常さに打ちひしがれてきました。
また、自分の人生を振り返っても、なにかやるせなさを感じてきました。
そういった時にふっと、思うのは「佛」であるのです。
おもわずすがりたくなるのです。
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