「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚の説教 『誰の前で話しているんだぁ!』

2017年12月02日 02時45分00秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

※前提として・・・

精神医学・心理学などでは、「うつ/そう患者」は様々な原因で疾患することによって、

「精神状態の脆弱性」があらわれる。・・・となっているようです( ̄▽ ̄;)

 

 

さて、ある日のことお勤めをしていて、隣席の方が年少者から質問を受けていました。

内容は詳しくこのBLOGで述べられませんが、患者さんのことでの相談事でした。

「このケースはね、こんな可能性もあるし・・・(色々な可能性云々)」

で、そんな会話の中、前述の話「※」が出ました。

しかし、それは私の耳障りな内容には響きませんでした。

それは私の存在に気づいて話しているからか、

もしくはベテランならではの経験から来るのか・・・

しかし、相談を持ちかけた年少者の言葉は、あまり気を遣っていないような言葉遣いでした。

私は内心「あ~、また始まった。俺が(精神疾患者が)いること気づいてねぇな。」と。

「内輪で話すような無秩序な会話をするな!」ということです。

(まぁ、内輪でも気を十分に使って欲しいのですが・・・)

どのような場合でも(障害者でも、高齢者でも、発言者より一見劣っているような人でも)、

「いち人間としての尊厳」を持って話しをして欲しいのですが、

内輪、内輪では無秩序で乱暴な言葉が交わされていたりもします。(ごく一部かな?)

「※」のような定説の様な見方でも結構侮辱的な話しだと私は思うのです。

私の立場から見て間違っている認識は、『PTSDやうつ病になる人間は元々精神的に脆弱であった。』

というものです。

PTSDやうつ病になってしまった方々は、筆舌を絶するようなストレスにさらされた結果、

罹患するのであって、脆弱であった訳では無い。

PTSDで代表的な例は『戦争体験』の中で、「殺人行為」や「殺人行為を見た」

または「目の前で人が殺された。」といったことを経験するという『高ストレス状態』で

罹患してしまったということです。

逆に「戦場で平気で人を殺し続けた。その後も後悔することは無かった。」という人間は

既におかしいと判断するべきであろう。

渡辺淳一さんの『鈍感力』で、鈍感であればダメージを受けにくい。

のであるならば、私は鈍感力なんぞ身に付けたくもないと思います。

私が勤めてる様な業種は体の末端まで言葉や態度に神経を張り詰めていなければならないのです。

「繊細な気遣い」です。

これが無ければ、患者さんから「信頼される医療者」にはならないのです。

次から私の目の前で話されたら「俺がいるんだよ!」って、言ってやろうかな!?

そうしたらきっと私の前で話すことは無くなるかもしれませんが、

その代償に陰で「やっぱり、あの人って・・・」言われますね。

 

 

 

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