今日、植松聖被告に「死刑判決」が下された。
被告は判決文を読み終えると自ら発言しようと裁判長に声をかけたが
認められず閉廷となった・・・。
何が言いたかったのだろうか?
また遺族や被害者、障がい者のこころを傷つけることを言うつもりだったのだろうか?
このことにこだわっていてもきりが無いのでこれ以上言うのは避けます。
今回の裁判では精神鑑定でパーソナリティー障害を認めつつ
「犯行に影響はなかったか、(あっても)小さかった」として死刑判決の伏線となった。
判決文で裁判長は・・・
朗読は約40分間。裁判長は、争点だった被告の責任能力の有無に関する判断の説明にほとんどの時間を割き、大麻乱用による精神障害の影響で心神喪失状態だったとして無罪を求めた弁護側主張を退けた。
最後に「死刑をもって臨むほかない」と締めくくった。
私は精神鑑定がすべてを物語っていると感じた。
つまり、「パーソナリティー障害」であったことを認めていること。
この一言に尽きる。と言いたいところだが、
果たして「心神喪失状態」ではなかったのだろうか?
解りやすくいいますと、「19人を殺傷する際に、まともな精神状態だったのか?」
ということです。
私にはとうてい考えられない。だからといって、
「死刑判決を逃れるものでは無い」と考えます。
「心神喪失状態=無罪」という数式には無理があるのではないかと考えました。
つまり「罪を憎んで、人を憎まず」という『0-10(有罪or無罪)』という極端な考えを
止めなければいけない。と思います。
本来ならば刑期を長くして反省を促すのが本筋なのかもしれませんが、
この事件は本筋では論じられないくらいにヒドすぎる・・・。
被告の反省を待つのではなく「第二の植松」を産まない社会を目指す方が
近道なのかもしれません。
それも不可能かもしれませんが・・・