よく「子は親を選べない」なんて毒づく子供がいたり、逆に「親も子は選べない」なんて言って泥仕合になっている場合もありますが、子供は親を選べないばかりか、「生まれた環境」も選べません。「生まれ落ちたところが、すでに両親が居なかった」、「片親だった(後天的片親になった)」、これならまだしも「生まれたがすぐに死んでしまった/殺されてしまった」というような言葉の掛けようもない場合も多々ある。いわゆる「発展途上国」などでは当たり前のようにあるようです。
生まれの不平等というのは当然あるのですが、日常をただ日常として生きていると、そのような現状を知ろうともしないし、考えようともしない…。
思うのですけど、「それでいいのかい?」と言いたくなる。(言ってるけど)「他者理解」とか、私が言っているのは「他者を慮る(おもんばかる)」といってしまうと余計に他人に理解されづらい(-_-;)
まぁ、「相手の身になって考える」ということですわな。おおかたのことはこれを考えることによって解決すると思うのですが、現実社会はそう甘くない、というかそう賢くないと言ったほうが的確かもしれません。自分の利益・欲求にみなさん邁進してらっしゃる。「自由主義」であるとか「資本主義・経済優先主義」といったことが人間の欲求を野に放っているのです。人間は「余計な欲」が旺盛ですから、野生で生きている他の動物のように自然の摂理で淘汰されることがほぼありません。頭数が増えたからといって自然調整されることもなく「万物の霊長」などと勘違いして生きておりますから…
人間と人間のあいだでのみ相手を慮るのではなく、せめてこのすべての環境に関して慮りたい。
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