短い間隔で書籍紹介することになったのは、単に以前に紹介した本を紹介するのをなまけていただけです。「速読」出来るような人間ではなくて、「自称:遅読家」なので悪しからず。落語の小咄じゃないけど、読むのが遅すぎて終わりの方になると、前半部分を忘れてしまうくらいの遅さなんです。
さて、今回取り上げる「オープンダイアローグとは何か?」ですが、この本も前述の通り内容は忘れています(笑)昨日、読み終えたところなのに…。
まぁ、思い付くところだけ内容を言いますと…
・チームで支援すること
・チームで当事者宅もしくは当事者と面接できるところに行く(当事者の安全が担保される場所)
・面接の場でチームのやりとりをする
・あまり当事者が居ないところでミーティングをしない、その場ではいかなる決定もしない
・例えば、チーム5人で訪れるとすると、当事者側は当事者本人と家族(関係が悪くても)が参加する
・当事者が話すことの感想も面談している空間で話す
・もちろん、普段行われる面談のように当事者や当事者家族への語りかけ、質問を行う
・連絡があれば24時間以内に訪問する
・幻想、妄想を話しても、それについても聞く
思い付くまま書きましたが、チームのメンバー全員それぞれがコミュニケーションの力がそこそこないと難しいと思う。チームを作るのにはやはり病院側が「オープンダイアローグをしよう!」と思わないとチーム編成できない。
ただ、本書中には「コミュニケーションの肝(きも)」が書かれていて、私も「あぁ、そうだよね」と再確認したり、「なるほどね!」と思えるところも多かった。このオープンダイアローグは、当初統合失調症患者向けだったらしく、後になって「〇〇にもできるね」ということで広がっていったらしい。日本では国とか都道府県で行われいた/行われているアウトリーチみたいなもんだろうが、オープンダイアローグで強調されていた「本人のいない場所では何も決定しない」という所の違いは大きい。それとアウトリーチで訪問するのは1~2人程度で大勢で当事者もいるところで、みんなでディスカッションすることは無い。
そもそもですが、この「オープンダイアローグ」ですが、意は『開かれた対話』ということらしく、「開かれた」✕「対話」、かつ当事者や支援側の一方的な「一人語り=モノローグ(独白)」ということではない。今まで、現在行われている医療(精神科に限らず)や支援の場になると、当事者や支援側どちらかの「モノローグ」になりがち、というかそうなっている。でも、当事者の「モノローグ」も無駄ではなく、話していく内に「毒気が抜ける」、「話す内に自然と振り返りができる」という効果があるのは否定できない。
オープンダイアローグや診察、支援に限らず、普段の行われる家族、友人の間でも日常交わされるコミュニケーションは、その場限りの「一発勝負」で、その時その時でお互いの考えや状態が変われば、口調やトーンも変わっている。「対話は水物」なのです。ですが、日常的に会って居る人だと「あぁ、あの人ね」と、こちらの勝手で新鮮さを無くしているようなものだ。柄にもなく講師なるものをしているときには「初心対等」と、よく言っているのはこのことが念頭にあってのことです。
大いに脱線してしまいましたが、オープンダイアローグという言葉は知っていたものの、今回この本を読めて良かったと思います。対話は奥深くて概略は説明できても、現場ではそれぞれの実力次第です。このことも確か本書で触れていたと思います、多分…。オープンダイアローグは手段ではなく、それだけも十分意義があることも本書で強く主張されています。(これは確実)
あぁ、この本読まずに死ねるか!