「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

和尚の説教 「倫理・道徳とまで言わなくとも、自分を律するって/自助作用」

2021年05月26日 08時36分41秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
イラストは企業の謝罪会見でしょうか。
なかなか日々の生活の中で「自分を律する」という「非日常」は難しい。私の場合、哲学系の書籍を時々読むと「自分は今のままでいいのか?」と思わされることがある。これまた複数人の団体となると、自分の利益だけではなく団体に関わる全ての利益に関わってくるので決断は容易ではない。自分だけならば「生活の改善」、「心構え」程度で済むかも知れない。でも、個人でも難しい。保守的な環境下にあると、「自分だけが変わるのか?」、「変に見られないか?」という不安に駆られたり、二の足を踏んだりすることも多いだろう。違う風に当たらないと難しい、全然違う世界の人間と接しないと自助作用だけではなかなか・・・。長く同じ環境に居るとそれも同じで変化を望まなくなってしまう。村社会、企業村社会といったところでしょうか?まぁ、「これでいいの?」って言ってしまうと『袋叩き』に遭いそうで怖いしね。ではでは、誰もなにも言わないとどうなるのか?同じ状況が長年続くと「社会、世間と大きく乖離した自分/団体」になってしまうのでは?根性出して「異議あり」、「おかしいぞ」って言うのには、たとえ間違っていても言ってみることは大いに価値があると思っている。私の場合は、どうしても単純な「0/10的思考」が働いてしまうので、その環境から抜け出してしまったりする。それはこれから私がなおして行くべきところだと思う。「粘り強く留まり変化を望む人」という自分でレッテル貼りをしていくのがある程度、周りにジワジワと影響を与えたり、自分もゆっくりとではあるかも知れないが「自己変化」につながっていくのでは?と思う。
自分が恥をかく前に常に積極的に変化を望んでいくことが大事と思わねばならない。





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