最近、急激に視力が落ちてきている。これは自粛生活の中でPCに向かう時間が長くなってきたからだと思います。膝・足首これは時々、杖をつくほどの状態になってしまいます。この時期、5~7月は精神症状が体にまで影響してきます。
この他にも不幸な境遇にある私の周りや友人連の中は私から見て「理不尽な目に遭っている」と思う。しかし、しかし関係性はあっても傍観者のたぐいに入る連中は「あぁ、大変だね」という程度で、それらの連中を責めると「じゃあ、私になにが出来るというのだ!」とキレる。私は思うのだがそういうことは自分の脳内で考えて欲しいと思うのです。思考放棄では「私は私、他人は他人」という誠に情けない社会の形成に一役買っていることになる。自分の地位に恋々とし、何事か起きても「迷惑、迷惑」、親が死んでも「迷惑、迷惑」てなもんで、ほんとの迷惑かけているという話もありますが、それも「迷惑、迷惑」というわけです。そういう場面に出くわすと、「迷惑、迷惑ならこっちから消えてやろう」ってな具合で変な気を起こしますね。
※今から更に愚痴に入ります・・・_(._.)_
例えば、妻子があってマイホームがある。いいですねー、しかし本人はこれを「標準」と考えるという思考が働くのだそうです。先ほどの話しじゃないけど、自分より過酷な境遇な方を見ると、「自衛的」になるそうです。自衛のためにはなにか与えると「損」になりますからね、「あぁ、不幸だね(ハイ終わり)」という、そこからなにかしようと言うことは思わず「思考放棄」です。こちら「底辺人間」はさらに深い溝にはまり込んでいくわけです。互助もなにもないもんです。底辺人間は「俺が上になった時は覚えてろよ!」と思っても現実的に上になりません(キッパリ)。それが現実です。現代などはまだ幸せなのかも知れません。というのも、今、ボチボチ読んでいる「中世史」の本をひもとくとですね、路傍の貧者を天皇が数日後に通るからといって「処分」するのです。「処分」は「処分」です。言わなくとも解るよね?バカじゃないんだから(蔑視)。そんな数奇な人生もあると言うことです。それは現代もあるんです。あなた方が見ようとしないだけで・・・。
で、私のような「路傍の貧者」はどう生きれば良いのか?自分よりちょいと上の人間が「自分たちだけ」っていう狭い世界で満足して他者排除するならば、こっちは少しでも違う分野で秀でて他者排除してやろうじゃない!?と、いいたいところだけど、わたしゃそんなにバカじゃない。(バカか?)
他人をうらやんでもしょうがない!
しかし、困っているひとが居れば出来る範囲で助けようじゃないか!
という意気込みです。「無関心者及び保身者差別運動発起人」です。シランケド
少しでも我が身を日に照らして透かしてみて観察して欲しい。「どれほど世間に汚されているか、否、自分から望んで穢れているのか」を
無関心は犯罪です。
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