「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

和尚のお説教 「衆院選終わったけど、関係ない話します。『日本中、監視カメラ・考』」

2021年11月02日 01時25分03秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
昨日、東京の私鉄で放火・刺傷事件がありました。
電車の中にはカメラは設置していないにせよ、個人で携帯のカメラで
撮影されているのが報道にのりました。
さて、コンビニには店内に向けてはもちろん、駐車場側=道路側にも
向いていて、時には事故や事件の一端が映り込んでいることがありますし、
都内では繁華街に「ごく自然に」カメラが設置されています。
田舎でも畑を荒らす獣を確定するためにカメラが設置されているし、
車の前後にカメラが設置されているのは、今や「当たり前」になっています。
前にも言った「携帯=カメラ」≓「国民総監視機能」ということには
あまりお気づきない。
なぜなら、自分がカメラを持っていて、「自分が監視対象、被写体」ということに
気づいていないか、気づいた振りだけしている可能性が「大」というか
100%と言って良い。

「カメラが犯人を捕らえていました」ということで・・・
「やはり、監視カメラは必要」

「車載カメラに『あおり運転』が映っていました」
「抑止力として必要だよね」

てな具合で「多数の意見」という仮面が張られて、それを疑わない。
でも、仮面は仮面であって本当の姿ではなく、しかしながら「それが真実」
と思って疑わない、なんの根拠も無いのに。

ずいぶん昔の話しを例に挙げれば、「大政翼賛会」というのが日本にありました。
当時の日本国民はちょっと疑いながらも「主流」に流されていく。
人間という生き物は「集団活動」によって子孫を残し発展していった
「動物」なので一概には否定できませんが、これだけ哲学や倫理学が発展し
今も進化続けている現代社会において「さぁ、主流の意見が正しいのだぁ!」
って、もはや「思考ストップ状態」なのです。まぁ、勝ち馬に乗るというか
「主要メディアにのる情報だけが真実」っていうのも疑っていい対象でしょう。
戦前・戦中・戦後を体験した古老が言っておりましたが、
「あの日(1945・8・5終戦の日)を境に世の中180度変わってしまった」
経験があるから、「常に眉唾精神」があるそうです。そりゃそうで教科書が
全部「黒塗り」されて、教員が「昨日まで言ってたことは全て間違いでーす」
という自己否定を含む、世の中が正に驚天動地になったわけで、
そりゃ世の中の事象全てに対して「眉唾精神」になってしまっても
「そりゃ間違っていますよ」なんて言えません。
今回の導入部分は「『監視カメラ性善説』を疑え!」という話しをしましたが
まっ、そういうことなんですが「雑誌・TV・ネット・風聞・隣の噂話」
全て眉唾精神で結構!というのが今回の結論です。

私なりのヒントを申しますとね「いろんな本を読んで、いろんな知識を得る」
そのことにより「眉唾の精神」が養われると思っています。
「なんでも反対!」、「なんでも眉唾」では能が無い。


批判・賛成の根本には豊富な知識が必要ということを私も肝に銘じます。







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