懐かしの『春日三球・照代』のご両人である。
『三球師匠』は、未だご健在である。
『三球師匠』は、相方運に恵まれず、『春日照代師匠』と組む前は、
『クリモト一休』という漫才師と、組んでNHK漫才コンクールを受賞している。
それが、今はJR当時の国鉄、三河島事故によって、事故死。
将来を嘱望されていた『三球師匠』に、暗雲が立ち込める。
しかし、奥さんであり、当時引退していた『照代師匠』が、舞台に復帰する。
そして、ある一定の年齢の方は解かると思うが、あの「地下鉄漫才」で、大ブレーク!
この「地下鉄漫才」にも、いわれがあって麻雀ですってんてんになった芸人仲間から、
譲ってもらったネタだとか・・・
真意のほどは解からないが、着眼点は当時としては新しいといえよう。
その奥様『照代師匠』も、舞台袖で倒れて急逝。
今に至るまで、「ピン」として活動しているようである。
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私の疾患は『複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)』と、うつ病ですが、
どちらの作用で、どうなっているのか解かりませんが、
私の場合は、「ものすごい倦怠感(だるさ)」があって、薬ではなかなか取れませんでした。
今は、ビタミンBを出してもらって、なんとか日常を過ごしております。
あまりにひどい時は、排便以外はベッドから出られません。
ですから、食事も摂れません。
今は勤めていますが、フル出勤ではありませんし、
一日仕事でもありません。
ですので、何も知らない人からは、「なまくら」、「楽している」と揶揄されるのです。
できるもなら、フル出勤してみたいものです。
所用で外出するだけでも疲れるのに・・・
ですので、精神疾患になった方が、会社にいたら、
その方には、なんの心配もいらないゆっくりとした休養が必要になります。
みなさんのご理解、ご協力をお願いします。
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最近、最寄りの「ニトリ」に行くことが多いので、そこまで行く「市バス」を使っている。
いつもと、違う路線です。
いつも使っている路線は、ほとんどの皆さんが、整然と並んで乗車されます。
ですが、この「ニトリ」に向かっている路線は違いますね。
砂糖に死骸にむらがるハイエナのように「われ先に!」と、乗車されます。
向かう先の「地域性」なのかなぁ?とも思います。
いえね、決して私はその方々を「非難」しているわけです、ハイ。
日本人ならば、整然と並ぶべきですよ。
それが、日本人たる日本人たる所以じゃないでしょうか!?
多分、彼、彼女らは変わらないでしょうが・・・
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私は言わずと知れた『障害者』であります。
京都市からも認められております。
べつに「威張っておる」わけではありません。
自己紹介です。
「私には母がいます。」というような感じの意味の自己紹介と思ってくださって結構です。
『健常者』側から見た『障害者』は、「見た目」や「言動」だろう。
そこで、「差別」が生まれる。
逆に『障害者』側には、問題は無いのか?
私は『障害者』の立場から、「問題あり」と思っている。
過剰な、「被差別意識」。
それが、さらなる「差別」を呼ぶ。
「差別」のスパイラルが生まれると思うのです。
そこで、お互いがお互いを理解しようとしない、「非理解」の相乗効果が生まれる。
逆にお互いに傷を持ちつつも歩み寄れば、『相互理解』が生まれる、と思うのです。
「私はこんな辛い目に遭った、私は不幸でしょ!?」と、
「不幸の押し売り」をやっていては、みなさん食傷気味になるのは当たり前である。
自分の不幸は「笑い話」にしてしまおう!
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べつに「威張っておる」わけではありません。
自己紹介です。
「私には母がいます。」というような感じの意味の自己紹介と思ってくださって結構です。
『健常者』側から見た『障害者』は、「見た目」や「言動」だろう。
そこで、「差別」が生まれる。
逆に『障害者』側には、問題は無いのか?
私は『障害者』の立場から、「問題あり」と思っている。
過剰な、「被差別意識」。
それが、さらなる「差別」を呼ぶ。
「差別」のスパイラルが生まれると思うのです。
そこで、お互いがお互いを理解しようとしない、「非理解」の相乗効果が生まれる。
逆にお互いに傷を持ちつつも歩み寄れば、『相互理解』が生まれる、と思うのです。
「私はこんな辛い目に遭った、私は不幸でしょ!?」と、
「不幸の押し売り」をやっていては、みなさん食傷気味になるのは当たり前である。
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