詩は永遠の相で、何かを一瞬、照らせばいい
……って、保坂和志と高橋源一郎の対談かなにかで読んだ、
ような気がする(探せないので)。
「詩と散文のちがい」とタイトルをつけたノートの最初にこの文章を書いた。
ノートがどれだけ埋まるか、ちょっと楽しみ。
季節風の応募原稿を投函してきた。
さてつぎは。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
……って、保坂和志と高橋源一郎の対談かなにかで読んだ、
ような気がする(探せないので)。
「詩と散文のちがい」とタイトルをつけたノートの最初にこの文章を書いた。
ノートがどれだけ埋まるか、ちょっと楽しみ。
季節風の応募原稿を投函してきた。
さてつぎは。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
まぜてください!
あのね、で、私が最近考えてるのは、それを散文でやっちゃいけないのかってこと。
まざって、まざって~。
それを散文でやれるの、最高にいいと思うよ~。
だってさ、氷砂糖の人のなんて、照らされた小石がきらきら並んでる。
ノート、これに続いて書いたのは、
「小説は、その中で時間の経過があって、そこから出たところで認識が変わっていないと困る」
たぶん、公募向けはこうなんだよね。
でもさ、ひでじぃさまのとか氷砂糖の君のとか、ちがうよね~。
ああいう詩みたいな散文が書けたらいいな、あこがれだな。
うわっ、愛でした(笑)。
できないよできないよ、私。
でも模索してるよ。
だって自分がそういうの読みたいんだもん(わがまま)。
うんうん、それからこのまえはじめて読んだけど、氷砂糖氏の「あの夏の○で」もいいよねー!あれさ、「鷲」と同じ世界だねーって思った、少なくとも切り取り方は同じ。あれは詩じゃない?
詩って、私的に抽象画のようなもの。(わからないからっていう意味ではなく)
短編は、一枚の絵(具象でも抽象でも)。長編は、その絵の枠はあるけど、奥行き(時間の流れ)とか、枠の外のもの(なんだろ)もある。
で、ついでに俳句はね、一枚の絵の中一部分なのさ。読む人によって絵が違うくなるの。
おそまつでした~。
おおぎさまのすごいとこはねー、俳句をつないで散文に、短編をつないで長編にできるとこだよー もちろんただ接着してるという意味ではなくてさ。そんでもって、じわーっと、なるほどって一枚の絵が浮かぶよ。
「一瞬派」っていいなぁ。
そっか、あの遠くの滝をコップにつぐのも詩か。
合評会ではその視点がなかったな、私。大反省。
「鷲」の世界はめくるめくで、三半規管ゆさぶられるよね。
でもあれ「危ないけれど」なんて前置きするところが人間性出てるなと思った(笑)。
俳句って、ほんっと、すごいよね。
おおぎさまのご本、いま一番たのしみです♪
おおぎさま>
うれしいよー、忙しく執筆中のおおぎさまがまざってくれるなんて最高♪
そう、わからなさでどうだ!って挑んでくるのが詩だよね。
私なんてさ、わかりやすいのしか書けないけどね。
そうそう、長編は奥行きが、滞在時間が長いよね。
何千年も住んでいた気にさせられる(笑)。
そっか、俳句は一枚の絵の一部分なんだ。
その小さなピースのまわりを想像して浮かぶのは、人それぞれの景色なんだね。
うーん、でも、いいなぁ、こういうおしゃべり。
こーいうのがしたかったの。すごく。
う、うれしいよー、saffiさま、おおぎさま。
あー、季節風に入ってよかったな♪
心配性?(爆)
いいお父さんなんですきっと(爆)。
あれさ、天性だよね。すっとぼけてるとこもさ。