川天使空間

work, write, and fish! __ >゜)))彡  

きっと春はやってくる

2011年03月21日 06時05分10秒 | 自然観察
ガソリン不足につき、裏の川の土手へ旦那様と散歩。
雪はだいぶ消えて、フキノトウが出ていた。

どこにも春はやってくる。
きっと。

夕べの夜間診療所、やっぱり被災地からの子どもが来ていた。
こちらでもインフルエンザ・胃腸炎多数で、何人も点滴して真夜中に帰宅。

今日は渓流解禁日だけれど、行けないだろうなぁ。

書かなくちゃと思えども、まだまだ心が痛くて。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
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防寒リン

2011年03月20日 06時05分25秒 | 
あったかい防寒着で寒さをしのぐリン(平均室温10℃ゆえ)。
というか、病院支給の腰巻を紛失したので窮余の策(レッグウォーマーに穴開けて作製)。
これをしていると縫合糸をひきちぎろうとしないので。

…でもちょっと、似合ってる?

旦那様が来て、ほっとしたけれどやっぱり創作は乗れない。
今夜は夜間診療所当番。
被災地の人たち、秋田に避難してきた子たちを診るのだろう。
どじょうさんみたいに、被災地で、できることを懸命にやっている人たちがいる。
私に今できることは、子どもたちを診て家族を安心させてあげること。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
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腰巻リン

2011年03月19日 05時57分52秒 | 
こういうときだから、和み画像を。
術後の腰巻を巻いたリン。

不妊手術を受けて(相当暴れたらしい)、術後エリザベスカラー(傷口を舐めないようにするエリマキトカゲみたいな装具)をつけたのに、あっというまにひきちぎったそうで。
この腰巻だけ巻いて、家に引き取ってきたけれど、腰巻はいつのまにか行方不明に。
そして今は、傷口の糸を噛んで自己抜糸しようと必死。

被災地の小児科仲間のMLで、現地の悲惨さに気持ちは暗くなるけれど、
糸を抜こうとがんばるリンを見ていると、ふにゃーっと笑える。

被災した動物たちに、アーク(アニマルレフュージ関西)が手をさしのべているとのこと。
被災地の人たちにも、動物たちにも、明るい未来が訪れますように。

旦那様が帰る予定の三連休だったけれど、病院に被災患者さんを受けいれるとかガソリンないとかで旦那様帰れず。
当然、渓流解禁もなし。
静かに、書いたり読んだりしていこう。
…と思ったら、アパートの暖房が切れたようでさっき「帰る」との電話(いいのかガソリンあるのか…)。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
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強い子ばかりじゃない

2011年03月18日 05時23分52秒 | 小児科
小児科外来に来る患者さんは、ガソリンに余裕がないためか少なめ。
そんな中、頻尿の子がやってきた。

「おしっこが近くて、おしっこしても残ってる感じでまたトイレに行くんです」
というお母さん。
「おしっこ出るからって、おちんちんにぎりしめてるんです。やめなさいっていうのに」
幼稚園児のその子が、私の前で最初に言ったことは、
「津波こわい」
それを聞いたお母さん、
「テレビで見た津波がこわいんですよ」

ああ、やっぱり。
尿検査をしたが異常なし。心因性頻尿だった。
津波映像がストレスになっているんだなぁ。
強い子ばかりじゃないから、テレビの見せ方、気をつけなくちゃと改めて思ったのだった。

創作に乗れないのは仕方ないんだろう。
ここはもう、気持ちを切り替えて。
書ける時に書けばいい。今、自分にできることをやればいい。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
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逃れてきた子どもたち

2011年03月17日 05時12分44秒 | 小児科
昨日、多賀城市と仙台市の子どもたちが受診した。
いずれも家が流され、秋田の親戚を頼ってきた子どもたち。

仙台市の5歳児はA型インフルエンザだった。
避難所で感染した模様。
多賀城市の1歳と4歳の兄妹は、両親はまだ現地で働いていて、祖父母が連れてきた。

「首まで水に浸かったんですよ」というお父さん。
「4月が予定日なんです」と大きなお腹のお母さん。
でも、表情は割に明るく、こちらのほうが勇気づけられた。

私も9歳の時、新潟地震で家は半壊し、しかも炎を上げる石油基地のすぐそばだったから、両親と離れて田舎に避難したっけ。
怪我をした足が痛かったし、寂しくて切なかったけど、「しっかりしなくちゃ」と必死だった。

「でも、みんな無事だったんです」というお母さん、おばあちゃんたちに、
「よかったですね、がんばってくださいね」となんとか笑顔を返せた。

みんな、強い子に育ちますように!

少しずつ、少しずつ、落ち着いて書けるかな。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)

コメント (4)
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