「富士」と名のつく書物を、手当たり次第まさぐる性格なのですが、石垣市立図書館の文庫本コーナーから、気になっていた武田百合子さんの「富士日記」の上・中・下のうち下を借りてきて、少し、読み進めています。何の脈絡もないが、佐藤優さんの「獄中記」も文庫で借りてきています。どちらも文庫なのは、週末、退屈な飛行機で関東まで出かけなければならないので、あまりガサばらないで、旅に携行できる退屈しのぎの小道具の役をしてもらうためです。この二冊、文庫であるほかは内容にまったく脈絡ないのだが、「日記形式」が共通点で、いつでもどこでも開いて「他人の庭」を眺められるので、という覗き見思考の軽い気持ちで借りてきたのです。
で、「富士日記」、昭和51年に64歳で亡くなった小説家武田泰淳さんの奥さんが、二人で暮らした富士山ろくの別荘を中心とした生活をつづったなんともほのぼのとした日記なのですが、今読んでいる箇所は昭和44年ですから、これからの綴りは、夫と過ごす最後の6,7年間が凝縮された内容となるはずなのですが、「なんで、上・中から借りないで、下から借りたのか?」、問われても、理由は見出せないのだけれども、ヒトの暮らしを終わりから(悲しい地点から)逆方向に眺めてみたい、最後がドラマチックそうだから、終わりの文章が洗練されてきただろうから、などと今、いろいろな理由を考えた見たが、「不明」です。ただ、言えることは、富士は不動のままで、何の魂胆もなく、大きく美しい、ということです。
とりあえず、週末飛行機で、昭和51年まで読み進めたいと思います。
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(万葉集の柿本人麻呂)
11月14日未明3時45分ごろの石垣島のお月様
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