山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズは、BSテレ東で土曜日の夕方、ほぼ2年おきにくり返し放映されているが、ほぼ全編録画していることもあり、もう何度も何度も繰り返し見てきたこともあり、このところ映画の始めから終わりまであまり通しで見ることはなくなった。
物語を起・承・転・結に分ければ、寅さんが恋の絶頂にいたる「起」と「承」あたりまで観て、その後の視聴を停止していることが多い。理由は、寅さんの失恋が辛いこともあるのだろうし、それのマンネリが嫌だという気持ちからなのかもしれない。
昨夜は、ちょうど30年前の1992年12月に封切りされた、シリーズ45作目の「寅次郎の青春」をやっていた。この作品のロケ地は、宮崎県の青島や油津や飫肥城(おびじょう)。マドンナは、風吹ジユン。
オイラは、この作品の油津の風景、とくに油津の海の近くの家並と堀川運河に架かる橋からの飫肥杉水運風景や寅さんと風吹ジュンのやり取りが好きだが、それにもましてこのシーンの後、蝶子(風吹ジュン)がひとり営む理髪店に、寅さんを「髪刈っていきんさい」と誘って、静かな店内で、理髪用椅子を倒し、寅さんの顔に熱いタオルを当てた後、シャボンを頬から顎一面になぞりつけ、ゆっくりと髭を剃っていくシーンが、なんとも色っぽくて、好きだ。髭剃りの鋭利な刃が頬を伝う快感と吐息のかかるような近距離で接近する女性の色気を寅さんとともに体験し、この世の安らぎというものを一手に引き受けるようなシーンが好きでたまらない。鳥かごの赤い小鳥。放たれた窓からやさしくカーテンを揺らす風が静けさを誘う。
この散髪中、小さなラジカセから流れる音楽が、モーツァルトのクラリネット協奏曲の第2楽章だ。
モーツァルト晩年のこの何とも物哀しく、甘美で、静かな音楽が、上記シーンの快感と重なって、安らかさをより一層つのらせてくれる。(この46作が寅さんの「晩年」の作品であることもあり、まるで寅さんが天国の理髪店で憩いでいるときに流れる天上の音楽にも聴こえるが・・・)
この映画の季節は、冒頭近くに柴又とらやのおばちゃんたちがお月見の話をしていることから、初秋9月ころなのだろう。
オイラは、どうゆう理由なのか分からないが、暑い夏が過ぎて、あるいは夏真っ盛りの季節の中にいて、ふと「秋を感じるころ」に、モーツァルトを聴きたくなる。冬に「春を感じるころ」も同じだが。
上記の協奏曲もいいがクラリネット五重奏などの室内楽やピアノソナタなども秋の気配に馴染む音源だ。この季節、しばらくモーツァルトを聴いていよう。
昨夜は、この理髪店でのシーンにうっとりして少しあと、寅さんが仲良くなった蝶子と飫肥城内をデートをしている最中に、甥の満男の彼女である泉ちゃん(後藤久美子)と城内の階段で偶然に出会い、何やら不思議な三角関係もあって、あわてた寅さんが石段を踏み外してケガをする(いつもどおり大げさな軽傷なのだが・・・)という相変わらずのドタバタシーンで視聴を止めた。
2019年3月にオイラは、石垣島から仙台までの北帰輪行の途次、どうしてもこの作品のロケ地に立ち寄りたくて、油津の港や飫肥城、青島の鬼の洗濯板などを周遊した。昨夜またこの作品を見直して、どうしたわけか風吹ジュンの理髪店があっただろう堀川運河界隈だけの周遊の機会を逃したことだけが、心残りであったが、飫肥城の階段を踏むことができて幸いを思い出した。
だが、ロケ地というのはどことなくさみしい思いがする。あの飫肥城の階段の下でいつまで待っても、寅さんも蝶子も泉ちゃんも決して現れることはないのだから。
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今の季節に道端に開くヒルガオのピンクは、まさに理髪店主蝶子のユニフォームの色と同じ
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