年々感受性というものが薄らいでいくことを自覚している。
12月に入ったのだからと、今朝Youtubeでオイラお気に入りの「ブルーノ・ワルターの第九」を聴き始めたが、十年以上前の暮れに、京都から延暦寺をお参りし大津の坂本側に下るときにイヤホンで聴いた時の鼓動というものは甦らなかったので、三楽章を終えたところで聴くのをやめて昼にした。
外は少し寒そうだが快晴の青空。
「そうだ、12月から走りを再開すると心にきめていたではないか・・・・」
やにわに、タイツやトレラン用短パン、ウインドブレーカーにランニングキャップを引っ張り出し身に着け、もう買って十数年にはなろうかと思われるつま先に穴の開いたアシックスのランニングシューズをげた箱から引っ張り出し靴ひもを結わえ外に出た。
もう昔のようなジョギングはいきなりできないから、肩にいつも身に着けているサコッシュをかけて早歩きないし歩きより遅いスロージョギングスタイルで、約2時間広瀬川の下流の歩道を流してくる。
もう卒業と決めていたランニングを再開したのには訳がある。
こないだ山を共にした石垣島の連中に山小屋で酔った勢いで、来年二月のマラソン大会を一緒に走り、翌日山に登ろうと約束してしまったからだ。
その行きがかり上、10キロの部門にエントリーして、やれ航空機だの安宿だのをあっというまに予約してしまった。
考えてみれば、2019年の2月に石垣島のトレラン大会を走ったのを最後に、コロナ期の「オンラインNAHAマラソン」時期を除いて、すっかりランニング大会なるものを卒業しており、走るというモチベーションを喪失し、結果、体がブクブクと肥え、10kといえどもとても走れるガタイではなくなっている。
そんなことで、何とか来年の2月までの2か月間でなんとか10Kをつつがなく(脳心で倒れないでという意味で)完走できるだけの体力・体重を少しでも回復しようと走り始めた(動きはじめたといっていいかも)のだ。
モチベーションということでいえば、このところ山登りも苦痛になり始めているが、その原因は高齢化ばかりではなく、やはりランニングをしないことによる体力の低下、トレーニング不足であることを自覚している。
そのせいで、今年もテントを担いでの山歩きを敬遠しており、おのれのだらしなさに愕然としている。
2024年師走、今日のランニング再会を契機に、スロージョギングでもいいからランニングをまた日課にできればいいな、それだと来年はテント担いでもっと山に行けるな、とひそかに言い聞かせた。
少しだけ汗をかいたからか、夕食のビールが少しだけうまく感じた。
穴の開いてクッションがきかなくなっても、練習用として捨てないでおこう。
広瀬川には、昨年以上40羽をこえるオオハクチョウさんたちがやってきていた。どうして彼ら彼女らの羽はいつもけがれなく美しいのだろうと思った。ヒトとは異なると思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます