昨日のことです。昼前に電話があって(古そうなお墓がでてきた)ので見てほしい!とありました。そんなお墓には詳しくはないと思いながらすぐ出てくる、と言って、masudaくんに電話しました。masudaくんは私が知りうる(お墓研究家)?です。ところが出かけていて即対応はできませんでした。致し方なく一人でお墓発見現場まで行きました。下新町の東小近くのところでした。新しく家を建てられてその付帯工事でブロック塀をたてるときに基礎部分を掘っていたら(お墓)が出て来たとのことでした。
お墓を見たら(歓喜院三世〇〇・・)という字が彫られていました。歓喜院3代目住職融心 さんのお墓でした。「延宝9年四月十六日」(1681年)とありました。
masudaくんにも昼から見てもらって(歓喜院)の存在を聞き、ここいら辺にあった寺で歓喜院住職のお墓はこれまで見つかっていないとのことでした。maeda住職さんにお祓い供養をしてもらって建築大工さんも一安心のようでした。
家に帰って「九州相良の寺院資料」(上村重次さん著)を読んだら、歓喜院のことが書かれてあり、明治になって廃寺になった旨の記録がありました。その途に住宅化されたもののようでした。私の疑問はそのお寺の仏像等はどこに行った?です。何の記録もありません。真言宗寺なので願成寺かな?です。
廃寺は150年ちょっと前のことです。こんなに誰もわからなくなったことが不思議でした。お祓いはしてもらったので(歴史史料)として保存しておきます。
今日の天気(霧→)