コブシ;木筆;山木嵐;幣辛;姫辛夷;やまあらぎ(モクレン科)花言葉は、友情。落葉高木のはなで日本全土に自生する。高さ20mにもなり、春先さき立つて芳香のある白い花おつける。観賞用のほか、建築材などにも使われる。蕾が赤子の拳に似ていることからこの名がついたといわれる。
「一月の疵つき開く辛夷かな 高野素十」「雪渓に散りて色なき辛夷かな 西本一都「わが山川まだ見尽さず花辛夷 相場遷子」「満月に目をみひらいては名こぶし 飯田龍太」「風の日の記憶はかりの花辛こぶし 千代田葛彦」「山垣の雲の記憶ばかりの花辛夷 飴山 實」「辛夷より白きチョークを置きにけり 西嶋あさ子」「花辛夷信濃は風の荒き国 青柳志解樹」「備中の国のあをぞら花辛夷井上弘美」。(山木嵐仰ぎて星の息と合う ケイスケ)。『八王子』地名の知(由来)。「八王子」は{8人の王子」のこと。古い信仰に由来する。八王子城跡の近くにある宗関寺によると、平安時代の913年、京都からの学僧が深沢山で修行をしていると、大蛇が下りてきて学僧の周りで寝てしまう。その大蛇の頭を如意俸で打つと、大蛇が消えた後に8人の王子を従えた神様の牛頭天王(ごずてんのう)が現れたという。この話を基に深沢山に建てられたのが「八王子神社」だ。戦国時代には、八王子神社があった場所に造られた城が「八王子城」と呼ばれるようになり、地名として定着したとされる。『戦国時代の謎が多く八王子城の謎は多く』落城してから400年以上がたち、当時と山の形が変わり、入り口部分は復元されたが、大部分は土の中に眼っていて、険しい山なので発掘も大変で一部しか調査出来ていない状況、今でも、あちこちに石垣の跡が見つかる状態のようだ。八王子城の歴史を伝える活動を続けるNPO法人『八王子城跡三つ鱗会』理事長.金子信一さん(67)の談話より。2016年3月8日読売新聞36頁地域より。
「一月の疵つき開く辛夷かな 高野素十」「雪渓に散りて色なき辛夷かな 西本一都「わが山川まだ見尽さず花辛夷 相場遷子」「満月に目をみひらいては名こぶし 飯田龍太」「風の日の記憶はかりの花辛こぶし 千代田葛彦」「山垣の雲の記憶ばかりの花辛夷 飴山 實」「辛夷より白きチョークを置きにけり 西嶋あさ子」「花辛夷信濃は風の荒き国 青柳志解樹」「備中の国のあをぞら花辛夷井上弘美」。(山木嵐仰ぎて星の息と合う ケイスケ)。『八王子』地名の知(由来)。「八王子」は{8人の王子」のこと。古い信仰に由来する。八王子城跡の近くにある宗関寺によると、平安時代の913年、京都からの学僧が深沢山で修行をしていると、大蛇が下りてきて学僧の周りで寝てしまう。その大蛇の頭を如意俸で打つと、大蛇が消えた後に8人の王子を従えた神様の牛頭天王(ごずてんのう)が現れたという。この話を基に深沢山に建てられたのが「八王子神社」だ。戦国時代には、八王子神社があった場所に造られた城が「八王子城」と呼ばれるようになり、地名として定着したとされる。『戦国時代の謎が多く八王子城の謎は多く』落城してから400年以上がたち、当時と山の形が変わり、入り口部分は復元されたが、大部分は土の中に眼っていて、険しい山なので発掘も大変で一部しか調査出来ていない状況、今でも、あちこちに石垣の跡が見つかる状態のようだ。八王子城の歴史を伝える活動を続けるNPO法人『八王子城跡三つ鱗会』理事長.金子信一さん(67)の談話より。2016年3月8日読売新聞36頁地域より。