仏の座;通りがかりのビニールハウスの横に放りだされてしなびている雑草の束の中に,ゲンゲ色(紫雲英色)がついていたので、手にとつてみたらがついていて、ホトケノザだつた。ハウスの中は、ホトケノザの花盛りであった。しゃんと立った20㎝あまりの、鉛筆の芯の先に、ゲンゲ色の潜望鏡のような形のよい花が乗っていた。横向きの姿が鳥の首のようでもあり、ちょつとした出っぱりが、くちばしに見えた。茎には何段にも葉がついていて、仏具の燭台を連想させた。さすがにはまだ花は少ないかったが、開かないままの雌雄こっそり結ばれる閉鎖花が多かったのかもしれない。ことしの正月、神代植物園で七草粥があったとき、深大寺を通って公園の裏門から入ってみたら、この草が目にっいた。ところが七草粥に出てくる{仏の座」は、これとは全く区別の異なるコオ二タビラコ(キク科)だからややっこしい。牧野富太朗博士によればまずい物の代表格だそうだし、毒草節もからおかゆの仲間入りは出来っこない。俳句歳時記などでは、「仏の座」が新年の巻しかなく、いまのホトケノザは無視されていたり、「法蓋草」としてホトケノザが解説されているだけで句は一つもない。(月刊調布:狛江:三鷹:稲城:府中の文化情報誌(March2016「3」vol.401)。俳句歳時記(角川学芸出版記「第4版編」仏の座;田平子では、春の七草の一つ。キク科の一年草。小鬼田平子のこと。蓮華の円座に似た形から仏の座の名がある。「夜は海づくといふ仏の座 中尾寿美子」「油屋の千本格子ほとけの座 松本澄江」「遠来のもののごとくに仏の座 山口 連」「雪割れて日矢の射しけり仏の座 豊長みのる」「たびらこや洗ひあげおく雪の上 吉田冬葉」「田平子や午後より川に人の出て 岡井省二」。(植物園さざめき通る仏の座 ケイスケ)。
ラツパスイセン;水仙花;雪中花、らラツパスイセン:(ヒガンバナ科)花言葉は、尊敬。鮮やかな緑の剣葉に守られた水仙の葉は一茎ごとに必ず袴をつけて根元を乱さないみだしなみと、雪中花の名で呼ばれるように、水仙にはうちに秘めた精気があり、雪の中で花を開く姿に、苦しい時でも人の情けを借りずに自力で生き抜く人間の姿への思い入れが愛されるゆえんであろう。白い花の中に金色の杯に似た黄色の副冠が美しく、その姿から、中国では金餞銀台(キンセンギンダイ)と呼ばれる。蜀山人は「しろがねの台にこがねの盃の花はいずれと人やすいせん」と詠んだ」。「黄水仙人の声にも揺れゐたり 村沢夏風」「黄水仙瞳きて咲く殉教碑 中山純子」「水平に母の声来る黄水仙 鈴木節子」「横浜の方に在る日や黄水仙 三橋敏雄」「喇叭水仙黄なり少年兵の墓 山崎ひさを」。(訪れる 春の兆しに 雪中花 ケイスケ)。
このところ、日替わりに、寒暖の差多く、彼岸過ぎないと安定の兆しなし。
このところ、日替わりに、寒暖の差多く、彼岸過ぎないと安定の兆しなし。