誕生日の花、俳句など

毎日が日曜日の私が、その日、その日の出来事や、世間話のなかで、悲憤慷慨何でもあり、想いのままを、書き撲ています

花火

2015-07-12 20:56:02 | 日記
夏の風物詞花火、第一号が今宵始まる。6時頃「爆発音」が聞こえてきた。べランタ”に出てみると、調布方面に花火が打ち上げられていた。今年の第一号えある。午後8時になると、音も消えた。これから、多摩川~両国隅田川と続くえあろう。両国墨田川の場合は、TVも放映されるから、楽に見られるが、今宵の調布の花火は音から気が付いた最初の花火となる。「ねむりても旅の花火のが胸にひらく 大野 林火」「暗く暑く大群集と花火待つ 西東 三鬼」「手花火に妹がかいなの照らさるる 山口 誓子」「思う事の空くた”來る花火かな 寺田 寅彦」「はるかなる仕掛け花火の照らす波 中村 秋晴」。(遠き打ち上げ花火に 心躍らす ケイスケ)追記;私のブログ=手におは=の中に=書けないカナ文字=出(えええ???)何ぜか?教えて下さい。

矢車草

2015-07-12 05:32:41 | 日記
矢車草(ユキノシタ科)花言葉は、優雅;幸福。地中海沿岸から小アジア原産、キク科の一年草。日本へは明治時代に渡来。切り花や花壇用として栽培される。草丈30~100㎝、よく分枝した茎の先端に径4~5㎝の頭花をつける。辺花のひとつの花を見ると、花弁の先が不規則に裂けて鯉幟の先端に飾る矢車に似るのから「矢車草」と呼ばれるが、正確には「矢車菊」。花色は青紫、桃、白、赤、。日本の山間部には別種の「矢車草」が自生する。ユキノ貢シタ科の多年草。葉が矢車の形。●ヨーロッパのいずこの小庭にも見かけられる。庶民的な雰囲気のある花。「矢車草教会え逢ふ恋いまも 宮脇白夜」「久女の墓低し矢車草よりも 二宮貢作」「供華に挿す矢車草の一つかみ 綾部仁喜」「遠地を視る母の眸のある矢車草 山崎久美江」「矢車草ぐつたり咲いていくさあと 遠藤信子」。(青空に挑む明るさ矢車草 ケイスケ)

仏桑花

2015-07-11 06:25:18 | 日記
ブツソウゲ(アオイ科)花言葉は、常に新しい美。原産地不明あがる古くに沖縄に伝わる。江戸時代に琉球から江戸に何回も持ち込まれたが栽培に成功しなかったという。高さ1~2m。葉は互生し、卵形え縁に粗い鋸歯がある。7~9月、新しい枝の葉のわきに木槿に似た漏斗状の花を開く。雄蕊は融合して筒となり花の外に突出し、雄蕊は融合してこれを貫いてさらに飛び出し、先端は五個に裂ける。花の色は赤、黄、白。ハワィにて品種改良された園芸品種群が「ハイビスカス」の名、夏の鉢物として流通する。トロピカルなイメージの華やかな花。中国名「紅槿」漢名「仏桑花」。「妹が居てことにまつかき仏桑花」「海の紺ゆるび来たりし仏桑花 清崎敏郎」「トルソーのぬっと壺中より立ち仏桑花 八木三日女」「寺院ありハイビスカスの咲くなかに 星野 椿」「恍惚と旅の寝不足仏桑花 渡辺千枝子」「仏桑華垣の家に棲む婆ひとり 玉城 周」「古墳の村風さびさびと仏桑花 今村潤子」。(仏桑花涙の後に風といて ケイスケ)

梅雨の晴れ間

2015-07-10 15:49:30 | 日記
暦の上の梅雨明けは6月11日頃から30日前後とされるが、実際には地域やその年の気候状態によって異なる。平年は七月下旬頃に梅雨が明けるといわれるが、いまわきかれない。今日は久し振りの快晴に溜ったから洗濯物を洗濯屋に持つて行く。家の並びの約200m~300m位の往復なのに家に帰ると全身汗びっしょりかいていた。突然の変異が体力に順応しないのか?歳のせいなのか、不思議な冷や汗をかいた。今日梅雨の晴れ間となる。持参した洗濯物の仕上がり日は14日、配達するようにお願いして帰宅した。洗濯料、配送料合計¥3,067円 (タカセクリーニング 三鷹市新川6-32-15 Tel0422-45-2851)

シモツケソウ

2015-07-10 06:15:17 | 日記
シモツケソウ;下野草(バラ科)花言葉は、ひそかな恋;自由。関東地方以西の山地の日当たりのよい草地に生える、多年草。草丈30~80㎝、葉は羽状複葉て”、長い葉柄をもつ。7~8月、径4~5㎜の小さな花が散房状に多数つく。哉色は淡紅3~5弁て”ある。花が繡線菊に似るが、繍線菊に似るが、繍船菊は同じバラ科なるも低木。花容がよく似た鳥足升麻はユキノシタ科の多年草。「下野草雲のごとくに咲いており 飴山 實」「夫婦句友しもつけ草を咲かせけり 松崎鉄之介」え「下野草雲の中よりリフト現る 加藤耕子」「繍線菊や雨支へる竹細く 小倉玲羊子」。(ひそかな恋心 下野草を奉げけり ケイスケ)今日は 雲はあるも 久しぶりに 陽光が見られそう。梅雨の晴れ間なるも 気象情報は台風の接近を報じている。北海道を除く日本中が雨模様。

ギボウシ

2015-07-09 06:36:07 | 日記
疑宝珠の花(ユリ科)花言葉は、静かな人;沈静。大葉疑、小葉疑宝珠、乙女疑宝珠などがあり、いずれも多年草。本州各地に生え、観賞用に江戸時代より栽培される。若葉や蕾は食用。高さ10~60㎝、葉は地ぎわに生え、卵円形、心臓形、広線形などで、先端がとがり、多くは葉柄を持つ。6~7月、葉間から花茎を抜き出し、長さ約5㎝の漏斗状の花を総状につけ、下から順に開く、一日花である。花色は、白色、淡紫色、紫色、など。蕾が橋の欄干につける疑宝珠に似ているところからこの名がついた。●梅雨空の下でも、夏の陽光の下でも涼しい涼しげな感じのする花。うつむき加減に咲く様子は、控えめで清楚である。「ぎぼし咲き海霧がむしばむ一墓標 金尾梅の門」「石の窪雨たゝへし花ぎぼし 勝又一透」「八玥の音かな擬宝珠咲く 吉田鴻司」「睡き子のかたむきかゝる花疑宝玉 石田いずみ」「疑宝珠咲く葬儀三日の夕間暮 広瀬直人」「形見とておほかたは古き疑宝珠 大石悦子」。(紫の 疑宝珠の花 輝けり ケイスケ)

越中富山方言番付

2015-07-08 09:22:14 | 日記
名物編;横綱(鰤)=がんと”。大関(ほたるいか)=ろこいか。張出大関(かまぼこ)=くずし。関脇(白えび)=しろえび。小結=(あかむつ)=ぎょらしん。前頭(とらふ)=とっぺ。前頭(寒天料理)=べっこー。前頭(きのこ)=こけ。健康編:横綱(いきいき)=きときと。大関(若々しい)=わらびしー。張出大関(元気ですか)=まめなけ。関脇(からだが丈夫)きっつい。小結(だいじょうぶ)=じゃまない。前頭(ねんぎ)=あやまち。前頭(だるい)=だやい。前頭(よいぐあい)=やんばい。以上が越中富山方言番付(其の一)えある。私が子供の頃、昭和10年代、越中富山の薬売りが薬剤を背負つて売りに来ていた。希望する薬品を置いて置き、一年間に使用した薬代を精算する方法である。随分気の長い商売であつた。先日機会があつて一部の薬を買つてみたら、上記のような超中富山方,言番付其の壱の袋が薬品とともに送られてきた。「富山常備薬グループ」からであつた。今年新幹線が富山県まで開通した時代に、懐かしい昔の想い出とともに送られて来た薬品は現代的に衣装かえされていた。封筒の裏側に記載されていた方言番付(其の一)である続編があるのなら、この続編を見てみたい欲望にかられる富山常備薬グループの登録商標であった。

グラジオラス

2015-07-08 06:27:12 | 日記
グラジオラス(アヤメ科)花言葉は、堅固;用心。南あフリカや地中海沿岸地方原産を元に交配された園芸品種群、数は多い。グラジオラスとは、ラテン語の「剣」という意味えある。海外から輸入され花色が驚くほど豊富えある。夏咲きと春咲きがあり、切花はほぼ一年中花屋に並ぶが、夏咲きが一般的。球根は春に植える。草丈60~100㎝、剣状の葉の間から花茎を伸ばし、径6~10㎝の花を10個位穂状につけ、下から順に咲き上がる。花色は豊富。赤、桃、黄、橙、白、など。日本に導入されたのは江戸末期、「和蘭あやめ」「唐菖蒲」と呼ばれた。「グラジオラス」は属名。「グラジオラス妻は愛憎鮮烈に 日野相城」「刃のごとくグラジオラスの反りにけり 佐久間慧子」「理科室の窓明るくてグラジオラス あざ蓉子」。

昼顔

2015-07-07 06:10:12 | 日記
昼顔(ヒルガオ科)花言葉は、優しい情愛。蔓性多年草。各地の野原や路傍なとの日当たりのよい所に生える。茎は細く他物に絡み繁茂する。葉は長さ約10㎝の鉾形、基部の両側はとがる。7~8月、葉の脇に淡紅色の漏斗形の花を一個つける。萼の外側に咲きの尖った卵形の苞葉が二個相対してつく。花は朝開花して夕方にしおれる一日花。「万葉集」の「かほばな(容花、顔花)」はこの花を指す。●花びらが薄く、日や風に痛みやすい。また夏の日盛りに咲き、夕方しぼむためか、はかない印象がある。しかし細長い蔓は何処も伸び、巻き付き野生の強さも感じさせる。「昼がほや煩ふ牛のまくらもと 蕪 村」「昼顔のほとりによべの渚あり 石田波郷」「昼顔や老い美し家郷の人 角川源義」「昼顔のあはれ途方に暮れる色 飯島晴子」「昼顔に廃れて巨き鮭番屋 堀口星眠」「昼顔や革の嚢と銃口と 櫛原希伊子」「昼顔の見えるひるすぎぼるとがる 加藤郁平」「昼顔や手が現れて窓を閉つ` i今井 聖」「昼顔に妊婦は浮きて歩みをり 石尾悠山」「昼顔や間昼の海のなるばかり 伊藤晴子」「昼顔や捨てられるまて櫂痩せて 福永耕二」「昼顔や真昼の海の鳴るばかり 伊藤晴子」「浜昼顔病みて父をかなします 神尾久美子」「口びるは舐めてやわらか浜昼顔 池田澄子」。(昼顔は 夕闇せまり 寝る姿 ケイスケ)

七夕

2015-07-06 22:40:16 | 日記
七夕;陰暦七月七日の夜、夫婦星と言われる牽牛星と織牛星が天の川にかかる鵲の橋を渡って、年に一度あけ会うことが許されるという伝説から生まれた行事えある。二つの星の願う事から、「七夕竹」に願い事を書いた短冊をささげて人間も一緒に希望をかなえてもらおうというのえある。昔は、七夕竹に五色の糸をかけ、これを「願いの糸」と言った。また七夕に詩歌を供えるために七月六日に硯を洗う行事があった。この硯に芋の葉の露を取り墨をって詩歌を書いたものえある。東海道線藤沢駅に於いて行われていルから何回か見に行った事がある。「恋さまざま願いの糸も白きより 与謝蕪村」「噴煙のこよひはしるき星祭 水原秋桜子」「七夕竹惜命の文字隠れなし 石亜波郷」「愛硯のよはいを思ひつつ洗ふ 百合山羽公」「井の底に水膨めり星まつり能村登四郎」「峡の空せまきに馴れて星まつる 馬場移公子」。(竹葉なく虚しく七夕願い叶わらず ケイスケ)