誕生日の花、俳句など

毎日が日曜日の私が、その日、その日の出来事や、世間話のなかで、悲憤慷慨何でもあり、想いのままを、書き撲ています

レンゲソウ

2016-04-08 05:43:15 | 誕生日の花ケイスケ日記
レンゲソウ;ゲンゲ(マメ科)花言葉は、感化;私の悲しみを和らげる。中国原産のマメ科の植物で、越年草の花。かつては緑肥として刈り取りの終った稲田で広く栽培されていた。葉は互生し、4~6月に葉腋から花柄を伸ばし、先端に蝶形花をつける。「余念なく紫雲英をつむとひとは見む 大島民郎」「指ゆるめげんがげの束を寛がす 橋本美代子」「童女摘むげんげに吾が摘み足りせり 塩川雄三」「どの道も家路とおもふげんげかな 田中裕明」「頭悪き日やげんげだに牛暴れ 西東三鬼」「絞る休みせし吾をげん田に許す 津田清子」「げんげ田へ女がさきに座りけり 星野麦丘人」「げんげ野を来て馬市の馬となる 下村ひろし」。私が蓮華田をみたのは、小学校6年の時修学旅行の列車に乗り、鳥取県若桜町を出て、京都に向かう時に車窓から見える蓮華田の美しい景色に感動した懐かしい思い出がある。その後、鳥取一中を受験するも、鉄棒の逆上がりが出来ず、入学出来ず、東京から長兄英一兄が小学校から浪人とは何事か?と叱られて、東京に戻された。私が7歳の時に父が逝去し母は家政婦、長男英一は、中学2年生で日本橋、箱崎町にある回漕店に住み込み南洋から輸入する果物を艀から引き取る仕事をしていた。次兄實は、山田家に養子に行き、私は、父(東京都港湾局職員で、東京湾の埋め立て事業に従事中に42歳で逝去)したために5年生まで一人暮らしをしていて、勉強していなかった。(その原因は、港湾局の、部下夫妻が私の面倒を見てくださるためであつた。)ところが、奥さんが、だいの酒ずきで、朝食事を終わると、台所で、焼酎を、がぶ飲みして、井戸水で、コツプ一杯飲むと、朝食をかたずけることなく、昼まで食卓のよっこで寝ていた。これを見て、私は8畳の窓から鞄を投げ入れ、友達の家に遊びに行くのが毎日であった。そのことがわかつて、から鳥取県の(母の実家)に送られた。ここで従兄が若桜小学校6年女子組の教諭をしていたので私は、鳥取に預けられ、毎晩夕食後従兄の机の隣で、11時ごろまで勉強させられていた。成績は上がるも、鳥取一中を受験するが、入学試験に鉄棒の逆上がりをさせられるも、鉄棒にぶら下がることも、したことがなく、逆上がりが出来ず入学出来なかつた。このよことから、入学出来ず、東京から英一兄が来て、小学校で浪人とは何事か?と言われて、東京に逆戻りとなったのである。蓮華草と修学旅行までの思い出には、様々な経緯ががある。少年時代の思い出である。(思い出は数々ありて、迷えども、今は我が身の肥やしとなれり ケイスケ)(従姉妹兄弟は、重子、加代子。勝子、豊子、末子とすべて女性であつた。それぞれ婿養子をむらつていた)

踊子草

2016-04-07 08:05:40 | 誕生日の花ケイスケ日記
オドリコソウ(シソ科)多年草で、花は淡紅紫色の唇形。上部の葉腋に輪状に開き人が笠をかぶって踊る姿に似た優美な花である。山野.路傍の半日陰に多い。高さ30~50㎝。茎早割らしく根元から群がって直立。葉は先がとがり鋸歯がある。「踊子草みな爪手立る風の中 岡部六弥太」「きりもなくふえて踊子草となる 後藤比奈夫」「散るときも踊さまなる踊り花 石井青歩」。(黄いなる花踊子草とは思えども 群がり咲きぬ 見事さよ ケイスケ)

ィカリソウ

2016-04-06 06:50:45 | 誕生日の花ケイスケ日記
ィカリソウ;錨草。花ことば貴方を離さない。花の形が錨に似て名前いるのがが船の錨に似て名前の由来です。別名漢字で書くと「三枝九葉草」。これはいかりそうの葉が3出複葉といって3本の柄に分かれた複葉でそれぞれの柄に3枚ずつ小葉があることころからついた名前です。ほ細い茎に揺れる軽やかな花は、ピンクの濃淡や白など、江戸時代にはさかんに鑑賞されていたと「花壇地錦抄」(園芸書)に書かれている。花弁は枚で、先は雄蕊を囲み、基部は長い巨になって突き出て、中に蜜を蓄える。トラマルハナチバチがこの蜜を利用し、重要な花粉媒介昆虫になっている。葉は裏面に開出する細網がある。キバチイカリソウは日本海側に分布し、同じような形の花をつける。キバナ花が淡黄色、トキワコイカリそうは花が白で葉は常緑である。学名Epimediumgrandifiortum.この花を詠んだ句はない。(錨草嶺に咲けども時過ぎて今はさは淋しく海をみる。 ケイスケ。

キジムシロ

2016-04-05 15:28:56 | 誕生日の花ケイスケ日記
桜の時期に、草木たずいぶん戸惑ったようで、きじむしろが、ずっとおそくまで、さながら発光塗料でも塗ったように金色さらんたる五弁の花を見せてくれ、例年になく人目をひいた。だが特に、受難はなかったようだ。気の毒にも、その名ゆえに敬遠さるへびいちごに似ているというのでもなさそうだが、何にせよ同慶の至りである。この花に見惚れていたら野鳥が、羽音も荒く翔び立ったには、仰天した。うしろ姿は雌雄だったが、そうではなく、雉より小型の小綬鶏だった。付近は桜の花が満開に咲き春まじかを感じさせる昨日今日である。
(茅野の山荘では、朝方よく台所の奥の山際から雉が雑草をかき分けながら降りてくるのを見たた。20年くらい前の山荘での生活の思い出でした。

金鳳花

2016-04-04 07:22:32 | 誕生日の花ケイスケ日記
キンポウゲ(キンポウゲ科)花言葉は、可愛らしい。山野に自生する多年草の花。春から初夏にかけて直立、黄色い花をつける。葉は長い柄を持ち、掌状に5~7裂する。有毒物とされるが、漢方薬にも用いられる。「大宰府の畦道潰消えきんぽうげ 山口青邨」「金鳳花明日行く山は雲の中 飯田龍太」「きんぽうげ山雨ぱらりと降つて晴れ 岡田日郎」「金鳳花まだ風あらき行者道 古賀まり子」「きんぽうげ帰りを急ぐ人ばかり 浦野芳南」「岬には馬の路あり金鳳花 山下和人」。(金鳳花今朝の雨にも傘はなし ケイスケ)。
小泉八雲(ラフカディオ.ハーン)は1890年4月4日に来日。八雲は、幕末の安政南海地震で、稲わらに火をつけて村民に避難を促し、津波から救っは浜口捂陵をモデルに小説『生き神』を書いた。浜口が建設に尽力した堤防は、その後の津波でも役立った。八雲の足跡を辿った芦原伸著『ヘルン先生の記者旅行』(集英社インターナショナル)によると、3,11にも「生き神」がういたといふ。避難の呼び掛け、殉職した職員らのことで、<記憶を忘れず、永劫に伝えねばならない。それがハーンの遺志を継ぐこと>とある。今月から電力の小売りが自由化された。競争は必要だが、安全への責任の重さもお思い起こしてほしい。(読売新聞朝刊;編集手帳)より一部抜き書きしました。

ヒトリシズカ

2016-04-02 21:31:57 | 誕生日の花ケイスケ日記
ヒトリシズカ;吉野静;まゆはき草(センリョウ科)花言葉は、隠された美。低山地い生えるセンリョウ科の多年草。春、赤紫色の若葉の間に白色の花をつける。高さ15~30㎝。葉は楕円形で輪生するように行くく。源義経が愛した静御前になぞらえてこの名がつけられた。同属に二人静があり、一人静が通常一本の穂状を出すのに対して二人静は普通二本で、白い細かな花を開くことから二人静と名付けられた。「道暮るる一人静も去りしごと 井沢正江」「花了へてひとしほ一人静かな 後藤比奈夫」「一人静踏まねば行けぬ竹の奥 鳥谷征良」「沈む日にまゆはき草の独り言 吉本みよ子」「「群れ咲いて二人静といふは嘘 高木晴子」「二人静に跔みて高野詣 村越化石」「きみが名か一人静といひにけり 室生犀星」「草籠に一人静も刈られたる 水原秋櫻子」「(一人静二人静も摘む気なし 杉田久女」「人にそう呼ばれて一人静なり 橋 聞石」「一人静むらがりてなほ淋しけれ 加藤三七子」「滝の道一人静は花終へし 大芝湘南星」「一人静樵夫の道も耐えにけり 谷 迪子」 (吉野静並びて兄弟姉妹かな ケイスケ)

叡山菫

2016-04-02 06:09:44 | 誕生日の花ケイスケ日記
叡山菫(スミレ属)花言葉は、茶目気。スミレ科の多年草で、山野に自生し、その種類80種に及ぶ。花の色は、紫、白、紫の絞りなど。花の形が大工道具の「墨入れ」に似ているので、名はそこからきたという。根元から長い葉、あるいはハート形のはを出し、葉の間から10㎝位の花茎を出し、あおれぞれうつむきがちの可憐な花を一つつける。昔は血圧を下げるための食用になつていたという。現在は観賞用に外国の種の香菫(バイオレツト)やも早春の庭先を飾る。「小諸なる古城に摘て濃菫 久米正男」「すみれ踏みしなやかに行く牛の足 秋元不死男」「菫束ね寄りあひ易き花にして 中村草田男」「菫濃き岨にし隠れ切支丹下村ひろし」「すみれ束解くや光陰こぼれ落つ 鍵和田柚子」「黒土にまぎるるばかり菫濃し 山口誓子」「空林に日のかくれなし咲く菫 秋元草日居」「かたまつて薄き光の菫かな 渡辺水巴」「山深みすれは水の色なせり 川本臥風」「小諸なる古城に摘みて濃き菫 久米三行」。かって茅野の山を巡っていた時に小諸峠に出て小諸川の風景を堪能した中年の楽しい時代であつた。(菫花峠の山は遠くなり ケイスケ)

4月馬鹿(続)

2016-04-01 10:20:08 | 誕生日の花ケイスケ日記
四月馬鹿;エプリー.フール;万愚節。四月一日。その日騙された騙され人および、その嘘を言う人のこと。この日嘘をついても許されるとされる。ヨーロッパ起源の風習は日本には大正年間に伝わった。「四月馬鹿桃流れくる筈はなし 星野麦丘人」「掌につつむ心臓模型四月馬鹿 山田みず江」「エプリーフールの時計かかな 轡田 進」「万愚節に恋うちあけしあわれさよ 安住 敦」「おしろいのはげし女給の四月馬鹿 日野草城」「指きって血が止まらぬよ四月馬鹿 石川桂郎」みごもりしことはまことか四月馬鹿 安住 敦」「累累と魚の目わびし四月馬鹿 小池文子」。(今日の嘘 明日は駄目だぞ 四月馬鹿 ケイスケ)

四月馬鹿

2016-04-01 09:30:24 | 誕生日の花ケイスケ日記
この月の名前は{開くこと}を意味するギリシャ語に由来する。ヨーロツパの多くの国々では、四月一日は、もう長いこと、フザケタコトをする日とされてきているが、その由来については、まだ満足な説明はされていない。なにも気づかない者や、人を疑わない者をだますことに、この日は多大な努力が払われる。イングランドでは、そんな人を{エプリーフール}(四月馬鹿)と名ずける。スコットランドでは、”POISSONd’Ariⅼ”つまり「4月の魚}とよばれる。「ああ この愛の春は 何と似ていることか 四月の日の うつろいやすい輝きに いま うつくしく陽の光りの みちわたるかと思えば いつのまにか 句もが出て すべてを消し去る ”ウェローナの紳士” シェクスピア 。やがてその頭上に 楽しい四月の調べをなびかせ また幾千野の花々を 一面に咲かせよう 緑の若葉は春の露に輝き いっさいのものは 昔ながらの春のよろこびとなれ J.キープル