4月1日(日)☼暖かい。
行田の城址に連れていってもらう。途中、東松山の故・陳石一さんのお宅に寄ってみた。90年代のはじめに障害年金の受給を求めて闘った在日コリアン傷痍軍属の一人。
突然の訪問にびっくりされただろうが在宅していた娘さんが思い出して、応対してくれた。
陳さんの奥さんは今も熊谷の「甲子園第2球場」で「監督」をやっているという。遠い昔、「甲子園」は訪ねたことがあるが「第二球場」とはどんなところか?
元気が出てきたら‥。「監督」にお会いしてみたいなあ。まさこさん。講道館で鍛えた女子柔道の魁(さきがけ)。若い日、家族の反対を振り切って「脚のない」「職のない」「日本国籍がない」陳さんと結婚し、苦労と闘いを共にした。もう70台も後半のはずだが、あの魅力に衰えはないのだろうか。
熊谷駅前「甲子園」●http://webdirector.livedoor.biz/archives/52462098.html
当時、陳さんに抱かれてTVに写っていた孫娘の赤ちゃんは今春、大学生になるという。陳さんは東京地裁の判決を目の前にしながら急逝された。94年5月。18年が経った、のだ。
陳さんの笑顔、甲高い声が懐かしい。
行田では忍(おし)城址から水城公園までを歩いた。池畔の柳が美しい。妻が桜の木に一輪ながら花が咲いているのを見つけた。花盛りは次の週末か?
「鐘つき堂」で昼食。「フライ」というものを食べた。ここの名物らしい。妻はこどものころ、似たようなものを食べたらしい。
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