今日は久しぶりに快晴無風なので川越公園の遊歩道を歩いてみた。このところ閉じこもり気味だったせいかひとまわりするのがやっとだった。帰ってから2階の屋根に干してある布団の上でひと寝入り、これで楽になった。
さて、「外国人参政権」についてだが、小沢さんも鳩山さんも根本的なことが何一つわからないで、「韓国政府から言われているから」<日韓友好>の観点から法制化を推進しようとしているように見えてならない。
根本的なこと、肝心なこととは40万余の在日コリアン(特別永住資格を持つ人々)の公民権を確立し、政治参加・社会参加を保障・促進することである。
都道府県市町村議会議員、知事・区市町村長の投票権のみを付与することが解決になるのだろうか。当事者はそんな「解決」を本当に望んでいるのだろうか。
韓国政府の立場と主張ははっきりしている。
韓国籍を持つ在日コリアンは韓国の在外国民である。当然のこととして韓国の国政に参加する権利を持つ。大統領選挙と国会議員選挙については2012年から選挙権を保障する。
地方参政権については韓国に住む永住外国人にはすでに付与済みである。日本政府と国会は日本に住む永住外国人に地方参政権を付与すべきである。特別永住資格を持つ在日コリアンについては言うまでもない。
韓国政府の主張は理路整然としていて一見望ましいあり方を示しているように見える。「アジア共同体」を唱える鳩山さんとしても同じく民主主義を国是とする立場から相互主義の原則にもとずいて在日コリアンに地方参政権を付与するのは至極当然と考えられるだろう。韓国が認めていることを認めないほうがどうかしている、と。
(一般)永住者に限って言うならこれは一つの見識であろう。しかし、在日コリアンの人権問題の解決という根本的な立場に立てば「無理解もはなはだしい」と僕は考える。
もっとも根本的な食い違いは在日コリアンの大半が自分を「韓国の在外国民」とは認識していないところにある。
今年8月には日韓併合から100年を迎える。今や、子育て中の中心世代は在日3世であり、4世5世が生育している。祖父母や曾祖父母が朝鮮半島から渡来してきたといっても生まれ育ったのはこの日本であり、日本語を母語として自己を形成してきた。
これらの人々がルーツの一つを朝鮮半島に持つことを学んでも自己を「韓国人」「外国人」と認識することは容易なことではない。これは在日コリアンに特異なことではなく、在米の日系人などにも共通する普遍的な現象であろう。
先日の論文で鄭大均さんは
「大部分が日本生まれの世代で構成される在日コリアンに見て取れるのは韓国・朝鮮籍を持ちながらも母国への帰属意識にも、外国人意識にも欠けるという二重の状況だ。」「彼らはペーパーコリアンであるとともにペーパー外国人になっているのであり、自分を説明しにくい存在になっている」
と指摘しているが、全くそのとおりだと僕は思う。
中学生や高校生になって外国人登録に行かなければならなくなって初めて「韓国人」「外国人」と知らされてアイデンティティ危機に陥った人は、僕の生徒だった在日2世の時代から枚挙にいとまがない。
もっと小さい時からなぜ自分が「韓国人」なのか、と悩んでも親も先生もきちんとした説明をしてくれなかったという人も多い。
おじいちゃんやあばあちゃんが朝鮮半島からやってきたといってもなぜ、自分が「外国人」で、公務員にも国会議員にもなれず、選挙権もないのか?
親も先生もきちんとした説明をできるはずがないのである。民族や出自(ルーツ)と国籍はもともと別の概念であり、コリアンの末裔であっても日本で生まれた子孫は日本人(日本国民)というのが今の世界の常識なのである。旧植民地出身者が3世4世になっても先祖の国籍を受け継ぐなどという不自然なことは僕が知る限り世界のどこにもない。
このような実態にある在日コリアンに韓国の国政選挙権と日本の地方参政権を付与するということがどういうことを意味するかを小沢さんや鳩山さんは考えたことがあるだろうか。
「国民の生活が第一」といって政権をとったのに在日コリアンの生活から考える視点を失い、「日韓友好」という上から目線の対応に終始しているからではないのか。
鄭さんは
「そんな人々に参政権が与えられたら、宙ぶらりんな状況が永続化してしまうだけのことだろう」
「外国人参政権法案とは、そんな在日を永遠の外国人として保存しようとするものだ」。
と結論付けている。
これは僕が1998年に民闘連の集会で指摘したのと同じ趣旨だ。
これからを生きる在日コリアンの若い世代が国籍と「自分自身」との乖離に悩み、アイデンティティが「宙ぶらりん」になってしまう。自分に自信を持ってあらゆる可能性に挑戦する…そういう生き方を阻害する要因になるということだ。
地方自治体の首長や議員の投票権の獲得というあまりにも小さな権利と引き換えに自然に自己を形成していく自由を奪っていくとしたら取り返しのつかない打撃を子供たちに与え続けることになる。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という。外国人地方参政権の実現が在日コリアンの政治的権利の実現につながると信じている人々がいるが本当にそうなのか、と僕は考える。これもまた「善意で敷き詰められた地獄への道」ではないのか、と。
さて、「外国人参政権」についてだが、小沢さんも鳩山さんも根本的なことが何一つわからないで、「韓国政府から言われているから」<日韓友好>の観点から法制化を推進しようとしているように見えてならない。
根本的なこと、肝心なこととは40万余の在日コリアン(特別永住資格を持つ人々)の公民権を確立し、政治参加・社会参加を保障・促進することである。
都道府県市町村議会議員、知事・区市町村長の投票権のみを付与することが解決になるのだろうか。当事者はそんな「解決」を本当に望んでいるのだろうか。
韓国政府の立場と主張ははっきりしている。
韓国籍を持つ在日コリアンは韓国の在外国民である。当然のこととして韓国の国政に参加する権利を持つ。大統領選挙と国会議員選挙については2012年から選挙権を保障する。
地方参政権については韓国に住む永住外国人にはすでに付与済みである。日本政府と国会は日本に住む永住外国人に地方参政権を付与すべきである。特別永住資格を持つ在日コリアンについては言うまでもない。
韓国政府の主張は理路整然としていて一見望ましいあり方を示しているように見える。「アジア共同体」を唱える鳩山さんとしても同じく民主主義を国是とする立場から相互主義の原則にもとずいて在日コリアンに地方参政権を付与するのは至極当然と考えられるだろう。韓国が認めていることを認めないほうがどうかしている、と。
(一般)永住者に限って言うならこれは一つの見識であろう。しかし、在日コリアンの人権問題の解決という根本的な立場に立てば「無理解もはなはだしい」と僕は考える。
もっとも根本的な食い違いは在日コリアンの大半が自分を「韓国の在外国民」とは認識していないところにある。
今年8月には日韓併合から100年を迎える。今や、子育て中の中心世代は在日3世であり、4世5世が生育している。祖父母や曾祖父母が朝鮮半島から渡来してきたといっても生まれ育ったのはこの日本であり、日本語を母語として自己を形成してきた。
これらの人々がルーツの一つを朝鮮半島に持つことを学んでも自己を「韓国人」「外国人」と認識することは容易なことではない。これは在日コリアンに特異なことではなく、在米の日系人などにも共通する普遍的な現象であろう。
先日の論文で鄭大均さんは
「大部分が日本生まれの世代で構成される在日コリアンに見て取れるのは韓国・朝鮮籍を持ちながらも母国への帰属意識にも、外国人意識にも欠けるという二重の状況だ。」「彼らはペーパーコリアンであるとともにペーパー外国人になっているのであり、自分を説明しにくい存在になっている」
と指摘しているが、全くそのとおりだと僕は思う。
中学生や高校生になって外国人登録に行かなければならなくなって初めて「韓国人」「外国人」と知らされてアイデンティティ危機に陥った人は、僕の生徒だった在日2世の時代から枚挙にいとまがない。
もっと小さい時からなぜ自分が「韓国人」なのか、と悩んでも親も先生もきちんとした説明をしてくれなかったという人も多い。
おじいちゃんやあばあちゃんが朝鮮半島からやってきたといってもなぜ、自分が「外国人」で、公務員にも国会議員にもなれず、選挙権もないのか?
親も先生もきちんとした説明をできるはずがないのである。民族や出自(ルーツ)と国籍はもともと別の概念であり、コリアンの末裔であっても日本で生まれた子孫は日本人(日本国民)というのが今の世界の常識なのである。旧植民地出身者が3世4世になっても先祖の国籍を受け継ぐなどという不自然なことは僕が知る限り世界のどこにもない。
このような実態にある在日コリアンに韓国の国政選挙権と日本の地方参政権を付与するということがどういうことを意味するかを小沢さんや鳩山さんは考えたことがあるだろうか。
「国民の生活が第一」といって政権をとったのに在日コリアンの生活から考える視点を失い、「日韓友好」という上から目線の対応に終始しているからではないのか。
鄭さんは
「そんな人々に参政権が与えられたら、宙ぶらりんな状況が永続化してしまうだけのことだろう」
「外国人参政権法案とは、そんな在日を永遠の外国人として保存しようとするものだ」。
と結論付けている。
これは僕が1998年に民闘連の集会で指摘したのと同じ趣旨だ。
これからを生きる在日コリアンの若い世代が国籍と「自分自身」との乖離に悩み、アイデンティティが「宙ぶらりん」になってしまう。自分に自信を持ってあらゆる可能性に挑戦する…そういう生き方を阻害する要因になるということだ。
地方自治体の首長や議員の投票権の獲得というあまりにも小さな権利と引き換えに自然に自己を形成していく自由を奪っていくとしたら取り返しのつかない打撃を子供たちに与え続けることになる。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という。外国人地方参政権の実現が在日コリアンの政治的権利の実現につながると信じている人々がいるが本当にそうなのか、と僕は考える。これもまた「善意で敷き詰められた地獄への道」ではないのか、と。
どちらが大事なのですか?
たった一回のかけがえのない人生をどなたにも精いっぱい生きてほしいと思っています。