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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

古い映画を見ると

2015年12月09日 | ほんのすこし
ただいま最近BSプレミアムに入っていた昔の映画を録画していたのを見ている。
『ダイナマイトどんどん』
菅原文太や沢山の豪華キャストが出ている。終戦直後の北九州を舞台にやくざが野球で抗争を決着つけようとするのだが。それがまたかなり可笑しい。岡本喜八監督。

見ているとすでに亡くなられた方が出てきて、しかもずいぶん若くて、あらあらといった感じで見てしまう。
最近、古い映画を見ると特にその印象が強い。
あぁこの方ももういないんだ、そういえばこの方も……といったことが多く見られる。

古い映画はいいのだけど、もうすでにいない方を若い姿で見ていると、つい錯覚してしまう。今もまだそのスクリーンの向こうで笑っているのでは、と。

それにしても映画俳優というものは、いつまでも若い姿を画面にとどめておけるものなのだなと改めて感じる。普通は若い姿をずっと見てもらうことはできない。わたしの若い頃など、誰かの記憶の中にあるなんてことありえないし。自分の記憶の中にもない。なにせ自分の姿を自分が見ることはできないのだから。常にわたしは自分の内側から世間を見ている。
皆さんもそうですよね。自分の内側から外を見ている。愛する人の姿は見ることができるけど、愛される自分の姿は鏡でしかわからない。
今日の自分がどれほど肌がぴかぴかであっても、それを見ることができるのは自分を見る他の人。

ここ数日、わたしは母の処に行くと必ず訊く。
「ねぇ、今日のお肌の調子はどう?」
と。
いつも母がまじまじとわたしの顔を見るので、その前にわたしの方から逆襲するのだ(笑)
で、今日のわたしは?
化粧ののりがいいんですと。
化粧といっても、BBクリームを塗ってパフで押さえただけなんだけどね。
「やっぱり、素肌がいいからねぇ」
と言うと
「んだ~、なんぼ化粧しても肌が悪ければ厚化粧してもダメだよ。お前はあんまり化粧しないほうがいいよ」
ですと。
そのお言葉、肝に銘じておきまする(笑)
寒くなってお肌も緊張感を持っているのかもね♪

さて、続きを見るとしますか。
結末はどうなることやら。

和田アキ子のキー

2015年12月09日 | ほんのすこし
最近気がついたこと。
和田アキ子の新作CD『WADA SOUL』を購入したが、聴いているとわたしも一緒に口ずさめるキーが多い。それも今までできなかった地声のキーで歌えるのがあるのだ。
これはちょっと気がつかなかった。
ずっと裏声で色々な人の歌を歌ってきたから、それが一番だと思ってきた。
でもこのアルバムを聞いていて、サム・スミスのStay With Me が入っていたので、歌いたくなって一緒に運転しながら歌った。なんと、声が出るよ♪

いつも地声だと高い部分になると無理だったけど、和田アキ子さんのキ―にはついていけるところがある。
嬉しかったねぇ。
この歌歌いたかったんだ。しかも彼女のアレンジがソウルだから、適当にわたしもそんな風にして歌えるし。

日本語の歌詞になっている曲もあって、それも素敵だった。
このアルバム、しばらく聴いていそう。
もう一枚購入したのは、アデルの『25』、これはもう言うことないね。すぐ友人に連絡。貸して♪ って。
今度会う約束したからそのときにねー。
それまで運転しながら沢山聴いておこう♪

裏声で歌うのも嫌いじゃないけど、今まで地声で歌える曲があまりなかったから、もう無理だろうなって思っていたんだ。
井上揚水とか徳永英明とか全部裏声でしか歌えないし。歌うって裏声、というのがわたしの定番だったから、和田アキ子の声のキーが合ってるって発見がとても嬉しいな。
もちろん彼女よりも高音出せるところは低いけどね。だから全部地声で歌える曲というのは限られてくるけど。それでも前より確実に曲の範囲は増えたわけで、まあそれを他の人の前で歌えるかっていうことは別の話ね♪

今日は洗濯日和。朝から二度目の洗濯中。
午後は母のところで家の中の冬囲い? の手伝いしようかと思ってる。たくさんのプチプチを風除室に運んでおいたけど、あの中のどれを使うかは監督(母)の指示がないとさっぱりわからないわたし。まだまだ監督不在だと何もできないわたし。母にはずっと監督でいてほしいね。

ここはわたしの居場所

2015年12月09日 | ほんのすこし
人間は周りとの共存で自分を保っている。
それが透明人間のように扱われたら、どうなるだろうか。完全に蚊帳の外にいるわたし。
いつもわかっている。この現実を受け止めて○○年も過ごしてきた。
慣れた。慣れたと言い聞かせているが、在籍している限り現実を知らしめることは多々あるわけで。
今回もわかってはいるけど、なんだかなぁと思ってしまう。
そんな浮かない顔をしていたのだろう。母には心の中を見透かされていたようだ。

まぁそんな浮かない気分も一晩過ぎればもう過去のことだ。
そしてわたしは過去の人間だ。
そう思っていれば間違いなしだ。
その過去にいつまでもしがみついて生きたくはない。自分の居場所、自分を認めてもらえる場所、それが欲しくてここにいる。そんな気がして今日もここで書き続けているわたしだ。

※※※

ここでぐちぐち書くこともできるが、それはわたしにとって何も良い意味を持たない。
いつか、経験を元にした小説を書いてみたいという気持ちもあったが、それもなんだか今さら必要ないなと思えてきた。創作するという行為は、自分に現実を忘れさせてくれるものがある。文字の世界の中でわたしは自分だけの楽しみの中にいる。主人公をどう動かそうが、どういう最後にしようが、わたしの自由なのだ(笑)

それでも全然先に進まないときはイライラとして、自分のふがいなさを味わってしまう。ストレス解消のために書き始めたのが逆にストレスとなってしまう。
うまく進んだときには、一転して気分爽快。ちょっとビールを飲もうかな♪ なんて思ってしまう。

ただただ自分本位な楽しみの世界だ。
そんな楽しみを知ってしまったわたしは、これから先の人生に少し張り合いが持てる気がしている。応募したりすることまでいかなくても、読み返すだけで楽しかったり。いつか日の目が見れるときが来ることを夢想したり。それはまた自分の可能性がほんの少し見いだせることにつながるようだ。もちろんこんなのはダメだダメだとだめ出しされることもあるだろうけど、書くことの楽しみはそれで消えない。
○○年前にわたしという人間を否定されたことに比べたら、創作のダメ出しなどなんてことないさ♪

こう思えるぐらいになった自分を今日は褒めてあげよう(笑)。

※※※