心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

咲いたら写してあげよう

2016年05月11日 | 母のこと
朝から雨が降り続いている。
でもしとしととした雨だから、まだ許せる(笑)。土砂降りはごめんだ。
そんな中、午後は用事があって買い物しながらあれこれと。3時過ぎに母のところに到着。この時間は韓国ドラマに夢中だろう。
思っていた通り、毎日入るドラマに夢中の母がそこにいた。生協で注文していたガス台の向こうの空きスペースに置くちょっとした二段の棚をせっせと組み立てる。思っていた通りいい感じにセッティングできた。数日前に塩麹に漬けていた鶏もも肉を蒸し焼きにする。しばらく前に干した大根を食べやすい大きさに切り、にんじんとちくわと椎茸で煮物にする。

後は安かった鯛のお刺身を二人分に分けた。

そんなこんなであっという間に時間が過ぎると、母がこたつから抜け出てきた。足が痛そうだ。そりゃそうだ、二時間も座りっぱなしだ。せめて30分間隔で立ち上がっていれば足の痛みも還元されるというのに。ドラマに夢中になって座っているとこういうことがしばしば起きる。それでも今日のドラマは面白かったらしく満足な顔をしている。
母がやってほしいことがあるらしく、夕飯の支度が終わった様子を見て、わたしに物の移動をお願いした。あっちにもっていったり、こっちに運んだり。最後はタンスの引き出しの中の夏物を出した。そこにわたしが持ってきた冬物のクリーニングを入れるよう指示。ついでに引き出しを全部見た。

長年、着ないままの服が結構入っていた。
「これもう着ないの?」というと
「着たいけどね、入らないんだよ」と、まだまだ新品同様の服を残念そうに見ていた。
古いけど、きちんと保管していて今でも着ることができそうなものばかりだった。一つの引き出しを見ると、親戚の方が編んでくれたセーターが入っていた。
「これお前にってくれたものだけど、こんな派手な色誰も着ないだろうよねぇ」と言った。いや、わたしその色好きだけど、でも着るのはどうかな、って思ったけど言わなかった。母はまたそのセーターを引き出しの奥にしまいこんだ。日の目を見ずにここにずっといるんだろうなと思う。それでも人から頂いたもの、捨てるに忍びないのだろう。

そんな整理みたいなことをしてるともうあっという間に夕方になった。最近は夕方といってもまだ明るい。今日は雨なのでそうでもなかったけど、帰りがけ母が玄関まで出てきて見送る。その母がやわい雨に打たれながら庭を指さす。わたしは車の助手席の窓を開ける。母が
「花芽が出たよ」と言っていた。
急いでニュートラルにして母の元に行った。
そこにはカリンの木があった。
毎年、母はカリンの木に花がつくかどうかを気にしている。どうしてなのか分からないけど。そのカリンの木にたくさん小さな赤い蕾が雨に打たれながら見えていた。
嬉しそうに眺めている母。まるで自分の子のように見ているなと思った。
「7つはあるよ」という母。わたしは降りしきる細い雨の中、目を凝らしてみた。
「ううん、もっとあるよ! いっぱいあるよ。よかったね。もしかしたら暖かくなったら一斉に咲くんじゃないの」
「そうかもしれないね」

まだ立ち去りがたい様子の母に
「寒いからもう家の中に入ってちょうだい。すぐにぃ~」と言うと、しぶしぶ笑いながら家の中に入った。

車に戻りながら、花が咲いたら写してあげようと思った。今年のカリンを。

行動的でないわたしの衝動的な出来事だった

2016年05月11日 | ほんのすこし
我が部屋で唯一’和’な雰囲気を感じさせる場所。
棚の一角にある。
そこだけ他の棚にあるものと違っている。後はごちゃごちゃと本だったり、人形だったり。
すっきりさせたいといつも思うのに、つい後で出すのが面倒だからと周りにちょこちょこ置いてしまう。そんな中でこの棚部分だけは変わっていない。茶碗の前は急須を置いていたが、しまってしまった。しまいこむとどこへしまったかを思い出すのが大変で、探すのが面倒になりずっとそのままということが多い。

どうも面倒くさい。
部屋の模様替えをしようと思っても行動に移すのは10回考えた中で1回ぐらいしか行動に移したことがない。生来の面倒くさがり、徹底している。これは褒められることではない。要は尻が重いのだ。フットワークが軽い人を見るとすごいなと思うが、そこには自分が出来得ないことへの賞賛の意味が込められている。今の自分はそう、何も行動できずにいる。

こんなわたしでも若い頃はそれなりに行動的だったこともある。行動的というよりも衝動的な自分だったと思える出来事もあるのだ。
学生の頃、寮生活をしていたが、そこで知り合った友人が沖縄出身のシンガーソングライターのライブが渋谷のジャンジャンであるから夜行列車で行く! と仲間に言ったとき。わたし自身はその歌手のことを何も知らなかったが、夜行列車でライブを聴くというその行為に惹かれて、即座に「わたしも行く!」と手を上げていた。
当時はまだ夜行列車も運転されていた。夜行列車といっても座席に座りながら、あるいは新聞紙を通路に敷いて眠る人もいた頃だ。わたしにとっても初めての夜行列車だったような気がする。二人は早朝上野に着いた。山手線に乗り、さてどこへ行こうかと話したときに新宿に行こうか、ということになった。

新宿、名前は聞いていた。都会だよ都会(笑)
新宿駅、まで良かった。田舎と違って駅の出口が何カ所もあるということを知らなかったのだ。ふたりは田舎者まるだしで適当に出口から出た。
見上げるとビルが建ちならんでいる。しかもバスがひっきりなしに動いている。思っていた都会のイメージは店が建ち並ぶものだったが、バスがまさかこんなに出ている場所に出くわすとは。
ふたりは顔を見合わせ、もう一度駅の中に戻ることにした。
結局、新宿駅から出ることはやめ、そのまままっすぐ渋谷に向かうことにした。ここいらは冒険心というものが欠如したらしい。

渋谷、今とは全然違う。大昔だからね。
なんだか田舎と変わりない小さな駅だと思った。しかも降りた先の通りはおしゃれな街というのとはかなりかけ離れていた。まず「ジャンジャン」を探そう。案外早く見つかった。お目当ての場所の確認が終わったら、なんだかおなかがすいてきた。ふたりでこれまた適当にどこにでもあるような喫茶店を見つけた。
ブレンド二つ。食べ物を注文するのはなんだか気が引けた。間違ったものを注文したらどうしようと思ったのかもしれない。都会も田舎もそんなにメニューに違いはないと思うけど、そのときはそう思ったのだろう。
渋谷の街は狭くてふたりでぶらぶら暇つぶししていてもライブの時間には十分間に合った。開演時間前に案外人が並んでいたのにびっくりした。有名だったのか・・・
そのとき、高校時代の友人がやってきた。上京するからと連絡しておいたのだ。まさかライブ会場まで来てくれるとは思ってもいなかった。しかも友人とわたしのチケットまで買ってくれていた。これには驚いて、友人は断ったが頑として彼は友人の分のチケットを受け取らなかった。(そのことで友人とはちと気まずい雰囲気にはなったが)三人でライブを聴いた。ライブは沖縄のことをテーマにしたものが多かったように思う。
ライブ終了間際、帰りの夜行列車に間に合うようそっと抜け出した。彼は上野まで送ってくれた。しばらくぶりで見る彼はなんだか大人っぽかった。映画関係に進みたいと話していた彼だったが、あれ以来会ったことはない。元気でいるのだろうか。渋谷ジャンジャン、夜行列車、といえば彼のことが思い出される。

つきあっていたとはいえないぐらいの高校時代、一緒に帰ったり図書館で勉強したり。唯一『風と共に去りぬ』をリバイバルで見ただけの思い出の人だ。

年々、思い出の中の人が増えていく。
思い出となったときから、その人たちはわたしと違う道を進んでいる。
今はどうしているのだろう。
わたしのこれからに、出会う機会など無いに等しい、その人たちをときどき心の中から取りだして、あのときの自分とも向き合っている。


あわてんぼう

2016年05月11日 | ほんのすこし
昨日は生協の宅配日。
先週頼んでいた母の台所のキッチンマットやキッチンの引き出しに使う小物、それとわたしの部屋のカーテンとレースカーテンが届くはずだった。大きな段ボール箱にそれは入っていて、そのまま母のところに持って行った。段ボールが大きかったのはキッチンマットが大きかったからだ。いつもの幅よりも長さもどちらも大きなものを注文したが、はたしてどうだろうか?

早速母に見せて
「敷いてみようか」というと、早くと促された。それまで敷いていたマットも気に入って買ったものだったが、今のカーペットの色には合わないねと話していたところで、生協のカタログを見て即決したものが来たからすぐにでも敷いてみたかったのだろう。それは想像していた以上にカーペットにマッチしていてまるでこのカーペット用にしつらえたかのような色合い。しかも踏んだときの感触がすごくいい。滑らないしふかふかだし。
母が
「高かっただろう? 後で払うから」というので、
「いや、細かいものはわたしが全部払うから。こんなに大きな(キッチンを見て)ものをつけてもらったことに比べたら、全然だよ」と答えた。
「いや、それでも出来てから(キッチンとお風呂)おまえずいぶんあれこれ使っているだろ、細かいものに」
「何言ってるの。わたしが買った大きなものと言ったら、これから来る食器棚と掃除機ぐらいだよ。母さんが出したお金に比べたら月とすっぽん♪」
まだ言い足そうな母を見ながらさっさとマットを敷いたのだった。
60×270cmのマットはちょうど収まっていたが、母はさらにガス台の下部分に以前からあった小さなバスマットを重ねた。どうしてもガス台の下は汚れやすいからだそうだ。
だが、遠くから見るとそのバスマットだけがどうも浮いてみえる。
「同じようなサイズの小さいものがあればいいのだけどねぇ」
「カタログにはいろいろサイズが載っていたけど、あのカタログはもう返しちゃったよ」
「残念だねぇ」

そんなことを話しながら自分の分のカーテンを持って帰った。開けてみると頼んだ分の一つ150×178cmの二枚組が入っていない。なんで? しかもいつもだったら商品名を書いた返品用の紙があるのに品物だけ。急いで生協に連絡した。
届かなかった品物について質問。もし注文していなければ注文しないと、と思ったからだ。同じ部屋でカーテンが南と東で別々になるのだけは勘弁してほしかったのだ。連絡しながら生協の注文書のあたりを見ると返却したと思っていたカタログがあった。カタログを見るとキッチンマットのページには小さいサイズもたくさんあった。

オペレーターの方がとても親切な方で箱の中に入っていないかと聞くが、そういう物は入っていなかった。注文はすでに受け付けているとのこと、だが、欠品とか別配送とか遅れということがあるので確認してみますと言われた。思わず
「あ~、欠品! そうだったら困るなあ。同じ部屋に使いたいと思っていたから」と言った。わたしの悲痛な?声を聞いて
「すぐに確認して連絡しますね」と言ってくれた。
「お願いします」
そう言いながら、「あの、追加注文お願いしたいのですが」と言った。
その後、母が気に入った今回の長くて大きいキッチンマット、同じものをもう一枚、それとガス台の下の部分に重ねる小さいサイズをお願いした。母が洗い替えしたときに同じものがあったらいいなと思ったに違いないから。サプライズでプレゼントしようっと。
電話を切って、生協の注文書が入っている袋を覗いてみた。

そうだ、、そういえば薄いチラシが入っていてそれを袋に入れたな。
チラシを探るとその中になんとあの返品用の紙が入っていたのだ。よくよく見ると、今回入ってこなかったものは二週間後に配送される予定だと書いてある。
あっちゃー、やってしまったね。
オペレーターにいらぬ仕事をさせてしまったわたし。急いで電話を取った。
「あのぉ、さきほど電話した○○ですが。」「あっはい、代わりますね」「先ほどはありがとうございます、実はあれから探してみたら紙が入っていたんです」「そうでしたか、それは良かったです。こちらでも確認しましたところ、商品は二週間後第4週のお届けになるようです。遅くなってしまいますが」とすまなそうな声で言うオペレーター。勢いこんで
「いえいえ! こちらの方こそいらない手間をかけてしまってすみませんでした。ちゃんと確認すればいいものを」
「そんなことありません。お届けに時間がかかってしまい申し訳ございません」
「よろしくお願いいたします」

電話をかけながら頭をぺこぺこ下げていたわたしだった。
ほんとにあわてんぼうなわたし。ちゃんと確かめていたら二度手間かけずに届くのを待っていればいいだけなのに。

あっでも母にサプライズを早めに注文できたからいいか!

ぬいぐるみの猫ちゃんが「またやったね」とあきれた顔をしている。