心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

波紋

2016年05月13日 | 朝のことば&つぶやき
いつか見たことがある。
この世界の全てが繋がっているという話。
それはたった一個の小さな石であっても、投げ入れられた先で波紋を作り、さらにその波紋が広がっていき、やがては思いもよらない場所へと繋がっていくのだという。
世界は自分が思うよりもずっと繋がっているのだという話だった。

単純な私には目の前にある世界だけが全てで、まさかこれが広い世界と繋がっているなんて、思いもよらないことだった。軽いショックを感じた。

でも、自分という存在が案外どこかで誰かと繋がっていたんだとすれば、おいそれと適当に生きてはだめなんだなと思う。
誰かと繋がっている自分の、これからがなんだかとても大事に思えてくる。
波紋の先にあるものを見定めて、生きていきたいとも思う。

そんな今日の空は、水に投げられた石などどこにも見当たらず、ただのほほんと浮かぶ真っ白の雲が、いくつか手を取り合って漂っている。
雲もいいなと思える、そんな夕方。
ちょっと佇み、空を見上げた。

サクサクっていいね

2016年05月13日 | ほんのすこし
あちこち散歩、といっても外の散歩ではなく。
パソコンを新しくしたら、とてもサクサク訪問できて、画像をアップされているブログはこれまでだと映し出されるまでにかなり時間がかかって、見るまでに諦めの境地に入ってしまうことがしばしばだった。それが今はどこへ行ってもサクサク。あっちへ行ってもこっちに来ても、画像がどんなにたくさんあっても問題なし。こんなに快適な気分になるとは思ってもいなかった。画面がでてこないということはストレスがたまるということに繋がっていたのだなあと改めて感じる。

イライラして読み出すのにも時間がかかるし、ましてやコメントを残そうにも入力するのに文字変換がうまくいかずにこれまた諦めてしまうということが多かった。それを言い訳に読み逃げばかりだったけど。
で、サクサク状態が嬉しくなるとこれまた見知らぬ場所を探検したくなる。今までは新しい場所を探すなんてこと考えられなかった。ここに来て、新しい場所を訪れることも多くなった。世界が広がる気がする。訪問するだけで終わることが多いけど、それでも目からうろこの場所を見つけると今日がなんだか特別な日に思えてくる。実に単純なわたしだ。

サクサクだし、読者登録している方の更新はスマホと新パソコンでビシバシ(笑)訪問、ベッドの中で訪ねるのはスマホの役目。日中はこうして時間の合間。
わたしの知らない世界が目の前に広がる。デスクトップにして良かったなと思う。大きな画面いっぱいにまだ見たことのない行ったことのない場所が写る。

わたしが好きな料理の写真はきばなさん『きばなの硝子瓶』本当に料理が美味しそうだ。そして料理に対するあくなき追求心に読むほうも血湧き踊る、ぐらいの気分になる。
見てしまうと「あぁ! きばなさんのだんなさまが羨ましい」って心底思ってしまうのだ。料理がすごく好きオーラが立ち上っていて、手を抜かない様子や食材の美味しさをどうすれば引き出せるかを自分流に活かしている気がする。わたしはちっともできないから、心の中で涎をたらしながら指をくわえて見てしまう。
きばなさんが推奨していた「干す」という作業。はまりましたよ。
今回は春大根。大きめに切った大根を一日部屋で干して、冷蔵庫に保存して煮物にしたけど、大根くささがちっともなくて、適度に堅さもあって、味もしみて、いいことずくめだった。母とこれはいいねぇと野菜を干すこと侮れないと話した。

師匠とひそかに呼場背手ください(←アップしてみて気がついた、なんなのこの変換は。でも面白いのでそのままにした)、きばなさん。ベッドで更新された料理を見ていると、早朝からすでに見た瞬間、おなかがすいた気がしてくる。こんな料理食べたいよ、そう思いながらなんの変哲も無い朝ご飯を目の前に置く。
きばなさん、これからも料理の醍醐味見せてくださいませ♪




今朝は母のゴミ出し&レンタルDVDの返却をかねて、オムレツ(唯一わたしが自分で作って美味しいと思えるもの)のワンプレートを持って6時前に出かけた。少し霞がかっていたが、戻りには朝露をたくさん含んで芝桜やドウダンがそこにいた。なんだか可愛く思えた。