心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

捨てるつもりなんだけど

2016年05月29日 | ほんのすこし
この缶、中身はすでに飲み終えて後は捨てるだけ。
でもなんか気に入っていて、捨てることができずにいる。最近コンビニで見つけて二つとも買ってきたんだけどね。
一つは無糖で、白い方はカフェオレ。味も思っていたより良かったし、量的には値段の割に高いのだろうけど、このデザインが気に入って手にした。

たぶん、捨てるだろうけど。
母の庭から何か花を二輪もってきて挿しておこうかなとか、何かオブジェ的なものにならないかなとか。
軽い頭では何もアイデアが浮かんでこない。ただ今はキッチンの窓辺に並べておいてあるだけ。

これは二つ一緒に並べているということがミソだとわたしは思ってる。一本で置かれているより二本、白と黒。
同じデザインで色が違う、同じなんだけどどこかに違いがある。そのわずかな違いが醸し出す微妙な面白さを感じる。この感覚はおかしいのかな。

たとえば同じデザインで沢山色があると、その中から一つを選択するけど、二つだけでしかもその色が真逆だったりすると並べておくことが面白いなと感じる。
ゴチャゴチャした部屋なのに自分ではごちゃごちゃした雰囲気よりもすっきりしたものがいいなと思ったりする。ゴチャゴチャさせたままの自分がいるのにね。たんに片付けるのが面倒だってだけ。

わたしよりももっと捨てるのが苦手だったのが、弟。
彼は飲み終えた缶ビールの空き缶をどういうわけか食器棚の上に並べて置く。何本飲んだか知られてしまうのに、と母がいつも言っていた。結局弟は自分で片付けず母が寄せてしまう。別に母が寄せても文句を言うわけでもなく、じゃあ一体何なんだ?って思っていたけど。単に片付けるのが面倒? それにしてはわざわざ高い棚の上に置く? もう亡くなってしまったから答えを聞くことはできないけど、弟に関しては母とあれこれ生きていたら聞いてみたいことがまだ沢山ある。多くを語らずに逝ってしまったんだなといつも思う。

捨てるのが苦手な姉と弟、今は好きな片付けもままならずストレスが溜まっているだろう母を見ては、わたしも弟もなぜに母に似なかったのだろうと思ってしまう。まあ処分するという行為は母もなかなかできずにいるが、家の中の整理整頓に関しては感心する。物置や車庫にある数十年来の物も徐々に処分していかなくてはと思っているが、やはりどれを捨てるかは本人でないとわからないから。母が元気なうちに片付けていかねば。

冒頭の空き缶、見飽きたら捨てるぞ♪

わかりますか

2016年05月29日 | 朝のことば&つぶやき

画像の中でひっそりと佇んでいるものが。
わかりますか。



今朝、ウォーキングの途中で見つけました。
今日は早かったのです。4時過ぎに目が覚め、4時半に出発。
歩いている途中で空を見上げたら、薄く広がった青い空にひっそりとそれはありました。

誰も気づかずにいても、そこにいるというそのことは不変。
ただ軌道のままに動いていると言ってしまえばそれまでだけど、見ているわたしの中に飛び込んでくるもの。
あなたの存在を知ること、それだけで今の瞬間が満たされる気がする。
何かに意味を持たせることで安心感を得ようとしているのかもしれないけど。

なんだか嬉しくなってくる。
ただ空であなたを見つけただけなのに。


「今日は残りの人生の最初の日だ」

2016年05月29日 | ほんのすこし
昨日、録画しようか迷っていたのです。
BSにもいいなと思える番組があって、どっちを録画しようかと。
わたしのレコーダーは二つまで録画できるのです。すでに毎週『嵐にしやがれ』は予約済みなので、後一つだけ録画できるのですね。だからどうしようかと迷いに迷った挙げ句、リアルタイムで見よう! と思ったのは『ゴールドウーマン』

普段はなかなか午後9時台でちゃんと見終えることができないのですが、昨日は一応最後までうたた寝せずに見終えることができました。
これまで見てきた池井戸潤的なドラマなのかな? と思っていたのですが、原作があったのですね。ちっとも知らずに見ていましたので、案外先入観なしに見ることができたのかもしれません。
小雪さんのどちらかといえばオーバーリアクションのなさが内に秘めた思いを沸々と想像させるものがあったように思います。
でも、原作を読んでいないのでわかりませんが、リストラされる側の部分にもっと入っても良かったのかな、なんて思ったり。

それにしても会社の方針でリストラという大きな課題を降られ成し遂げようとあがいている人間を前に、裏では貪欲な人間の駆け引きがあったなんて、これが案外世の中の常識みたいなものになっているのかなと空寒い気がしました。
より多くの富を持てる人間は、それに固執して生きてしまう、何もないほうが生きやすいのかもしれない。
権力も然り。人間裸になってしまえば、内面に持っている力しか見せるものはない。なのに権力や立場にしがみついて周りに自分を誇示する。逆に寂しい存在だと露呈することになるのではないかなと思う。

ドラマと関係ない話をしてしまったけど、このドラマを見ているときにすごく心に残った台詞がありました。
主人公の小雪さんが以前上司であった村上弘明さん演ずる子会社の総務部長の菊池さんに言われた言葉です。小雪が新人の時に言われたのだそうです。

「今日は残りの人生の最初の日だと思え」と。
その言葉を忘れずに彼女は辛い仕事にも耐えてきました。
そして元上司であった彼と共に彼の所属する会社のリストラに手をかけるのです。

全てが終わった後、彼は自らの命を消え去ろうとします。
そこに小雪からの電話が入ります。
彼女は彼に新人時代に言われた言葉を今も大事に心の支えにしていると言うのです。
「今日は残りの人生の最初の日」
その言葉を聞いて彼は自殺を止めます。

言葉の力。
踏みとどまらせるだけの力を持つ言葉。
ドラマだから最後の最後にピンポイントで活用されたといえばそれまでですが、言葉をうまく活かしたなと思えます。
だって、見ているわたしにも「今日」という日がただ毎日の続きではなく、始まりなのだと感じさせてくれるものがあったから。
過去に縛られ、そこから抜けでることができないよりは、今日という日が始まりだと思えるほうがずっといい。
どんなに辛いことがあっても、今日を乗り越えさえすれば新しい日が待っている。
そう思えたらどんなにか人生は明るいだろう。
ドラマの全てが良かったとはいえない(たぶんこの時間で納めるだけの内容ではなかったというか納めきれない内容の原作だったのではないかと想像しています)けど、どこかに残るものがあればそれはわたしにとって素晴らしいものなのだと言いたい。