心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

秋の夜長に

2015年11月06日 | ほんのすこし
秋の夜長は静かにふけて……
そんな秋の醍醐味もどこかへ行ってしまったかのようなこの頃のわたしの夜です。
なんてったって、ベッドの中がぬくぬくしていて、朝も寒いからなかなか出ていけない。まだまだ寒さに慣れない体なのですよ。
読書もなんだか進まないし。前は秋っていうとあれこれと夜を楽しむ感じがあったけど、今年の秋はなんというか、テレビの前に陣取って時間が過ぎて行くか、うたた寝するか、ハッとして無駄な時間を過ごしたと反省するものの読めないままの本がそこいらにあって、あぁ今日も無駄に過ごしてしまったのかと自己嫌悪に陥ったり。

秋は読書の秋とか、芸術の秋とか色々あるでしょ?そのどれも自分で満喫していないってことにイライラしているんじゃないの?
そうです、そうなんです(自問自答)
だから満たされない。自分で動かないで来るものを待っているだけじゃ満喫も何もありゃしないでしょ?
はい、そうです(答えてがっくり)

そんなパントマイムな自問自答の時間を時折過ごしておりまする。

そんなわたしですが、今日は母と小一時間いや二時間かな、じっくりと昔話に花を咲かせてきました。亡くなった弟のこと、弟が残していた日記、母と弟が過ごした何年間かをふたりで振り返ってきました。
弟は一体どんな思いで過ごしていたのだろうかと互いに思いを巡らしましたが、母はずっと自分が厳しい言い方をしてきたのではないかと悩んでいたことをこれまでも話していましたが、温泉で母と仲の良い方から「息子さんが離婚してあんたと一緒に過ごせたってことは、最高の親孝行だってことだよ」と言われて、すっと肩から力が抜けたと言っていました。
母は自分が多分先に死ぬだろうと思うと後に残された病気に苦しんでいる息子の行く末が心配で仕方がなかったから、つい厳しくしなければならなかったのだと思います。もっと優しくしてあげればよかったと思っている母にとって、その方が言う意味は〈息子さんが最後にあなたと一緒に過ごせたことは最高にいい時間だったんだよ〉ということだったのだと思います。わたしもそう思っています。弟はこの母の元で亡くなったことが一番安心だったのではないかと。

あれこれと、あのときはこうだったね、そうそうそんなときもあったねと母とずっと話しこんでいました。わたしが母と父と弟の入退院の繰り返しにずっと付き添ったことをねぎらい、お前がいたから良かったとしみじみ言う母の姿が少しにじんで見えました。

秋の夜長は、なんだか人恋しくなりますが、ひとりの時間もまた良いものです。
思い出という懐かしい友人と寄りそって過ごす時間が、わたしにはまだまだあるようです。
今日は母との話の続きをひとりでじっくり温めてみたい、そんな秋の夜長になりそうです♪

なごりの物

2015年11月06日 | ほんのすこし
何年か前はエコクラフトにはまり寝ても覚めてもクラフトテープを手にしていた私です。
最初は小さなかごから始まりましたが、だんだん本を買ってその中から作ってみたいものを選び、練習。コツがつかめず、まっすぐにならなくて曲がったバッグやかごになったり。悪戦苦闘しながらも出来上がった物は無上の喜びと交換になっていきました。

自分でもなかなかの物が出来たときは小躍りして喜んだものです。果ては夜中でも居間中に広げてテープを切ったりするものですから、部屋がテープ関係でごった返し。ただでさえ狭い部屋がますます狭くなっていました。それでも作品が完成すると自己満足に浸る、そんな日々が続きました。自分で作っているうちにサークルみたいなものも出来て、同好の士(笑)が集まるようになり、二年ほどわいわいと楽しむことが出来ました。先生は何かを見るとすぐ自分なりに見よう見まねで再現することが出来ると言う特技?がありました。本を見てもすぐできますし、おかげで触発されて私もどんどん作りました。

作った品物を販売することもありましたが、色々な方にプレゼントすることも沢山ありました。いただいた方が喜んでくれる姿を見るのが一番の喜びでした。
そのうちに本を買っても作りたいなと思えるものがあまり無くなってしまいました。多分、その頃には作る時間もなくなってきたせいだと思います。
作らないのに部屋にはテープ関係の物が散在している、その状態を見ていたら突然しまいたくなりました。作ろうと思っていたテープがまだたくさんありましたが、全部処分しよう!と思いました。フリマに出したり。今はほとんどクラフトテープ類は残っていません。
ただ残っているのは、あの頃作った中で自分が好きだった小物です。



あれこれと入れておくのに便利なので使っています。

クリスマス用に作ったリースは今では鍋敷きにとってかわっています(笑)



そのほかにもまだ残っている物があります。母のところにも。色あせてしまい捨てるしかないねという物を見ると、これを作った頃は夢中だったなあという思いが出てきます。わたしの中のひとつの時代(おおげさですが)があったのだなと思えます。今は作ろうと思っても作れるのかな?と思うほど、作り方も忘れてしまいました。本だけはたくさん残っています。本を見れば作れるかな……

こうした手づくりのなごりの物、母のところには特に毛糸のぽんぽんで作ったひよこが残っています。自分で考えて作ったものですが、もう忘れてしまいました(笑)
でも最近郵便局でこんな物をいただきました。



母に見せたら、お前も作れるんじゃないか?と言われ、はたと気が付きわたしも作れるかもしれないって思い始めているところです。アフラック・ガチョウちゃんが私の創作意欲に火をつけてくれた♪って感じです。ちょっとぽんぽん作りたくなってきました。
テレビをずぅっと見るよりずっといいかもしれないなぁ。何か作るほうが(笑)
さてさて、狭い部屋の隅にこうしたなごりの物があるということは、そのときの自分を思い出す格好の素材だということで、手づくり見るのも大好き人間にとっては処分せず少しは残しておくものだなと今日は思っていたのでした♪

ブログ開設から4000日♪

2015年11月06日 | ほんのすこし
何周年じゃなくて、何日って数え方はしていなかったので、ブログの編集画面に出てくるアクセス解析という文字の上にある数字を 最初は全然見ていませんでした。それが目に入るようになったのは、リアルアクセス解析というものが出来てからです。これまでは編集画面を開いても、読者登録の方の更新状況をチェックするだけで、後は自分のブログ記事を書くかということぐらいでした。

最初gooにブログを開設した辺りは、ただ自分の書きたいことを日記代わりにというぐらいに思っていて、他の方と交流するということも積極的ではありませんでした。しばらくしてどんなブログがあるのだろうと思い始め、あちこち訪問するようになり、互いに交流する楽しみも増えました。

数年の間に、手芸やエコクラフト・ゴスペル・絵本の読み聞かせ・ワンディシェフの店でのボランティア・手づくり本の作成・電子書籍など色々なことに手を出して、自分でも知らず知らずのうちに色々な方と実生活でも交流が増えていきました。ブログの交流が遠のいたのは否めません。自分のブログの更新だけで精いっぱいなところもありました。コメントを残せない、足跡が見えない、そういったものがあり、どんどん離れていったように思います。
お気に入りに入れていても更新されているのかどうか、チェックするのを忘れてしまったり。後でずいぶんご無沙汰してしまっているなあと思ったり。それが読者登録というシステムができたおかげで更新がわかりやすくなりました。お気に入りのブログの更新がすぐわかるというのは嬉しいシステムです。

なかなか訪問してもコメントを残せずに帰ってくることも多いのですが、それでも読めることが嬉しかったり。見ることが嬉しかったり。
そうだったんだ……と目からうろこの世の中のことを知ったり。自分とずいぶん違う生活だなと感じたり、あるいは似ているんだなという感覚を味わったり。本当にブログを通して自分の世界が広がったという気がしています。
これも諦めずに続けてきたおかげだなぁって思っています。特に4000日となった今日は。

これまで色々なことに挑戦し、挫折を味わってきました。すぐにあぁ自分はだめだ、このぐらいが関の山だ、とか努力の幅を広げることを止めてしまっていました。今だって、書くことからしばらく遠のいています。頭の中ではあんなことを書いてみたいという気持ちはあるのです。でも、自分には表現力が無いのではないか?という気持ちが出てきて、書く前に後ろを向いているといった自分がいるのです。まずは書いてみなくちゃ、少しでも書くことを止めずに継続していけば何かが見えるはず、そう思ったのは先月のこと。なのにそう思ったやる気がみなぎっていた自分はこのところ影をひそめ、1%の才能と99%の努力の99%を信じずに過ごしています。

わかっているつもりでした。自分には才能などと言えるものはないのだと。でも、無くても努力次第で前に進めることはできるのではないか?励ますつもりで今日は特別な日だと思うことにしました。
4000日も続けることが出来たわたしだもの、またやる気を出して書けばいいじゃないか。
書くことに年齢制限は無い。
書くことが出来るというしあわせを噛みしめて生きていこう。
書くことが出来るという贅沢をたんと味わって生きて行こう。

goo開設 4000日、やったね!!
自分をほめてつかわす(笑)

諦めきれなくて

2015年11月05日 | ほんのすこし
「靴がだめになってしまった」

という記事で、二足お気に入りの靴がだめになってしまった話を書いたのですが、処分しようとまとめて置いていたもののどうしても処分できず。
今日、眼科の前にホームセンターに行ってみました。
靴修理のものがないかどうか調べてみましたが、よくわからないので店員さんに伺うと、お勧めの商品がありましたのでそれを使ってみようと。

眼科から戻り、玄関に二足の靴を広げ、タイマーを台所から持ってきてセットし。
スーパーセメダインを一足ずつつけ、きっかり2分タイマーで測りその後接着。もう一足も同様に。
塗ってから2分乾かした状態でつけること、これを繰り返し店員さんに言われたからです。律義にタイマー用意してやったわたしです。
後はしっかりくっつけて。

でもすぐに履くのはよそうと思っています。

明日ぐらいだったら大丈夫かなぁ。
これでダメだったら、もう絶対処分します!(笑)

一足は前の部分がはげているからもう止めたほうがいいと思うのだけど、履きやすい靴ってあるのよねぇ。
もう一足は見た目は全然大丈夫そうなんだけどね。くっつかないことには履けないからね。もう何年も気にいって履いているから、そろそろお役目ごめんってことなんだろうかな。
愛着のあるものって最後の最後まで諦めきれないのよ。

食器とかもそう。縁が欠けたりしても、少しくらいだったらヤスリでごしごし。最後はサンドペーパーで綺麗にして滑らかになったらまた使ったり。ガラスものでもそんな感じで捨てきれない。
まぁ泣く泣く処分したものもあるけど。

ほんとは使わないでとっておくより、使ってあげる方がいいって思っているけど。なかなか飾っておくだけのものは使えず。わたしが生きているうちに使うのか?なんて物は、なんとかしたほうがいいんだろうなあ。

さて、明日はお気に入りの靴を履くことができるか?

お面みたいな葉っぱだな

2015年11月05日 | ほんのすこし
あちこちパチリと落ち葉を写していたら、ウルトラマンのお面を思わせるような落ち葉を見つけました。
たくさんの葉っぱの中で埋もれていましたが、パッとわたしの目に飛び込んできました。
葉っぱ一枚一枚の顔があるんですね、きっと。
素知らぬふりでその葉っぱたちを踏んで歩いてしまっていて、もしかしたらもっとたくさんのお面に出会っていたかもしれないなあとふと思ったのでした。

運転しているとケヤキ通りの両側から手を伸ばすように枝と枝がこれでもかと思うほど伸びていて、その枝にまだしがみついている葉っぱたちが見えます。ついついその姿に見とれてしまい運転がおろそかになって慌てることもあります。一本一本それぞれの色に染まっていて、どうしてみんな一緒じゃないんだろねって思いながら、これだから木の魅力にはかなわないんだよ、とか思ったり。

秋っていろんなことを思わせてくれる不思議な季節だね。



なにげない地面に小さな赤色が入っていただけで、なんだかいいなと思えたり。



風が運びきれずに壁に集まるように重なり合っていたり。



風が置いていった土手の脇、密集している葉っぱたち。



そのどれもが同じじゃない。一枚、一枚のいのちの終焉。
新たな命へのバトン。
それがこの季節なんだね。

※※※

眼科でコンタクトを処方。コンタクトをつけていったのではずして診察。その後新しいコンタクトを入れたら、目の前の鏡にはっきりと映る皺だらけのおばさん。ぎゃー!これがわたし?一瞬、心の中で叫んでしまった。こんなに皺で頬もたるんで……なんだか泣きたくなっちゃった(笑)

※※※

ずっとテレビ見てしまった

2015年11月04日 | ほんのすこし
なんてこった!
夕方からずっとずぅうっとテレビを見続けてしまった。
録画していたV6の『学校へ行こう!』の3時間スペシャルを見ていて、これってこんなに面白い番組だったんだって今さらながら思い出して。泣き笑いし。

それが終わったと思ったら、そのままリアルで『無痛』が入っていて、そのまま見続け。それが終ったら、TOKIOの番組が入り、これまた面白くて……
結局、わたしはテレビの前から一度も離れていなかったことに今、気がついた。

あぁあ。でも、TOKIOの番組が終ったら、多分『相棒』の録画したものを見ると思う。
今回のドラマは『相棒』『無痛』『サイレーン』『下町ロケット』『エンゼル・ハート』『破裂』『掟紙今日子の事件簿』『科捜研の女』『コウノドリ』を見ている。あとあったかなぁ。
それにしてもドラマ見てるなあ。
見過ぎだよね。
そのほかにレンタルしたりするし。

わたしからテレビをとったらどうなるだろう。ぶるっそんなこと考えたくもないね。

でも、テレビを見ている時間を別のことに費やしたらもっと有意義な過ごし方ができるかもしれないなあ。ちょっと反省。(最近反省することばかりが多すぎる)



今日の4時半。もうすぐ日が落ちる頃。



この葉っぱの落ち方、着物の小紋にしたらいいかも。

落ち葉

2015年11月04日 | ほんのすこし
土手に行ってみました。
落ち葉だらけでしたが、昨年のように芝生に敷き詰められた状態は見つけることができませんでした。風が強すぎるのでしょう。
それでもところどころ気にいった場所を見つけてパチリ。



緑が入っているだけで違った感じに。






すっかり葉が落ちてしまった木たち。








階段からこぼれおちそうな乾いた葉っぱたち。

どこへ飛んでいくのかしらね。

土手から戻ってくると駐車場いっぱいに。



片付けるのが大変そうです。

文化の日は晴れる

2015年11月03日 | ほんのすこし
文化の日は晴れるって、長年言われてきたことらしい。
今朝はあんなにどんよりしていた空も日中には晴れて、暖かい一日になった。今日は母を温泉に連れて行く日だったので、事前にやってほしいことはないか電話で確認。そうしないと心の準備がね、必要なの(笑)
昨日は、そろそろ来るかな?って思っていたカーペットの入れ替えを頼まれ、冬用のカーペットを入れた場所が思い出せずに四苦八苦。母があっちかなあとか、こっちだったかもしれないとか言うのをききながら、その都度高い場所を汗だくになりながら探したわたし。見つけた後はコタツやソファの移動があり、ようやく母好みの状態に。
母も大満足の状態になったって訳で。
でも飽きたらまた移動するかもしれないけど。母は余り動けないので、家の中のことを考えるのが第一、だからあっちの物をこっちに移動するとか、あれはもうしまってあれを出してこないと……とか、そういう家の中のことを考えることが今は第一番。それしかないのよというのが母の弁。そのそれしかないことすら自分の手や足で出来ないことがとても悔しいのだと思う。

カーペットは見つけてしっかり敷いた。
だが、母が望んだベッドのシーツ代わりの暖かいものが見つからない。仕方がないので諦めると言われ、わたしもどうしようもなく諦めた。
でも、今日はもう一度昨日探した場所を。
あった!なんとわたしが昨日見ていたもの、それだった。母の説明をわたしが勝手に想像してこんなものだろうと思っていたので、それじゃないと(目の前にあるのに!)思いこんでいたのだった。思いこみの恐ろしさってひどいね。
これで母も暖かい敷布団で眠れる……

家の中でてんやわんやの仕事をし、二人とも汗をかき、こんなんじゃダメだねと早目の温泉行き♪

温泉では皆さん「今日は文化の日だね、文化の日は晴れるって言うけど、ほんとだったね」というのが合言葉のように会う人ごとに話していた。
そうだった、今日は文化の日だった!
って、別に何もないけど(笑)
でも、朝はあんなにどんよりしていた空が、こんなに晴れたんだもの、文化の日さまさまかなあ……

朝からどんより空ですが

2015年11月03日 | 朝のことば&つぶやき
全国的に晴れ?予報みたいな感じでしたが、今朝はこちらはどんよりしています。
気分は晴れ!そんな気持ちになりたいです。
久しぶりに朝に思ったことを書いています。

※※※

いつも通りの一日 いつも通りの朝
そう思って周りを見ている自分こそが
いつも通りじゃない

同じ自分がここにいない
昨日にいた自分と
今朝ここにいる自分
同じだと思っていたけど
昨日生きていた自分というものの存在は
すでに昨日という時間の中でしかいなくて
今日たった今在るわたしは
この瞬間だけに在る

いつも通りと言えるもののない
不確かな自分の存在は
存在という言葉すら無いもののようだ

※※※

※※※

目を閉じると
色に染まっていく木々が見える
絵の具を何種類も空から落としたように
一枚の葉っぱすらいくつもの色に染まっている

どの木を見ても同じ木がない
一本の木を見ても同じ枝ぶりがない
枝につく葉っぱもまた同じ葉っぱが一枚もない

同じものが無い
どれも唯一無二
それを見ているわたしもまた
他にいない
ただひとりのわたし

※※※

Yahoo!ニュースで

2015年11月03日 | ほんのすこし
痴漢被害に遭い続けた女子高生が考案した「痴漢撃退バッジ」が大人を動かした ← ぜひ読んでください。

泣き寝入りしない。
その決意に至るまでを考えるといたたまれない。
傷は残ったままだろうけど、それでもこれから先のことを思えばいくらか明るい気がする。
電車通学、電車通勤ということからは遠く離れたわたしの人生だが、都会に住む人にとっては切実な問題だと思う。
より多くの方がバッジをつけることになれば、効果は大だと思うし、周りの見方も変わると思う。

よく決心したね。
ひとりの決意がやがて多くの人を助けることになる。
彼女が味わった辛さを消しさることはできないけど、和らげることはできるはず。
きっと今よりもっと強くなれる。