渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

にゃんタマ 3

2020年05月21日 | open


人間、いや猫も歳を取ると頑固になる。
18歳にもなると頑固というか我儘という
か、食の好みが激しい。
魚でないと嫌だというので魚にしたら、
バクバク食べるが、次には同じ魚はツン
なんだわさ。

あなた、分かりやすい表情しますねえ。


で、いつも食べてるフードを食べ残した
ので、それとは別種類のフードを出して
みると・・・。


凄い勢いで食べる。
今のところ健康ではあるのだが、ここの
ところ食の選り好みが激しい。
何らかの変化ではあるので、気をつける
ようにしたいと思う。


猫にもよるけど、猫の18歳といったら、
人間だと90歳手前くらいでしょう?
生まれた時のレスキュー猫でうちで育て
事になった猫ですが、長生きしてくれて
ます。
昨年死んだイトコの子の猫は23歳だった。
もうそうなると化け猫の親戚みたいだよ
なあ(笑)。

犬や猫って、絶対的に飼い主の事を信頼
してるんだよなあ。
なのに人間は、飼い犬や飼い猫を遺棄した
りする。
信じて信じて信じてるのに、人から捨て
られる。
ひどいもんだよ、人間てのは。
捨てられても、特に犬などはずっと飼い主
が迎えに来てくれるのを心待ちにしていた
りするんだろうなあ。

人間の結婚は法律行為であるので、離婚
するには法的に定められた五つの要件の
うちのどれかに該当していないと離婚は
できない。
その離婚事由のうちの一つに「悪意の
遺棄」というものがある。
人は人を平気で捨てるくらいだから、犬
や猫を捨てたりするのは何の躊躇もない
のだろう。
人は人を平気で裏切るのだから、動物たち
が自分へ寄せる信頼を裏切る事などは、
そう、へのかっぱなのだろうなあ。
こういうあたりは、神が人間を「失敗作」
だと思っている点の一つなんだろうね。
特に自分の事しか考えない、自分の保身
や自分の欲望や自己利益のみにしか興味
がない部分が炸裂するのも人間だったり
する。共生社会を構成する生命体として
はあまり出来は良くない。
でも、人間には悪知恵があるのと同時に
智恵や知性や理性もあるのだから、人間
も持って行き方次第でなんとかなるかも
知れない。

いろいろ問題はあるにはあるが、広島県
は全国的にも珍しく犬猫の殺処分ゼロの
年が続いている。
これは多くのボランティアの人たちの
献身と行政の努力もあるが、何よりも
命を大切にする気持ちが少し人々の中に
強いという面もあるのかも知れない。
実態の内実に触れないで評するのは危険
だが、さしあたりここ何年か、広島県で
は一頭たりとも保護されたり遺棄されて
愛護センターに連れて来られた犬猫が
殺されてはいない。
誇りに思うのはこれまた宜しくはないが、
一頭も殺されていないという実例は良い
事だと私は思う。
そして、広島県の犬猫どうぶつレスキュー
のネットワークもかなり多岐に亘って築か
れつつあるし、広がっている。これは、
え?あなたも?という程に広島県の多く
の人たちが保護動物の救護活動に何らか
の形で関わっている。
これはかなり心打たれるものがある。
今後も、もっともっと良い環境になって
いく事を願うし、きっと広島県はそうなる
事だろう。
すでに、全国の魁として、モデルケース
の参考にされ始めているとも聞く。
不幸な生き物と生き物を不幸にする不幸
な人間の行為が少しでも減るように願って
やまない。
将来的には、日本国内、不当な殺処分ゼロ
達成を目指したい。

白樺

2020年05月21日 | open



♪青空 南風
と。
こういう丸木はバーチバーチとカットして
グリグリ掘って食器作るだよな。

白樺の林って、ほんと綺麗ですね。


こーんな所をテン場にして野営できたら
素晴らしいだろうなあ。
クマ出そうだけど(笑)。
物の怪や幽霊はいなせても、クマは洒落
にならんぞ。

にゃんタマ 2

2020年05月21日 | open


どうなるかと思ったが、ようやく無事に
ここまで育った。
もうすぐ1月齢が来る。

にゃんタマ3きょうだい。


しまちゃんの後ろで必死に箱に入ろうと
しているのが女の子。




しまちゃんは愛想が良い。
女の子、必死。ピンクドラゴンの箱
落ちないように気をつける。




お尻向けて失礼します。
右、里親さんが決まっている女の子。
この子は性格が人懐っこい。


このしまじろうは人気があって、何人か
の貰い手さん候補がいます(予定)。
実際に見たら、絶対に連れて帰りたくなる
程に可愛いの。




でも、一生死ぬまで、仮に長生きしたら
向こう20年以上責任をもって面倒をみる
ことが里親の条件でしょうね。これは
うちだけでなく、世間でもレスキュー
した犬猫の里親はそうかと思う。
このことは犬猫だけでなくどの動物でも。
死ぬまで責任持つ、というのは変わらない
と思います。
生き物は一過性の熱意や可愛い可愛いだけ
では生き物も人も不幸になるので飼えな
い。人間の側の本気の本気モードの気持ち
と実行できる背景がとっても大切かと思い
ます。なんとかしようという気があれば
なんとかなるし、そのために必死になれ
ばいいのですけど。趣味等々のやりたい
事を何年も凍結させてでも、必死に命を
育てほうが大切かと。
実家で猫の保護育成が不能であるとなれ
ば、家を出て動物OKの新築マンションを
即買うくらいの根性と実行を決めないと、
動物と共に暮らすことはできないと思う
のです。そういうのでないと命は守れな
い。
実際に、そういうことやってる奴いるし
さ(笑)。
本格ガレージ建てようとしていた貯蓄を
すべて頭金にぶっ込んで、なおかつ、最
大限に働き抜いてローンも短期で完済し
て、かつ家族を養って、子どもも学校に
ちゃんと行かせて卒業まで経済的にも
学費と生活費を支え抜いて、さらに家族
である生き物もきっかりと養う。
それをやり切らないと、命とは暮らせな
い。無人島で一人ではないのだから。
生き物に対して悪意の遺棄は死ねと言う
ようなものなのだから、生き物はその子
が死ぬまで一生責任をもって面倒をみない
とならない。

でも、こういうのは、人間の相手でも同じ
なのではないかなあ。
「全世界を敵に回してでも君を守る」と
いうくらいのところに本気で身も心も行か
ないと、結婚なんてのはできない。
全世界を敵に回さないのが一番だけど、
全世界を取るのか伴侶を取るのか、てな
ことになった時のとこでね。
たとえば、夫婦で崖から落ちそうになって
どちらかが手を離さないと一人は助からな
い、て時にどうするか、というような。
もはやこれまで、の時の覚悟があるのか
どうか、みたいな。
元々夫婦は他人なのだから、そういう心
で所帯持たないと、一生どちらか死ぬまで
一緒に暮らすなんてのは無理だと思うの
ですよ、私は。
一つ屋根の下って、そんな感じじゃない
のかなあ。

それには、まず、「絶対に人を裏切らない
こと」。
命を本気で大切に思う心は、そこからだ
と思う。
てめーこのやろーぶっ飛ばすぞ!とか思う
ことがあればそれを相手に直裁に正々堂々
と言えばいい。
そこから始まる目に見えない信頼の絆
みたいなものも生まれることもある。
そうではなく、陰湿で周到な裏切りなんて
のは、人が人ではなくなる。
人の一番大切な事を無くしてしまう。
裏切りはダメすね。
人を裏切るのは、自分をも裏切る事にな
る。
俺はこうだが貴様はどうだ、という事を
身を以て体現する人間は信用できても、
姑息な者をどうして人が信用しようもの
か、と思いますよ。

にゃんタマ、保護育成

2020年05月21日 | open


保護養育中のにゃんタマ。

まだ授乳中だ。


板で作った急場しのぎで設えた運動エリア
で遊ぶ子猫を見守る母猫。








保護にゃんタマは元気に育っている。




離乳食に移行して以後、適切な時期を
過ぎてから里親のところに行く。


賭け麻雀

2020年05月21日 | open


情報収集のために市井の人間と麻雀をする
刑事の山さん(露口茂)
(ドラマ「太陽にほえろ!」)

私は麻雀をする人で金を賭けないで
麻雀を打つ人間を知らない。
賭け事は法律違反になる。麻雀も金を
賭けたら違法行為となる。
だが、それは道路交通法における速度
違反と同じようにも思える。
規制速度が40km/hのところ、41km/hで
走行したら速度違反で法律を犯す犯罪
となる。
だがしかし。私は速度違反をしない
運転免許証保有者を知らない。

賭け麻雀は違法であることは間違い
ない。
しかし、この時期にすっぱ抜かれるとは・・・。
しかも、同じ信用していたメンツで
やっていたのに情報を売られるとは。
これ、絶対に裏でどす黒い追い落とし
の目論見算段の動きがあるよ、まず。
件の時の人という検察トップが、
よりによってこの時期に、打ち仲間
によって売られるとは。
黒川氏の資質がどうのと責めるマス
コミの火事場泥棒的な下種根性も
虫唾が走るが、この時期に狙い撃ち
にするように黒川氏を売り渡すよう
な人間こそが私は赦し難い。
それこそ人間の下の下の下の底辺の
最低人
だと私は思う。
薄汚い奴というのは世の中いるもんだ。
きっと、これまでの信義も何も踏み
にじって
いながら、今頃いけしゃあ
しゃあと正義感ぶっているのだろう。

同じ宅を囲んでいたら自分も同族、
同じことをその場で言って
いたら
同類であった筈なのに。

恥知らずの見下げ果てた奴もいた
ものだ。

だが、世俗は黒川氏やり玉に血道
をあげて、真に人間的に汚い奴が
いた事を見ようとはしないこと
だろう。


古墳出土の刀子(とうす)

2020年05月21日 | open



ボブ・ラブレスのラブレスポーチは、ラブ
レスの発明ではなく、日本には古墳時代か
らあったのよ〜、という現実。

そして学術上刀子(とうす)と呼ばれる日本
の古墳時代の古代ナイフは、現代のナイフ
と全く形が同じという現実。
このポーチとブレード形状の歴史的事実、
西欧人たちは知ってるのかなあ。


ナイフ

2020年05月21日 | open



かなり前に作ったこのナイフは、全鋼なので
耐水性のことを勘案してコンシールド
タング
構造にしたのだが、バトニングのことを
考え
たらフルタングのほうがよかったのでは
とか
思ったりもする。


しかし、よく考えたら北欧のラップナイフは
すべてコンシールドなんですよね。プッコとか。


そして実用的な北欧ナイフは限りなく
日本の古来の刃物に似ている。
なんというか古墳出土の原初の刀子
のよう。(古墳時代の刀子はその後の
大和朝廷成立後の細身の物=中世の
小柄小刀に似た形状=ではなく、現代
のナイフのような身幅の物でした)

結局、柄の中に密閉するコンシールド
タングでいいのかなぁ、とも思ったり
する。
本当のところを言うと、バトニングで
薪を割るのは、緊急事態等の非常手段
なのであって、そもそもがナイフは巻き
割り用の道具ではない。薪を割るのは
斧(おの/よき)であったり鉈であった
りする。
そうであるならば、ナイフに巻き割りの
機能を「可能性」として求めるのはあり
だが、「実現性」として当然の事のよう
に具備を期待するのは誤っている。
現在、ブッシュクラフトが静かなブーム
になっているため、ナイフで薪を割る事
が当然であるかのような誤解も生まれて
いるようだが、「ナイフでもできる」と
いうのと、「ナイフはそれをする」という
のでは、目的と用法の観点において大きく
異なる立ち位置となってくる。

ナイフに全方位での万能機脳を求めるのは
間違っていると私は思う。
バトニングをやることにも耐えられるよう
な構造にするには、それはフルタングである
ことは物理的に
当たり前で、鉄鋼がむき出し
のまま
ハンドル部分にあるのは防錆上好ま
しくは
ない。これまた然りだろう。

ただ、コンシールドタング構造やナロー
タング構造のナイフで刀身部を薪にあてて
刀身の棟部分を棒で引っ叩いて薪を割る
という乱暴な使い方をしたならば、それ
は力学的な作用で柄部分にガタが出るのは
これもまた当たり前のことだろう。
北欧のスカンジラップナイフは、バトニング
などは想定してはいなかったのだと思う。
普通に斧使うでしょ、北欧の生活文化と
しては。

バトニングによる巻き割りや切れ込み入れ
自体は実は結構古くからあった。あとチョッ
ピング。
私の学生時代からの今もつきあいある盟友
の奴などは、学生
の頃の野営の薪燃やしの
時には自分のナイフ
でチョップして切れ込み
を多く入れて粗いフェザー状にして火に
くべていたし、私も80年代にはナイフで
バトニング巻き割り等を行なっていた。
チョッピングとバトニングは古くからある
やり方だった。
それがここ数年、「ブッシュクラフト」と
いう新呼称の野外活動の流行により、あた
かも
バトニングしてメタルマッチで火を熾す
こそが野営活動の基本、みたいな転倒した
風潮が出始めている。
火はライターや普通のマッチで点火すれば
よいし、燃料も固形燃料や液体燃料があれ
ば使えばよい。
ただ、緊急非常時のサバイバルもできる
能力を身に着けておこう、木製具も野外で
自作して、野草や植物や動物にも精通して
生き残れる人間力を持とう、というのが
本来のブッシュクラフトの目的だったの
だが、今は半ば完全にレジャー化したため
に、まるで野外ではナイフで薪を割って
火打石のようなメタル火花でフェザー
焚き付けに着火して、コーヒーを飲む、と
いうのが「ブッシュクラフト」であるかと
勘違いしている傾向が世間では出始めて
いる。
だから、バトニングのようなハードな
使い方に耐えうる構造で、巻き割りがしや
すいハマグリ刃のバークリバーのような
ナイフが大人気となるのだろう。
一時期(使えない)ランボーナイフが
「サバイバルナイフ」として爆発的に
売れたあの80年代のような伝説独り歩きの
風潮が2010年代の現在再び起きている。
ただ、今回のブームは、実際のところは
「大いに使えるナイフ」が流行している
ので、10年ほど前に大流行した形がカク
カクしたナイフを「タクティカル」と
呼んで使える最強戦闘ナイフのように
印象操作
に乗せられた人たちが蔓延した
のとは異なる傾向性にある。

結構かなり本物の実用性に寄り添う形で
現2020年時点でのナイフブームは進行して
いる。北欧ナイフやブッシュクラフトに
使えるナイフの人気がグワッと上がって
来ているのは、これまでのランボーナイフ
や造形カクカクのなんちゃってタクティカル
とかとは異なる、実効性のある造形と構造の
ナイフ
に多くの人が注目するようになって
きていることがみられる。

こうした世間の傾向は、実のある本物の
ナイフ=刃物の本質に肉迫する要素を
持っている潮流であるので、私個人は
とても好ましく思える。それよ、それ、と。
来たね~、本物を求める人が増える時代が、
と。やっと来たか、と。

ナイフは使ってナンボ。使えないナイフは
刃物として役に立たない。
ナイフにおいても、いつの間にか(たぶん
90年代中期以降)実用的実力ゼロの現代
日本刀(=美術刀剣)と全く同じ轍を踏ん
で、見た目重視の「カスタムナイフ」が
蔓延した時代があった。
このまま実用性を離れすぎたままの傾向
が進むとやがて人々に飽きられるぞ、と
私は思っていたが、案の定、ナイフブーム
は去って、1985年から続いた専門誌も廃刊
になった。
私は思うに、その流れは「実を離れた鑑賞
高級品」としてナイフを扱おうとする作者
や販売者が招いた帰結だったように思える。
使えない高額な鑑賞物などは、経済状況が
厳しくなると世間からはそっぽを向かれる。
ナイフは「贅沢品」とは成り得ないし、
本質的にそうあってはならない。必要不可欠
な「道具」としての本来の位置を盤石に
させる取り組みをしないと、ナイフなどの
刃物は「無用の長物」として世間の世俗は
簡単に廃棄してしまう。
私は一時期ナイフが見向きもされないよう
な時期があったのは、それは大衆側に問題
があったのではなく、ナイフを取り扱って
いる側の主体的な問題があった故と総括
している。本質を見誤っていた主体の危機
こそがナイフという道具の危機を歴史の中
で呼んだのだ、と。

刃物という道具は、見てくれだけの鑑賞品
ではない実用品なので、実はかなり実力が
問われる
道具だといえる。極限が包丁だ。
私のような素人が自分用の刃物を趣味で
製作するのとは違って、本職の人たちは
作品・製品の根本実力が実用シーンで試さ
れるので、極めてシビアなプロフェッショ
ナル性が求められる。
実力なき刃物はすぐに淘汰されて消えていく。
厳しい世界だと思いますよ。


熱処理の基本

2020年05月21日 | open






これ、私が昔作ったナロータングとコン
シールドタングのナイフのブレードなん
ですけどね。
ミニ斬鉄剣として作っています。製造技法
は。この2口は斬鉄試験は経ています。
私の場合、斬鉄試験をパスしない個体は
潰して再度材料にします。鉄板が切れて
も刃先の状態が宜しくない個体等は。
それでも、吸炭脱炭自在に操るおろし鉄
を私はできないため、沸かしでカネ豆腐
を作って折り返し鍛造するだけなので、
鋼を完全リセットする康宏本伝とは異な
る技法で鍛造刃物を作っています。
 
斬鉄剣ではなくとも、刃物を作るならば、
鋼の熱処理においては調質と熱処理は絶対
に必要です。
炭素鋼は変態点温度以上に加熱して、内部
をオーステナイト化させて、水もしくは油
急冷することによって、マルテンサイト
変態を発生させる。これが焼き入れ。
しかし、そのままだと不安定で硬く脆いの
で、さらに変態を加速させて、残留オース
テナイトを除去してやることで粘りを出す。
それは特定温度に24時間以内に再加熱して
やります。
これを焼き戻しという。焼き戻しにも
鋼によって適切な温度があります。
さらに、鍛造前には一度加熱してからごく
ごくゆっくりと徐冷してやって鋼内部の
質を整えてやらなければならない。
これが調質。
放置空冷だと空冷焼き入れが起きる鋼も
あるので、灰の中に埋めてゆっくりと
鋼は冷ましてやる必要があります。
冶金では焼き均しがこれにあたる。
そして、造形した後にも焼き入れ前に
適温に加熱してから徐冷して内部を整え
る。
整えてからでないと焼き入れでムラが出来
るのでまとまな刃物にはならない。
 
そして、適切な焼き戻しをしない物体は
刃物とはいえません。
刃物は、焼き戻しまでの熱処理を終えて
初めて鍛造工程が完了するのです。
しかも、鋼は生きているので、最初の5年
程は内部の組織がどんどん柔らかく変化
している。
そして、理論上は数万年で焼き入れの焼き
刃部分は地の部分と同じ組織になり、焼き
刃は消滅します。自然変化で。
 
今夜、友人からの連絡で、素人鍛冶さん
たちのネット記事や動画を見ていたら、
全く焼き戻しをしていないようだけど何故
だろう、という質問がありました。
それは多分、熱処理の基本を知らないから
だと思います。
私も素人ですが、ちょびっとだけ勉強した
ので僅かながら知っていることもありま
す。
勉強するにはネットなどは全然ダメで、
専門家が記した専門書を多く読んで、
そして実際の本職の鍛冶職の方に習って
実地実践の稽古をしないと鍛造物はカタチ
にはなりません。
 
それと、焼き戻しも300°脆性があります
ので、日本刀をはじめ炭素鋼の焼き戻しで
300°での加熱保持は厳禁です。
大雑把にいうと、鋼は赤めて叩いて鍛造
して、急冷して硬くするのが基本ですが、
そこに最後に焼き戻しの工程が抜けている
と全く刃物にはなりません。
ステンレスなどの特殊鋼が鍛冶職が扱え
ないのは、特殊鋼は焼き入れも何時間同温
保持、焼き戻しも何時間か同温で保持とい
う繊細かつ正確な温度管理が必要なので、
鍛冶場の炉ではできないのです。大型の
ソルトバスなどの熱処理工場でないと焼き
入れも焼き戻しもできない。ホドを使うと
鋼材の適切な硬度と靭性が出ないので、
ナマクラか馬鹿鉄にするだけで刃物には
ならないんです。
しかし、炭素鋼は適切な熱処理をすれば
庭先でも鍛造刃物を作ることができます。
但し、熱処理の正確な知識がないと作れ
ません。
知識と知見があれば、案外簡単に作れま
す。それが素晴らしい出来か否かを除け
ば、それっぽいものは出来上がる。
ただし、釘やSS材のような生材をいくら
赤めて叩いて急冷しても、炭素鋼ではない
ので刃物にはなりません。鋼でないと刃物
とはならない。
鉄の含有炭素の量はグラインダーの飾りの
時の火花で判断します。火花の出方で、
内含成分と炭素の量が正確に判断できるの
ですが、これは熟練を要します。
これも正確な知識と知見と経験がないと
正しいことができません。
焼き入れの際の水=湯にしても、その湯温
はかなり大切で、基本は17°Cですが、
30°C以上だと焼きが入らないという物理
的な現象がこの地球上ではある。
なぜその温度なのかというのは人間には
解りません。726°Cを過ぎたら何故鋼
は瞬間的に変態して(変身ではなく瞬時の
変態)組織の結合立方格子の形が変わるの
かも人間にはその理由は解りません。
ただそれらの現象を知っているだけです。
それはもう、この宇宙がどうして出来たの
かと同じく、神が勝手に決めた法則とし
か言いようがない。
神の法則に従い、素直に正しく正確に
行なえば人間は刃物を作る事ができます。
自分勝手な出鱈目をやったら絶対に刃物
は作れません。
科学的な法則、物理法則等は神が作った
決まり事ですので、それを人間はよく
知って大いに活用すれば、人間は人間の
役に立つ物を作り出すことができます。
人間が知恵を持つことを禁じた神に逆らっ
て人間は知恵の実を食べてしまったので
すが、その知恵は良い使い方をすれば
人間自身の役にも立つということをイス
ラエルさんとの相撲に負けた神は見越して
いただろうか。
 
さしあたり、鍛造刃物を作るには、その
道理の通り、焼き入れだけでなく、焼き
鈍しと焼き均しと焼き戻しは必ずやりま
しょうよ。
でないと、刃物になりませんよ。
冶金学の著者たちは、焼き戻し必須は
極々当たり前の常識なので、「焼き戻しを
しない物は刃物ではない」とまで多くの
方々が言い切っています。
私もそう思います。
何かを切ろうとしたらポロポロと刃こぼれ
したり、研ごうとして砥石に当てたら途端
にビスケットのように刃こぼれしたりした
ら刃物とは呼べないでしょう?
そうならないためにも、熱処理は適切な
処理が必要です。
刃物は熱処理こそが命です。
素材の良し悪しもありますが、鍛造刃物に
関しては人の手による適切な熱処理こそが
決め手になる。
私の知る限り、これは、事実のようです。