現高輪プリンスホテルの裏あたり。
外国人警護の幕臣旗本。
有名な外国人警護の旗本たちの写真。
先日、鯛と出刃包丁の画像を横浜の刀術
の友人が送って来てこの日記で掲載した
が、その人が私も推奨していた砥石を購入
したという。
本日、それを使って刃物を研いでみて、
あまりの実力に驚いたとのことだ。
また出刃だけでなく各種包丁やコールド
スチールのナイフも研いでみたとのこと。
切れ味の復活度合いにびっくりしていた。
砥石は大切。
そして、「新しい出刃を買おうかと
思っていたけど必要ないですね」との
こと。
それはそうだろう。刃物は鋼が無くなる
まで使える。刃物は捨ててはダメだ。
もう使えないのでは?と思える包丁でも
やりようによっては完全再生できる。
私も時々、一見用済みか?と思われる
状態の包丁を直して復活させることが
あるが、思うところあり、それに関する
過去記事を再掲載する。
まだ、その砥石を私が使っていなかった
頃の記事を再掲載する。
この再生復活させた包丁は、砥あたりと、
研ぎ上げ後の切れ味、切り味からみるに、
悪くない良質な鋼だった。
堺の包丁、やはりいいなと感じた次第。
(以下、2015年の記事を抜粋再掲載)
-包丁百年-
このような状態を、曲がり直し、鎬付け、
本研ぎ、と徹底的に直した。
この状態から(下から2番目)・・・
(こういう状態)
まず金床(かなじき)で慎重に空打ち
して歪みと曲がりを除去。
火造りの時のように打つのではない
別な打ち方で補修。
(鍛造の時ではないので金床は錆びて
いる。これは刃物鍛造前には鏡面近く
に研ぎ上げる)
棟側。
よれよれヘロヘロを真っ直ぐに修正。
刃側。
刃道も大まかに削り込んで補修した。
「堺てんま 別打」の刻印あり。
使用する砥石。今回は人造をメインに
仕上げる予定だ。
すべて手研ぎで研いでいく。
消滅していた鎬を手研ぎのみで
成形していく。整形ではなく成形。
時間はかかったが、完成。
完全復活した柳刃だ。
むちゃくちゃ良く切れる。
ところが、最近恐ろしい事実を知った。
この個体は、せいぜい1970年代製かと
私は思っていた。
だが、この包丁は俺が生まれた頃には
あったのかと母に尋ねたら「当たり前
じゃない。私が結婚する前からあった
のだから」と言う。
この包丁は母が父と知り合った時には
もうすでに使われていた。
私の母が10代の頃から私の父方の祖父
が使っていたのだという。
それどころか、亡父の妹(叔母)の
話ではその戦後の時期ではなく、戦前
からこれは使われていた、とのことだ。
つまり、大よそ、最低で80年程の選手
だったということになる。
どうりでヘロヘロだったはずだ(笑)。
ところが完全完璧に復活させた。良い
包丁というのは100年使えるとは本当
なのだなと感じた。
私は新品の柳刃は買わないことにした。
霞だが、この柳刃を使って行く。
祖父は本職の包丁人ではないが、寄り
合いの時などは呼ばれて料理を作りに
出ていたらしい。その頃使われたのが
この包丁で、私で三代続いた包丁になる。
姿もなかなか良いと思う(私が再生
させたのだが)。鎬はビシッと立てた。
やはり、包丁は物置きの奥よりも、まな
板の上が似合う。
(ネットからの拾い物。私と私のフライ
フィッシングの師匠の山の管理人さん。
私は佐治武の剣鉈を左腰のベルトに差し
ている)
(このマス釣り人造湖のあるキャンプ場
は現在は廃業して廃墟となっている)
20世紀の最終年の平成12年-2000年-に
毎週通っていた行きつけの山で、私主催
による「鍛造刃物焼き入れ会」を行なっ
た。
私が希望者の望む形に予め鍛造鍛錬して
姿を作った焼き入れ前の素材を山に持ち
込み、そして移動簡易焼き入れ炉を使っ
て合宿の夜に焼き入れを行なうのだ。
刀身の適温を見るためには真っ暗でない
とならない。そのため深夜に焼き入れは
行なう。もしくは、鍛冶場の場合は暗幕
を張って手探りでないと前が分からない
ほどに真っ暗にする。
日中に明るいままで焼き入れはできない。
正確な鋼の温度を正しく捉えられない
からだ。これは鍛冶仕事の常識だ。鍛造
は日中でもいくらでもできる。
その焼き入れ会の時の参加者の一人に
現在私の同志盟友となる友人がいた。
もう20年の付き合いになる。
気づくと真剣刀法の武術までやるように
なっていた。元々は剣道の剣士だったが、
大会の試合会場にある日突然いたので
驚いた(笑)。これがまたできる。さっと
県大会優勝してましたよ。
その友人の職場の親友夫婦も焼き入れ
会には参加した。
その人の依頼で、私は写し物を頼まれた。
著名な土佐打ち刃物の鍛冶職が作る
剣鉈の写しだ。
寸分たがわず法量はフルコピーしたが、
きっかりと打つのは少し苦労した。
ただし、私の刃物は利器材や割込みで
はなくて無垢全鋼の折り返し鍛造なの
で、焼き入れの際の反りや歪みについて
は焼き入れ直後にできる限り修正は
するけど本歌のその土佐刃物とは全く
同じ形にまとまるかどうかは保証でき
ないよ、という前提を呑んでもらって
の写し物製作だった。
その本歌を作った作者は名跡跡目襲名
前のまだ30代の鍛冶だったが、今では
かなり有名な鍛冶師となっている。
あまり有名ではなかった頃にその人の
作に注目していた友人の慧眼には20年
後の今になって脱帽する。
深夜の焼き入れ会は有志6名で行なった
のだが、焼き入れ炭も私が適正寸法に
炭切りし、焼刃土も私が練り設えて
用意して臨んだ。
それと、手引書として私が焼き入れと
冶金に関する基本をまとめた小冊子を
配布して事前に読んでもらった。
焼き入れは一名の女子を除いて全員
一発で成功した。
女性は焼き入れの際に刀身を真っすぐ
に舟に突き入れることをせずに平で
入れてしまい、真横に刀身がへの字
に反り返ってしまった。
それはすぐに焼きなましをして鎚で
打ちなおして形を真っすぐに整え、
焼き均しをして残留ストレスを除去
したが、その夜は焼き入れができない
ので翌日の焼き入れとなった。
他の個体は、全部で8本焼き入れした
のだが、焼き戻しもうまくいった。
私が横で声をかけながらタイミングを
伝えて、参加者は全員自分で焼き入れ
と焼き戻しをした。
自分で焼き入れした刃物は、参加者
へのプレゼントのお土産となった。
参加費も材料費も無料で行なった。
一般公募参加ではなく、ごく親しい
友人同士のフライフィッシングの仲間
内の関係なので、食事会ご招待と同じ
感覚で私が招待者としてすべて用意
した。
逆にその晩の合宿の宴会食事はみんな
が私の分をもってくれてラッキー(笑)。
翌日は、早朝から皆さん粗研ぎに
いそしんでました。
全員がニコニコしていてとても良い
笑顔だったのが強く記憶に残っています。
実に心地良い空気と時間が流れていた。
数日前、ナイフのコンシールドタングに
ついて書いたが、フルタングにするほう
がやはり頑丈さという点においては勝っ
ているのは確かだ。
ただ、フルタングとコンシールドの
どちらが「実用的」かというと、何を
取るかで評価が変わってくる。
鍛造刃物は炭素鋼であるので、防錆上
はコンシールドのほうが勝る。
刀剣しのぎの新藤店長と私は、日本刀
の歴史考察で、日本刀は元来なかごに
錆付けをして防錆していたのではなか
ろうかという推測をしている。
これはどう見ても時代錆だけではない
ような錆色が古刀には見られるからだ。
大磨上の作や末古刀、新刀、新新刀、
現代刀のなかごを多角的に解析して精査
精査すると、ぼんやりとながらその推測
の根拠が見えてくる。
いにしえの実用時代の日本刀は柄の中
のなかごに予め防錆処理の黒錆付けを
していたのではなかろうか、と。
その類型は、現在でも黒打ち刃物や
大工道具の刃物、あらゆる和式刃物で
は防錆黒錆付けの技法として残存して
いる。
ただ、防錆処理をしない炭素鋼の場合、
フルタングにすると、使っていたらすぐ
にナカゴ部分=タング部分が出錆でボロ
ボロになってしまうでしょうね。
和式打ち刃物形式のブレード形状と
フルタングの組み合わせのこのナイフ
のシルエットデザインはかなり洗練され
ていて魅力的だ。
ただ、素の削り磨き地の炭素鋼では
これはできない。D2あたりでも出錆
が危ぶまれる。
やはり、この構造は、錆に強いステン
レス鋼という特殊鋼でないと実現は
現実的ではないように思える。
姿はめちゃくちゃかっこいいのだけ
どね。
家内に「見て見て。このナイフのデザイン、
とてもいいと思わない?」と言って昨夜
この画像を見せたら「作れば?」と簡単に
言ってのけた。
いや、スカンジではなくコンベックスに
すれば作るのは作れるだろうけど、鍛造
刃物がこの構造に適しているか否か、
どこまで防錆処理を施したとして防錆
を射程に入れた実用に耐えられるかと
いう問題があるんだよなぁ・・・。